第15話「剥がれた仮面がこちらにもひとつ」
場をとりなすように軽く咳払いをして、レオニルは再び王子らしいきりりとした表情を浮かべる。
「とにかく、話を元に戻そうか」
「はい、大変失礼いたしました」
謝罪の言葉と共に目を伏せると、長い睫毛がゆらりと揺れる。姉を守るようにぴったりと寄り添っているぽっちゃり双子は、姉が勇気を出したことが嬉しくてにこにこと笑いながら頬を膨らませた。
「リリアンナお姉様、格好良かったよ!」
「さすがお姉様だわ!」
弟妹は姉を褒めちぎるが、先ほどやり取りの一体どこに格好良さがあったのかと、レオニルは首を傾げたくなる。だが目の前の三人は本当に幸せそうで、いつも無表情で紅茶を一杯だけ嗜んで帰るリリアンナからは想像もつかない。彼女の境遇を知っているレオニルは、ずっと無理をしていた婚約者の苦悩を気付けなかった自身を情けなく思った。
と同時に、羨ましいという感情がふつふつと湧き上がる。優秀な兄といつも比べられ、どんなに努力を重ねても誰からも褒められることなどなかった。
リリアンナと同様、レオニルもずっと自我を押し殺して生きてきたのだ。顔を合わせるたびに愛おしさが爆発しそうになるのを堪え、さも興味のない振りをしてきた。王子としての振る舞いももちろんだが、こんな気持ちを抱くことは許されないと、心の奥底に閉じ込め幾重にも鍵をかけた。
そのはずだったのに、突然素直になったリリアンナを見ていると、自身もそうしたいという欲望が抑えられなくなる。ただでさえ滅多に会えないのに、目の前でそんなにも嬉しそうな笑顔を見せられたら――。
「私達も大好きよ!」
ケイティベルがそう言ってリリアンナに抱きついたその瞬間、とうとうレオニルのタガが外れた。錆びついた鍵は粉々に砕け散り、本当の感情が勢いよく飛び出す。「もうだめだ我慢出来ない!可愛い!可愛いが過ぎる!!この世の何よりも可愛くて仕方ない!!」
まるでデジャヴでも見ているかのように、彼は魂の雄叫びを上げる。その視線の先に映っているのは婚約者リリアンナではなく、その妹ケイティベルだった。
「レ、レオニル殿下……?」
瞳孔は開き鼻の穴は膨らみ、見目麗しい完璧王子の面影はどこか遠くへ消え去っている。ふぅふぅと肩で息をしながら、レオニルは完全に我を失っていた。
「ずっとずっと思っていたんだ。ふっくらした頬と柔らかそうな手、可愛らしい唇から紡がれる声はまるで小鳥の囀りで、永遠に聞いていたくなる。満開の花のような笑顔は、見ているだけでその場の人間を幸せにする。晴天の空に良く似た瞳は澄んでいて、もしも見つめられたら体が浄化して溶けてしまうのではと思うほど……」
「お、お待ちください殿下!」
止めなければ止まりそうにないので、リリアンナは慌てて彼の言葉を遮った。まさか自分とそっくりの人間がいるなど想像もしておらず、驚きと共に「私ってこんな風に見えていたのね」と、思わず己を顧みて反省した。
「お気持ちは痛いほどよく分かります」
「あ、ああ。ありがとう……」
「ですが、まずは深呼吸を。私の大切な弟妹が非常に困惑しておりますので」
リリアンナに指摘され始めて、ケイティベルの瞳が怯えたように揺れていることに気が付く。レオニルはその場に膝を突き、がっくりと肩を落として項垂れた。
「本当に申し訳ない。十近く歳が上の男に好意を持たれるなど、気味が悪い以外の何者でもないだろうに」
「あ、あの。私は別に……」
「望むなら、今すぐこの場で腹を斬ってケジメをつけても……」
「そ、それは結構です!」
瞳孔の開いた彼の視線が壁に掛かった剣に向いていたのに気付いたリリアンナが、慌てて止めに入る。どうやらレオニルは自分とまったく同じ人種であると、非常に信じ難い事実に戸惑いを隠せない。
こんなにも長い間婚約者として過ごしてきたのに、互いについて何も知らなかったのだと、改めてそう思う。リリアンナが命よりも弟妹を大切に思っていることも、レオニルがケイティベルを可愛いと思っていることも、本人以外は誰も気付かなかった。
どちらも鉄仮面の下に拗らせた愛情を隠している、少々危ない人物である。
「改めて確認させていただきたいのですが」
リリアンナが神妙な面持ちで、ごくりと唾を飲んだ。
「殿下は、
半ば無意識だが、彼女は「私の」という部分を強調した。それに気付かないレオニルは、滑らかできめ細やかな肌をたちまち紅く染める。
「い、いや……。私は……」
「申し訳ありませんが、さすがに言い訳は通用しないかと」
「……ああ、そうだな。こうなったら白状しよう」
降参するように溜息を吐いた彼は、美しい碧眼を伏せる。永遠に気持ちを伝える気などなかったのに、突然素直になったリリアンナを前にして思わず本音が漏れ出てしまったと、頭を抱えたくなる。
自分より随分年上で、しかも姉の婚約者。そんな男から好意を持たれても気持ち悪いだけで、ケイティベルを困らせてしまうのは火を見るより明らか。恥ずかしさからロクに言葉を交わしたこともなかったが、彼女が自分を怖がっていると分かっていたレオニルは、これでとうとう完全に嫌われてしまうのかと考えると、思わず瞳が潤んでしまうのだった。
「決して邪な感情ではないと理解してほしいが、それも無理な話だろう。リリアンナの婚約者としての務めを全うしたいという気持ちに嘘はないが、それは愛というより友情に近い」
「はい、理解しております」
むしろずっと嫌われていると思っていたリリアンナは、特段傷付くこともなく冷静に頷く。自分自身もレオニルに恋愛感情はなく、結婚を申し訳ないとすら感じていた。
「上手い表現が思いつかないのだが、ケイティベルを見ていると、可愛くてたまらないという感情が奥底から湧いてくるんだ。存在そのものが愛らしく、同じ時代に生きているというだけで神に感謝しているくらいだ」
「ええ、ええ。殿下のそのお気持ち大変よく分かります」
ほとんどリリアンナと同じ台詞を口にしているレオニルに対し、彼女は何度も何度も頷いた。まさか、こんなにも身近に同志がいたなんてと、喜びすら感じる。と同時に、やはりケイティベルの可愛さはとどまることを知らないと、胸を張りたい気分になった。
「不快にさせてしまい、本当に申し訳ない」
深々と陳謝するレオニルに、三人は恐縮することしか出来ない。彼が第二王子であるという事実もそうだが、何より誰も不快になどなっていないからだ。
リリアンナは喜んでいるし、ルシフォードは驚いているし、当のケイティベルはただ婚約しているだけ。そして何より、二人が体験した『あの件』について辻褄が合ってしまったことが、何より信じられない。
――レオニルはリリアンナとの婚約を円満解消し、代わりにケイティベルと婚約を結び直した。
ずっと感じていた疑問が、ここに来て晴れた。リリアンナが婚約の解消を申し出たのは、外国への輿入れを嫌がるケイティベルの為。そんな彼女の気持ちに気付いていたかどうかまでは分からないが、少なくともレオニルに不利益はなかった。それどころか、心の中ではきっと狂喜乱舞したことだろう。まさかケイティベルと婚約出来る日が来るなんて、と。
「わ、私はなんて言えばいいのか分からない」
「ベルが戸惑うのも無理はないよ」
ルシフォードが、彼女の背中をぽんと叩く。姉が自分を好きだと知った時は嬉しかったけれど、その婚約者に好かれていたというのは正直に言って複雑だ。気持ちが悪いとは思わないが、ずっと怖いと感じていた相手を急に意識しろというのは無理な話である。
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