第10話「今度は僕達が守る番」
「まぁ、感じが悪い。妹をそんな風に邪険に扱うなんて」
「いえ、私はただ……」
「可哀想なケイティベル。ほら、こっちへおいで」
ベルシアの手招きに素直に応じながらも、内心は姉が気になって仕方ない。これまでは怖いという感情しか抱いていなかったから、なんの疑問も感じずに母に甘えていたけれど、今はもう違う。
「ベル、大丈夫?」
ルシフォードは彼女を案じ、優しく声を掛ける。それはリリアンナに傷つけられたという意味ではないのだけれど、ベルシアはそれ見たことかとほくそ笑む。
リリアンナは無表情を貫いていてとても傷付いているようには見えないが、二人はどうしても違和感を拭えないまま。
双子は互いを見つめながら、やはりこれはなんとかしなければならないと、決意を固めるように頷き合うのだった。
約十年家族として過ごして来て、姉の部屋を訪れるのが初めてだなんておかしいと、なぜ今まで気付かなかったのだろう。
「そこに座って。今お茶を淹れるから」
ルシフォードとケイティベルは、きょろきょろと視線を彷徨わせながら、そわそわと忙しなく指を動かす。
「お姉様が自分で淹れるの?」
「ええ、そうよ」
「いつもそうなの?」
「ええ」
自分達も両親も、そんなことは絶対にしない。きちんと整理整頓された姉の部屋は清潔で綺麗だが、二人の子供部屋よりずっと物が少なく殺風景だった。
リリアンナは手馴れた手付きで紅茶を淹れると、それぞれの前に置く。特徴のないカップとソーサーしかないことを、初めて残念に思った。
――せっかく二人が訪ねてきてくれたのだから、もっと素敵なおもてなしが出来たら良かったのに。
最近立て続けに奇跡が起こるせいで、いよいよ死期が近いのではと覚悟を決めているリリアンナ。愛らしい弟妹を遠くから眺められるだけで幸せだったのに、こんな風に一緒に過ごせるなんて。
二人の手は見た目以上にずっと柔らかくて温かで、陽だまりのような香りがした。同じ血を分けた家族なのに、自分とは何もかもが違う。
両親や周囲から溢れんばかりの愛情を注がれている弟妹を、羨ましく思う気持ちもないわけではない。けれどそれ以上に、可愛い、愛しいという感情の方がずっと強かった。どうか二人には私のようになってほしくないと、願うのはそんなことばかり。
「この紅茶、とっても美味しいわ!」
「本当だ、すごく飲みやすい!」
ふうふうとカップに息を吹きかけて、あちあちと唇を振るわせながら、白い頬をふんわりと紅く染める姿は、実に愛らしい。これまではただの作業だと思っていたけれど、自分の淹れた紅茶を喜んでもらえるのはとても嬉しいことだと、鉄仮面のリリアンナもついつられて微笑んだ。
「あ、お姉様が笑った!」
妹に指摘された彼女は、途端に恥ずかしくなりぎゅっと眉間に皺を寄せる。怒らせてしまったのかと肩をすくめるケイティベルを見て、ルシフォードが勇気を出して尋ねる。
「お姉様は今怒っているの?」
「えっ?私は……」
「そんな顔をしていると、まるでベルに腹を立てているように見えるんだ」
以前よりずっと姉を理解出来るようになり、表面と内面は正反対ではないのだろうかと思うようになったのだ。
「……ごめんなさい。ただ少し、恥ずかしかっただけなの」
リリアンナも勇気を出して、二人に本音を打ち明ける。いつも凛とした美人な姉の照れた表情は、破壊力抜群の可愛らしさだった。
「お姉様ってやっぱり、とんでもない天邪鬼さんなのね」
「え……っ?」
「それに、めちゃくちゃ照れ屋さんだし」
「あの……っ?」
責められれば責められるほど、リリアンナの顔が熟れたプラムに瓜二つになっていく。今回のことで二人は、姉は自分達の味方だとさらに確信を持つことが出来た。
「ごめんなさい、お姉様を試すような真似をして」
「な、なんのことだか、さっぱり分からないわ」
彼女はあたふたと取り乱しながら、用もないのにかちゃかちゃと茶器を触る。今日の二人は朝から様子がおかしく、いつもとは雰囲気も違うと心配になった。
いや、愛らしく可憐でいつまでも眺めていたくなるような可愛らしさは健在なのだが、普段ならリリアンナを恐れて近寄って来ない。
それが今日は、手を握られたり遊びに誘われたり、本当に心の底から幸せと喜びを噛み締めている反面、私なんかに頼るほど不安なことがあるのかもしれない……、と考えると可哀想でたまらない。
赤面した顔をぱたぱたと手扇で仰いで冷ましながら、どんな言葉をかけてやるのが正解かと悩む。そんなリリアンナが口を開く前に、二人は同時に勢いよく彼女に抱きついた。
「な、ななな……っ!」
せっかくほんの少しだけ落ち着いたというのに、とうとうリリアンナの思考回路はぱん!と盛大な音を立てて破裂してしまった。
――ああ、もうだめこれ以上隠しきれない!可愛くて柔らかくて温かくていい匂いがして、まるでふわふわの白い雲に包まれて空を漂っているみたいだわ……。
リリアンナの目は恋する乙女のように、とろんと甘く垂れ下がる。我慢の限界に達した彼女が勢いよく抱き締め返そうとしたその時、ロイヤルブルーの瞳に二人の泣き顔が飛び込んできて、ぴたっと手を止めた。
ケイティベルとルシフォードは顔を真っ赤に染めながら、ひくひくとしゃっくりを繰り返す。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙は、まるで互いに競い合っているかのようにどんどん溢れて止まらない。
突然の弟妹の大号泣に焦ったリリアンナの指が、ティーポットにぶつかる。それが運悪く椅子の角に当たり、派手な音を立てて割れた。彼女が庇うように覆い被さったおかげで二人は怪我をしなかったが、破片が掠ったリリアンナの手の甲にはじわりと血が滲んでいた。
「お姉様が怪我を……!」
「これくらい平気よ、なんともない」
その言葉を聞いた瞬間、双子の脳裏にあの恐ろしい記憶が蘇る。今と同じように自分達を庇い、自分は平気だと嘘を吐いた。最後の最後まで、リリアンナは自らの命と引き換えに守ろうとしてくれたのだ。
裏腹な態度も、眉間の皺も、冷たい表情も、なにもかも関係ない。二人にとってはそれが事実で、姉は最初からずっと味方だった。怖がる必要なんてどこにもありはしなかったのだ、と。
「う、うわあぁぁん!お姉様ごめんなさいいぃ!!」
「僕達ずっと、お姉様に酷い態度ばっかりだった!!」
「本当の悪役は、私達だったんだわ!!」
さらに火がついたようにわんわんと泣き叫び始めた二人を見て、リリアンナまで泣いてしまいそうになった。なにがこの子達をこんなにも悲しませているのだろうと、胸が軋んでずきずきと痛む。
「大丈夫、大丈夫よ。どうか落ち着いて、ゆっくり呼吸をするの」
絨毯の上にぺたんと座り込んでしまった二人をしっかりと抱き寄せると、リリアンナは優しいリズムでとんとんと背中を叩く。ほんの少しゆらゆらとからだを揺すって、なるべく声をひそめながら耳元で囁いた。
意外と低めのハスキーボイスは心地良く、まるで小舟に揺られているような気持ちよさにだんだんと心が凪いでいく。しゃっくりはすぐに止まらないが、大きな泣き声はもう聞こえなくなった。
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