第4章⑤
カオジュラのアジトであるNEWBORN本社に戻った私は、ことのあらましをしろくん、もといマスター・ディアマンに報告する運びとなった。
最初は笑って聞いているだけだったマスター・ディアマンだけれど、写真集の話が出てきたあたりで雲行きが怪しくなってきた。
「――――ふぅん、そう」
私の雑なコラージュのR18指定写真集をすばやくタブレットで検索した彼は、色素の薄い瞳をすぅっとすがめて、一言そう言った。
その瞬間、体感温度が軽く五度は下がった気がした。
「イミテーションズについては、アキンド・アメティストゥに一任していたけれど……なるほど、ね。これはそろそろ捨て置くわけにはいかなくなってきたかな」
ふふ、と笑みをこぼす彼の声は甘く、それでいてとんでもなく冷たい。それはアイスクリームなのでは? というごもっともなご意見が出てきそうだが、実際はアイスクリームではなくドライアイスである。甘味なんて存在せず、ただただ凍えることしかできない。
ひええええええとおののくばかりの私に、マスター・ディアマンはようやく視線をこちらへと向けた。
それだけでほっとしてしまう私は現金なものだと思う。だってマスターの……しろくんのまなざしは、やっぱりあたたかいものだったから。
「ご苦労だったね、レディ・エスメラルダ。この件については処理を進めておくから、きみは今後もカオスエナジーの収集を」
「かしこまりました」
「おつかれさま、みどり子ちゃん。今日はゆっくり休んでね」
「……うん。ありがとう、しろくん」
――――と、まあそんなわけで、私は帰宅の途に就いたわけである。
気付けば既にすっかり日は落ちていた。今日は早めに帰れるつもりでみたらしとしらたまのご飯の量を調整してきたから、もうそろそろお腹を空かせている頃だろう。そう考えると自然と急ぎ足になって、そのまま駆け足になっていた。
みたらし、寂しがってないかな。しらたまは拗ねていそうだな。
きっとどちらも、今日も玄関までお出迎えしてくれることだろう。まだあんなに小さいのに、二匹ともすごく賢くて、私のアパートの階段を登る足音を聞き分けてわざわざ玄関まで来てくれるのだ。ああ、返す返すもつくづくかわいい。
ご飯の前に、ちょっとだけ子猫用のおやつもあげちゃおうかな、などと考えつつ、私はようやく自宅であるアパートに辿り着いたのだった、が。
「……なにこれ?」
なぜかアパートの周りに、そう多くもないけれど、少ないとも言いがたい人だかりができている。見知った顔が何人も混ざっているところを見るに、どうやらご近所さん達らしい。
そして、私に何かとよくしてくれる、年を重ねたらかくありたいものだとこっそり憧れている、お着物がお似合いの大家さんが話しているのは。
「け、警察?」
そう、警官の皆様である。大体全部で五人といったところだろうか。大家さんと話し合っているのは、二人、アパートの住人に一人ずつ聞き込みをしているのは残りの三人。
なんだろう、何か事件でも起こったのか? まさかとは思うけれど、私がレディ・エスメラルダであるということがバレたとか? いやそれなら直接私のところに来るはずだし、そもそも警察はカオジュラにはお触り厳禁だし、いやでも、でもでもでもなぁ。
とりあえずめちゃくちゃ厄介ごとの臭いがぷんぷんするので、見なかったことにして早くみたらしとしらたまのところへ帰りたい。
その場でいつまでも立ち竦んでいるわけにもいかないので、そろそろと、いつにも増して物々しい雰囲気に包まれているアパートに近寄っていくと、「あらぁ!」と、大家さんが私に気付いた。
「みどり子ちゃん! おかえんなさい!」
「た、ただいまです、大家さん。何かあったんですか?」
「それが大変なんだよ。ウチのアパートに泥棒が入ってねぇ」
「ええっ⁉」
そりゃまた大事件である。大家さんに手招かれるままに、彼女と警官さんのもとへと走る。大家さんに「ウチに住んでる子だよ。二階の角部屋の柳みどり子ちゃん」と紹介されてから頭を下げ、どういうことかと警官さんに視線で問いかけると、まだ新人だと思われる若い警官さんは生真面目な様子で口を開いた。
「このアパート全室、まとめてやられたと我々は見ています。最近この近辺では空き巣が多発しており、我々も警戒していたのですが、まさかこんなアパート全室を狙うとは……」
「ちょっと、『こんな』ってどういう意味だい」
「はっ⁉ あ、すすすみません!」
さりげなくアパートをディスり、大家さんに睨み付けられた警官さんは慌てて頭を下げる。
まあでも『こんな』と言いたくなるような気持ちは実際に住んでいる私にも解る。このアパート、会社の近くにあるってことと家賃が破格ってこと以外、特に長所はないからなぁ。
駅は遠いし、コンビニもスーパーも近くにないし、夜は街灯が少なくて危ないし……と、例を挙げればキリがない。あ、でも、最近もう一つ利点が……って。
「あの」
「はい、なんでしょうか。……柳さん、ですよね?」
「はい。あの、全室空き巣にやられたってことは、もしかして……」
「……お察しの通り、柳さんのお部屋も、ドアがこじ開けられた形跡があり、そのまま開け放たれていました。勝手ながら、大家さんの許可を得
て先に調べさせていただきましたが、荒らされた形跡はありませんでした。こう言っては何ですが、不幸中の幸いかと」
若い警官さんの言葉に続いて、年配の警官さんが「よかったですね」と、太い眉尻を下げる。その台詞の端々に気遣いがにじんでいる。荒らされた形跡がないのなら、まあたぶん金目の物は取られてはいないのだろう。っていうかそんなものないし。
通帳と実印は流石に困るけれど、口座の中身はほとんど空で、悲しいことにほぼほぼ貯蓄はない。常にギリギリで生きているのが私である。
でも。それでもだ。
大家さんや警官さんの気遣いなんて、構ってなんていられなくなっていく自分を感じた。
心臓がうるさい。血の気がざぁっと引いていって、冷や汗が全身から噴き出した。
「――――ねこ」
「はい?」
「猫、二匹、飼ってて。あの、見てませんか? 私の部屋にいるはずで……」
私の顔色と声色が一気に変わったことに、警官さん二人は敏く気付いてくれた。年配の警官さんが若い警官さんに目配せを送る。
「おい、確認したか?」
「いいえ。ですが、猫なんてどこにも……。そもそもドアが開いていたので、勝手に外に出てしまったのではないかと。部屋のどこかに隠れようにも、柳さんのお部屋は隠れられるほどの物がなかったですし……」
「こら! 言葉を選べ!」
「っあっ、は、はいっ! 申し訳ありません!」
警官さん二人のやりとりが、どこか遠かった。手から力が抜けて、ドサッとバッグが地面に落ちた。猫なんていなかった、という言葉だけが、頭の中をぐるぐると回る。
みたらしが。しらたまが。いない。つまり、勝手に外に出てしまったのではないか。
ああそうだ、あの子達はもともとは野良として生活していて、外の世界を知っているから、外に出たがる傾向も見られるだろうと初めて連れていった動物病院で言われていた。
空き巣に入られて、見知らぬ人間を前にしてパニックになって、開いてるドアから出ていってしまったのかもしれない。
みたらし。しらたま。私の、大切な、かわいいかわいい家族。
「――――っ‼」
もう居ても立ってもいられなくなった。その場から踵を返して走り出す。大家さんや警官さんが慌てたように私を呼んだけれど、それどころじゃない。
今の私を駆り立て、そして呼び止めることができるのは、みたらしとしらたまだけだ。
考えろ、考えなきゃ。家から飛び出た猫はどこへ行くのだろう? まだ小さいからそんなに遠くには行っていないはずだ。探さなきゃ、探して、見つけて、抱き締めなくちゃ。怖かったねって、頑張ったねって、いっぱいいっぱいおやつをあげて、一緒にまたあのアパートに帰るのだ。
「みたらしっ! しらたまっ! みどり子だよ、出ておいで!」
とにかく子猫が隠れられそうな場所を、しらみつぶしに探し回る。スーツが汚れるのも、ストッキングが破れるのも、気にしてなんていられなかった。そんなのどうだっていい。ただみたらしとしらたまが無事に帰ってきてくれればそれだけで、それ以上のことはない!
「みたらしぃ、しらたまぁ……」
――――――――――どこ。どこへ、行ったの。
もう何時間探しているのか解らない。もしかしたらせいぜい三十分くらいでしかないのかもしれないけれど、私にとっては永遠にすら思えるくらいに長い長い時間だった。
諦められない。誰が諦めるものか。だってみたらしもしらたまも、私の、かわいいかわいい家族なんだから。
ふらふらと夜道を歩きながら、ひたすら「みたらし? しらたま?」と繰り返しながらゴミ捨て場をあさったり、茂みに顔を突っ込む私は、はたから見ればさぞかし怪しい女なのだろう。空き巣じゃなくて私こそが通報されてしまうかもしれない。レディ・エスメラルダとしてじゃなくて、柳みどり子として先にお国に取っ捕まるなんてどんな冗談だ。
そう自嘲しながらふらりと一歩踏み出した瞬間、ぐきっと足首を捻った。レディ・エスメラルダモードの時とは違って、柳みどり子はローヒールのパンプスなのに。
そのままびたんっと地面に顔から突っ込んでしまう。痛い。痛くてたまらない。我慢していた涙がこぼれそうになる。でも、泣いてなんていられない。今心細い思いをしているのは私じゃなくて、きっとみたらしとしらたまだから。
だから、だから。で、も。
「――――あの、大丈夫か?」
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