第9話 騒動の夏①

 梅雨という時期が、昔はあったらしい。らしいというは例に漏れず、僕らはそれを知識としてしか知らないからだ。


 何でも春と夏へ、あるいは夏から秋にかけて移り変わる時期に、気圧の関係か何だかで、一ヶ月前後に渡り雨が降り続くのだという。いわゆる雨季というやつだ。その内、春から夏にかけてのものを『梅雨』というらしい。


 そんなに雨が長く降り続くなんて、生活しづらそうだな、と。六月も半ばが過ぎて、三年A組のいつもの教室でいつものように動画授業を聞きながら、僕はそんなことを思った。


 僕も含め生徒の机の上には、一様にスティック状の教材端末が置かれ、そこから投影されるホロディスプレイとキーボードが、授業に必要な全てを提供していた。

 動画の中では、国内から選りすぐられた教師が、身振り手振りを交えながら解説をしている。視線を逸らせば、窓の外は今日も青と白に彩られていた。先週も見た青空のパターンだった。


 シェルターの中の気候は、空調システムによって快適な気温・湿度・日照時間が保たれている。雨が降ることは稀だ。そもそもシェルター内は降雨を必要としていない。


 現代において、食物の生産は専用のシェルター『食物プラント』にて行われている。完全に人の手を離れたわけではないが、機械によってオートメーション化され、極限まで効率化されている。人々の生活に必要な淡水は〈外〉に設置された貯水庫に溜められ、そこからまかなわれている。『雨』が降るのは、その貯水量の調整のためだとされている。


 故に、僕らの生活に雨は必要ない。

 設備的にも雨を再現するのは容易ではないらしく、一部では廃止を求める意見もあるらしいが、そこは文化的な側面だとか教育的な側面だとか。そういったものを理由に反対する人もいると聞く。


 僕には遠い世界の話だった。

 誰か主張したい人が主張して、決める権利のある人が決める。その決定事項に粛々と従って生きていく。それだけだ。

 けれど、将来的にはなくなるのだろうなと、僕は漠然と思う。


 窓の外を眺める。夜桜カレンと昇降口で話した日以降、『雨』は降っていない。

 ――〈外〉では今日も、雨が降り続いているのかもしれないけど。

 それを知る術を、僕らは持たない。


 指向性の動画音声は、僕の微細な動きを追従し、授業という現実から逃れることを許してはくれない。

 僕らはひたすらに、時を消化していく。

 ――はずだった。


「ツラ、ちょっと貸してくれない?」


 とある昼休み、来訪者は突然やって来た。

 あまりの唐突さと意外性に満ちた人物に僕は目を丸くして、教室の一角で一緒に喋っていた馴染みの男子生徒二人はは口を半開きにして彼女を見上げた。クラス中の視線が僕らに集中していた。


 声を掛けてきたのは、すらりとした長身の少女だった。色白で、目は青い。鮮やかな金髪は、高い位置で一括りにされていた。国民の十分の一が外国人となった昨今では珍しくもないが、近親者に異国の人がいることが一目で分かる容姿だった。プリーツスカートに半袖のシャツ一枚。首元はノーネクタイというサッパリとした出で立ちをしている。しかしその見た目の溌剌さとは反対に、どこか憂いを帯びた表情は淡々としている。


〈四季〉の夏――百合野トオル。


「ツラ、ちょっと貸して」


 彼女はもう一度、先程と変わらぬ語調で告げた。その言葉には、有無を言わせない力が秘められていた。だからというわけでもないが、昼休み終了の予鈴が鳴るまで残り約十五分。何かやることがあるわけでもない僕は「分かった」と了承を返して席を立った。相変わらず唖然としている〈着崩し〉と〈小太り〉に断りを入れて、歩き始めた彼女の後に続く。

 纏わり付いてくるようなざわめきが、後には残った。



   *



 百合野トオルに連れて来られたのは中庭だった。


 彼女の指示で、僕は彼女から少し離れたところで立ち止まる。距離を置いて対峙する様子はまるで果たし合いか何かのようだった。中庭を取り囲む教室や廊下からは、大勢の生徒が興味津々といった様子で顔を覗かせている。〈四季〉の一人と、それに呼び出された男子生徒は、格好の見世物なのだろう。

 ややあってから、彼女は口を開いた。


「噂、本当なのか?」

「噂? あぁ」


 聞き返してから、思い当たる。


「夜桜さんが東条くんに告白して玉砕したっていう」


 野次馬には聞こえない声量で返せば、遠目にも分かるほど彼女は眉を顰めた。

 夜桜カレンが、東条アキラに告白して手酷くフラれた。夜桜カレンはそのショックで、学校に来なくなった。

 校内ではそんな噂がまことしやかに囁かれていた。


 フラれて当然だと納得する者もいれば、いい気味だと嘲笑う者もいた。今まで多くの男子生徒をあしざまにしてきた報いだと言う者もいれば、男を取っ替え引っ替えしてたからだと吹聴する者もいた。


 夜桜カレンが学校に来なくなってすぐの頃、校内はその話で持ちきりだった。出所の分からぬ噂は、無数の尾鰭を付けて校内を駆け巡り、僕の耳にも否応なく入ってきた。


 しかし半月も過ぎた今では、そのことに触れる者すらほとんどいない。皆、娯楽には飢えているが、結局は他人事なのだ。メディアが一斉に同じニュースを取り上げたと思えば、一斉に次の話題に移るのと同じだ。


「本当のところはどうなんだ?」

「どうって?」

「アンタ、カレンが学校に来なくなる前の日、一緒にいたらしいじゃないか。他の奴が見たって言ってた」


 それから、手首に巻いていた細いリストバンド型の携帯端末『リストデバイス』を起動し、僕の前に一つのホロ画面を指でスッと投げて寄越す。僕の手首の端末に同期して表示させたのだ。


 そこにはメッセージアプリの画面が映されていた。百合野トオルが夜桜カレンに安否を尋ねるメッセージが表示されているが、『既読』が付いたまま返信はない。


「連絡、付かないんだ、カレンと。アンタ、何か知ってるだろ」


 手早く画面を閉じて、百合野トオルは詰問した。心なしか、その声は沈んでいるように聞こえた。


「あぁ、そういうこと」


 つまり彼女は、夜桜カレンのことが心配なのだ。彼女と夜桜カレンはいつも、〈四季〉の中でも特に仲が良さそうにしていた。


 僕はあの日見聞きした事実を淡々と話した。むやみやたらと言いふらすような話でもなかったが、取り立てて隠すようなことでもなかった。今まで誰にも話さなかったのは、単に機会がなかったからだ。

 話している間に、百合野トオルの顔はみるみる険悪なものになっていった。けれど彼女は口を挟まなかった。話し終えてただ一言「そうか」とだけ言った。


 予鈴が鳴る。来た時と同じく、僕は彼女の後に付いて、教室に戻った。やはり道中は、一言も話さなかった。

 既に多くの生徒が着席している中、何事もなかったように百合野トオルは自席へ戻っていく。僕も自分の席に戻ると、いつもの二人が身を乗り出してくる。


「百合野はお前に何の用事だったの?」

「廊下から覗いてたけど、全然話聞こえなかったわ」


 野次馬の一人だったのか、とは言わないでおいた。僕は「なんでもないよ」と誤魔化して、授業の準備をした。

 ちらりと百合野トオルを窺うと、彼女に変わった様子はない。もう半月も座る者がいない空席の隣で、教材端末を操作している。結局、彼女は僕に話を聞いて、どうしたかったんだろう。そんな疑問が浮かんで、しかし授業開始のチャイムと共にかき消える。


 騒ぎが起きたのは、数日後の昼だった。

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