第31話

 太郎がことりを通じて武雄に呼ばれたのは、試験期間が終わって、あとは夏休みを待つばかり、となった時期だった。太郎は部活動をやっていないので、試験後は夏休みも含めて基本的に暇な身となる。しかしことりは女子バスケ部主将として、中学総体の地方予選に向けて練習を引っ張らねばならない立場であり、試験が終わればずっとバスケ漬けになってしまって、結局太郎が一人で武雄を訪ねることになった。

 太郎は京子から借りたママチャリで、二度目の世羅家本宅にやって来た。誘拐犯が捕まったことで、もう警官の警備は解かれたらしい。門前には誰もいなかった。

 玄関のインターフォンを押すと、多佳子が引き戸を開けてくれる。中では亜佳音も待ち構えていて、太郎に飛びついてきた。

「亜佳音ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、太郎ちゃん! 遊ぼう!」

「え? ごめんね、今日はお父さんとお話なんだよ」

「……じゃあ、お話が終わったら遊ぼう?」

太郎は困った顔で多佳子を見る。

「……ふふ、時間があるなら相手してやってくれるかしら」

「……わかりました」

「おいしいケーキ用意しておくわ」

「はい……期待しときます」

ケーキ! やったぁ! と亜佳音が喜ぶ横を通り、先日とは違う客間へと太郎は案内された。すると、部屋には武雄以外にもう一人、先客がいた。

「こんにちは」

「やあ、穂村君。よく来てくれた。時間もらって済まなかったな」

「いえ」

挨拶を終えた武雄は、隣りにいた先客を、市の警察署の署長だと紹介した。

「斉藤といいます。穂村君だね。話は市長から聞いている。今日はよろしく」

「はい」

太郎は事前に武雄から、今回の誘拐未遂事件に関する説明と、太郎にどうしてもしておかなければならない話がある、として招かれたのだった。話の中身が中身であることから呼ばれたに違いない、斉藤と名乗った警察署長は私服で、いまは制服を着ていない。ということは、この話は非公式オフレコの会合、と言う意味合いを持つのだろう、と太郎は考えた。

(世羅さんなら、「先生には内緒」っていうとこかな)

そう考えるとちょっとおかしくなる。ことりが同席できないのは残念だったが、そういえば「あとで絶対、どんな話だったか詳しく教えてね!」と強く念押しされていたのだった。

「ことりちゃんは部活だと言ったっけ」

「ええ、女子バスケの主将ですから。この夏が中学最後で気合い入っているみたいです」

「ああ、なるほど」

「いまバスケはどこが強いんだい?」

斉藤が太郎に訊いた。

「ここ何年かは、うちの東部中と中部中が二強みたいですよ」

「へえ、そいつは頼もしい。勝てるといいな」

 市内には、女子バスケ部のある私立中学がひとつしかないため、地方大会予選は公立五校を合わせた市内六つの中学でトーナメント戦を競うことになる。県大会へ進める椅子はひとつだけだ。私学を含めてもこれといって飛び抜けたスポーツの強豪校はないのだが、そのときの監督の熱意や指導法、たまたま有望な選手のいる年などで強弱は入れ替わり、太郎が知る限りでは五年ほど、東部中ないし中部中の優勝が続いていたはずだ。

 去年は中部中に接戦のすえ優勝をさらわれて、ことりが「必ずリベンジするんだから」と燃えていたのを太郎は思い出した。

 そうはいっても、どんなスポーツであれ太郎の住む市内の中学が、県大会で一回戦を勝ち抜くことはまれで、さらに県大会の上位チームが行ける上の大会へ駒を進めたという話はついぞ耳にしたことがない。中学総体などの全国大会へ代表として出場できれば、八月まで部活を行うことになるのだが、どの部もおおむね七月で三年生は引退することになるのだった。

 ただ、もともと自分でスポーツをしない太郎は、基本的に学校の運動部の勝敗に関心がない。誰かの応援に試合を観に行ったこともない。女子バスケの件はことりとの話に出てくるので知っていただけで、そうでなければ斉藤の質問にも「さあ?」としか答えられなかっただろう。


 ちょうどお茶を持って入ってきた多佳子が、「ごゆっくり」といって出て行くのを合図にして、武雄が目的の話を始めた。

「実はね。うちの中に盗聴器が仕掛けられていた」

「えっ?」

太郎は思わず部屋の中を見回す。

「ははは、ここじゃないよ。それにもう警察が回収済みだ」

盗聴器は、偽シッターが亜佳音にプレゼントした、小さなぬいぐるみに仕込まれていたのだという。

「亜佳音が気に入っていたので、取り上げて捨てるのも躊躇われたのが徒になってね。はじめは誘拐に成功したあとの、こちらの状況を探るために使うつもりだったそうだよ。警察への通報の有無とか、そのあとの捜査の進み具合とか」

ところが、太郎が亜佳音を取り戻してしまったので、今度は次の計画のチャンスを探る目的に切り替えて使われた。

「それで、亜佳音の誕生会のために、うちからデリバリーの注文を出していたことを知られたようなんだ」

ピザとケーキの二種類のデリバリーがあること。そしてその配達希望時間。それぞれを把握され、警備中の家への侵入手段として利用されてしまった。

「それは……」

ことりには言わない方が良さそうだな、と太郎は思った。

 デリバリーを頼むと決めたのは武雄たちだし、結果として誘拐犯を捕まえることができたから良かったものの、誕生会を提案したのはことりである。誘拐犯の行動を促すきっかけを作ってしまったと、気に病んでもおかしくない。

「誘拐犯は、あの三人だけなんですか?」

「いまのところはそう聞いている」

「でも、実行犯は、ですよね」

「……そう考えているよ」

捕まえた空手使いも、「頼まれた」と言っていた。誘拐、というより誘拐による市長脅迫の計画を考えた黒幕、首謀者がいるはずなのだ。

「話してくれそうですかね?」

太郎の質問に、武雄は斉藤をチラリと見る。斉藤は難しい顔だった。

「……もちろん最善は尽くすよ。だが」

「難しいかもしれない、と?」

武雄と斉藤はともに苦笑いで応えた。

「そもそも、この犯罪が成功したときの受益者、得をする人たちがもうわかっているんだ。そのどこからどのように依頼がされたか、という証拠が見つかれば話は早いのだけれどね」

「わかりやすい証拠など残さないだろうし、自供の面でも彼らは、まず吐かないだろうな」

依頼を成功させられなかっただけでも大変な失態である。このうえ、誰が計画の絵を描いたのか、ということまでばらしてしまったら、のちのち彼ら自身が報復を受ける。

「黒幕も一緒に逮捕できちゃったら、より身の安全が守られるとかは考えないんですか」

「黒幕が個人ならそれもありなんだけどね」

と斉藤。

「相手は組織だ。この件で全員を一網打尽、というわけにはいかない。何人かは逮捕できたとしても、かならず関係者が取りこぼされる。そうしてこういう組織は、メンツを潰した相手を決して許さない。残ったものが身内の報復を躊躇わないしあきらめない。だからこそ、暴力団として恐れられる存在でいられるわけだ」

「そういう連中を社会にのさばらせないためには、やっぱりまず法律で縛り、さらに地域が一丸となって協力して、力を削いでいくしかないんだよ」

武雄があらためて強調した。

「……」

 言っていることはわかる。わかるが、やはり太郎には納得しにくいものが残った。暴力で他人を脅し、自分の思い通りにさせようとすることがまかり通ってしまう。それが現実だとしても、そうですよね、仕方ないですねとは言いたくなかった。

 だけど、と太郎は思う。

 自分がこの身体になってしてきたことも、実はあまり変わらないのではないか。意見の異なる相手の暴力を、より強い暴力でねじ伏せてきたことに違いはない。どれも相手からふっかけてきた喧嘩であり、話し合いを拒んだのも相手である、という言い訳はできる。その場で戦わないで済ませる方法は、きっと見つからなかった。でも、そのとき太郎自身に、戦うことを望む意思がなかった、と言えるだろうか? 

 むしろ戦いたいという思いを持っていたから、太郎の側にも喜んで受けた一面はあったのではないか。結果、勝負に勝って物事を解決する……というのは太郎から見た解釈である。それを単に暴力を以て、相手ではなく太郎に都合の良い結論に持って行くと考えれば、彼らのやっていることと何が違うというのだろう。

 太郎はうつむいて考え込んだ。


 それを見た大人二人は、自分たちの不甲斐なさに黙り込まれたと思ったようだった。

「む。期待を裏切ってしまったかな」

「すまんね、力が及ばない大人たちで」

「あ、いえそんな」

太郎は慌ててぶんぶんと手を振って否定する。

「もちろん、我々もそれで仕方がないなどと考えてはいないよ」

「全力で黒幕にたどり着くよう捜査するし、野放しにしておくつもりは毛頭ない」

「はい」

太郎は頷いた。

「あの三人は、依頼だけではなく資金面などでも援助を受けていた節があるからね。カネの流れから追っていけば、案外簡単にシッポが掴める可能性もある。自供があれば捜査は早いが、なかったとしても手がないわけではないんだ」

なるほど、と太郎は思った。何台も使われたクルマや盗聴器、デリバリーのふりをする準備にしても、タダではそろえられない。軍資金は要るはずだった。

「それで、だ」

武雄があらたまった声を出す。

「穂村君に、お願いがあるんだ」

「はい?」

「お願い……というか、許可をもらいたいと言う方が正しいかな」

「……なんでしょう?」

話し出す前に、武雄と斉藤が確認するように目を合わせて頷き合う。この二人の間での話は、すでに済んでいるようだった。

「今回の件で、穂村君の活躍をなかったことにさせてもらいたい」

「……?」

武雄の言葉に、太郎はぽかんとしてしまう。

「実質的に、この事件はきみが誘拐犯を三人とも捕らえたに等しい。そうだろう?」

「う……ん。まあ、そういうことになりますか」

一人はこの家の玄関で蹴っ飛ばし、二人目と三人目は廃工場の一本背負いで動けなくした。いずれも警察を呼んだのは無力化してからのことだ。斉藤が武雄のあとを引き取って話を続ける。

「捜査については、その線できちんと行う。犯人たちの取り調べも、事実に基づいて進めていく。だが、例えば我々警察からマスコミへの発表だとか、市長への取材や会見時の返答については、穂村君が関与したことをほぼ隠すようにしたい」

「はあ……それは全然構いませんが」

 それで何も問題はない。というか、むしろそうしてくれた方が太郎はありがたかった。小柄ないち中学生が誘拐犯相手の大立ち回りを演じたなど、悪目立ちするのはいまの太郎にとって嬉しいことではないからだ。下手に注目されて、人間離れした力を知られてしまう方が困るのだ。ただ、やってしまったことは戻せないので、訊かれたらやりましたと答える以外にないな、と思っていただけである。

「本来ならば、感謝状ものの業績なんだけどね」

「たまたまそうなってしまっただけです」

「たまたまでも、普通はできることではないんだよ」

まあ、それはそうだな、と太郎は思う。

「で、そうするほうがいい理由があるということですよね?」

「うん、そうだ」

太郎の問いに、武雄が首肯した。

「今回の首謀者側からしてみれば、実のところ計画を穂村君ひとりに阻止されたようなものだ。失敗した誘拐犯たちが間抜けであったと考えてくれれば助かるが、そうでなかった場合、きみに危害が及ぶ可能性がある。黒幕はまだ誰も捕まっていないわけだからね」

「……なるほど」

武雄は太郎の身の安全を考えてくれたわけだった。

 正直、先日の空手使いのことを考えれば、太郎自身を狙ってくれるのなら、暴力団がちょっかいをかけてきてもとくに困ることはないかな、と考えていた。しかしそれはあくまで真正面から来てくれたとして、という前提である。実際に太郎がターゲットになってしまった場合、真正面からよりも、太郎の嫌がるパターンで攻めてくるに違いなかった。太郎自身は平気でも、太郎の家族や同級生、近所の知り合いなどはそうはいかない。そして太郎が困るような方法こそ、相手の最も得意な攻め方であろうと思われた。だから、太郎が主たる障害となって誘拐計画を頓挫させた、と相手に知られずに済むなら、その方が良いのだ。

「具体的には、三人を逮捕したのはあくまで警察官であり、一般人の、まして中学生ではなかった。そして、廃工場に逃げた誘拐犯を見つけたのも、一般市民からの善意の通報によるものであって、中学生が自転車で追いかけて追い詰めたりはしていない、という話にしたい」

「はい」

「きみの手柄を横取りしてしまうようで申し訳ないんだが」

「いいえ」

太郎は首を横に振った。

「それで構いません。というか、むしろそうしてください」

「……いいのかね?」

今度は頷いてみせる。

「わかった。では、きみが市長宅にいたことは隠さないが、実名は伏せるし、犯人逮捕に多大な貢献をしたことも、対外的にはなかったことにさせてもらう」

「はい」

「じゃあ、そういうことでよろしく」

斉藤は立ち上がり、太郎に右手を差し出してきた。太郎もそれに応え、ソファから立って斉藤の右手を握ったのだが。

「え?」

「……ほう?」

二人の間に、一瞬だけ緊張感が張り詰め、すぐに解けた。横にいた武雄は、二人の雰囲気がおかしかったことだけは感じ取ったが、何が起きたのかわかっていない。

「? 何かね。どうかしたのか二人とも」

「くははっ。いやはや、これはなんとも……」

武雄の問いに答えず、斉藤は楽しくてたまらないといった様子で笑い出した。

「……いたずらがお好きなんですかね?」

「ふふ。いやすまない。ほんの茶目っ気だ、許してくれないか」

困った顔の太郎に、斉藤は今度こそ力を込めて握手を交わし、その手を離した。


 * * * * *


 お読みいただきありがとうございます。

 週に1話ずつ更新します。

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