第24話

 あれ? と太郎が声を上げる。

「でも、それっておかしくないですか」

「何がだい?」

「だって、暴力団に対処するための条例なんですよね? なのに、議会の三分の一以上は、制定に反対するって聞こえますけど」

ああ、と武雄が苦笑する。

「そうだね。その通りだ」

「え、反対するんですか?」

太郎はびっくりして訊き返した。

「そこが、大人社会の単純に行かないところでね……」

武雄の説明によると、反対する議員は、明確に反対という態度は取らないのだという。さすがに暴力団の味方をするような行為は、議員としての良識を問われるため、あからさまに行えないからだ。ではどうするのか。

「たとえば、時期尚早と言ったりするね」

つまり、まだそんなタイミングではない、もっと議論を尽くすべきだ、と主張するのである。いずれ決めなくてはならないとしても、いま急いでそこまで決めてしまう必要はない、という立場をとる。だから、いまは賛成できない、と理屈をつけるのだ。

「……なんでですか?」

「うん、まあ人によっていろいろだ。議員だって選挙で選ばれる。だから、自分に投票してくれる人の意見は無下にはできない。これはわかるね?」

はい、と太郎は頷く。

「直接に反社会的組織とつながりがあるとか、金を受け取っているとすると、これはもし公になった場合に議員を罷免されてしまいかねないので、さすがにいないと思う。……まあうまく隠している議員がゼロとは断言できないけれども」

武雄は、誰やら頭に浮かんだ顔がありそうな表情で言った。

「ただ、とくに古株の議員になればなるほど、固定化した支持基盤というものがある。ある特定の有権者層の代表として、行政に送り込まれるといった形の人もいる。そうだねぇ……ひとつの例としてだが、まあ古くからの商店街でずっとお店をやってきた人がいるとしようか」

太郎にはあいにく具体的に思い浮かぶ店も人もなかったが、言われていることは想像できた。

「お店を長くやっていれば、それなりにトラブルに巻き込まれることもある。とくにお客さん絡みだと、なかなか思い切った解決策を取りにくい。警察沙汰になれば、店の評判に傷がつくダメージも無視できなかったりするからね。そこへ、普段から常連で来ている別の客が、困っているなら力を貸そうか、と言ってくる」

それも、想像することは難しくなかった。

「で、どんな手を使ったものか、うまいことトラブルを収めてくれる。店主は喜び、解決してくれた客に感謝する。客は、別に謝礼を要求するわけでもなく、店に通い続けるだけだ」

なるほど、だんだん話が見えてきた、と太郎は思った。

「そこで、その店主が支持してずっと投票してきた市議会議員がいるとしよう。普段から親しく話をする仲だ。もちろん、トラブルを解決した客は、そのことをよく知っている。そうして、ある日客側が、身の上を明かすわけだね。実は自分はこういう組織に世話になっていて、そこが今回の条例の話を聞いて、本当に困っている。もう国の法律で十分にいじめられているんだから、このうえさらに苦しめようってのは、ちょっとひどすぎるんじゃないか? なんとか議員さんにとりなしをしてもらえないか、と相談を持ち掛けるんだ」

ああ、と太郎は嘆息する。やっぱりそうつながるのか。

「店主もその客に同情して、議員に相談をしに行く。世話になった恩人が困っている。何とかしてもらえないか。国の法律があれば十分だろう? あえてこの街だけ厳しくする必要まではないんじゃないか? そんなふうに支持者から頼まれたら、議員もそう簡単に嫌とは言えなくなるね。自分や知り合いが、直接に暴力団の被害を受けていればともかく、そうでなければ、まあそれもそうか、と思う議員も出てくる。ま、これはほんの例え話だ」

「なるほど、よくわかりました」

 太郎は納得して頷いた。

「だけど、最初の店主にとって、自分を助けてくれた客が恩人であることには変わりがない。人物の素性や来歴ではなく、その行為こそを評価せよ、という考え方がある。暴力団員が災害被災地でボランティア活動をして、それでほんとうに助かった人がいた場合、その行為を責められるのか、ということだね。とくにそのボランティア活動がなかったら、助けの手が届いていなかったかもしれないようなケースでは、人助けの行為こそが重要で、どんな人が行ったのか、というのは関係ないのではないか、とする評価軸がある。一方で、渇しても盗泉の水を飲まず、という言葉もある。どちらかひとつが正しいなんてことは決められないんだ。その客の助力が、のちの利益を見込んだ打算的なものであったのか、真実助けたいという義侠心から行ったものなのかは、結局本人にしかわからないんだよ」

 そこでことりが「はい」と手を挙げる。

「なんだい? ことりちゃん」

「カッシテモとかなんとか、てのはどういう意味?」

「ああごめんよ、難しかったかな」

武雄は苦笑しながら太郎を見た。

「喉の渇きに苦しめられるほど水がなくて困っていても、盗んできた水だったら飲まない、という意味ですね。転じて、いくら困ったときでも、悪事によって得られた援助や、悪い人の助けであれば受け付けないという意思を示す言葉でしょう」

さらりと太郎が答えると、武雄は嬉しそうに破顔する。

「そのとおり。穂村君、きみ相当な本好きだろう? 違うかい?」

「え、まあ。はい」

「いいことだ。本はたくさん読んだ方がいい」

そこでことりがまた「はい」と手を挙げる。

「はい、どうぞ、ことりちゃん」

「本ばかり読まないで、スポーツで身体を動かすのも大切だと思いまーす」

わはは、と武雄が声を上げて笑った。

「それもまた正しい。望めるなら、両方バランス良くできるといいってことだね」

「あの」

ことりの話を無視して、太郎が口を挟んだ。少なくともこれまでの太郎は、本に使う時間をスポーツに振り分けることへの関心はなかった。

「いまの例え話ですが……マッチポンプ、という可能性は?」

「ほう、マッチポンプと来たか。というと?」

武雄が面白そうににやりとした。

 三度、「はい」とことりの手が挙がる。

「マッチポンプの意味なら、自作自演のことだよ。火を付けるマッチ、水をかける消防ポンプ、両方とも一人がこなして、自ら起こした火事に大騒ぎしたうえで、消し止めるような行動を指すよ」

武雄が目を向ける前に太郎が用語解説をしてしまったので、ことりはそのまま挙げた手を下ろした。太郎は言葉を続ける。

「その、トラブルを解決してくれた客が、トラブル自体も仕組んでいたってことはないんですか? 自ら仕込んだトラブルなら、解決することだって簡単ですよね」

「……そうだ。もちろん、その可能性はある。でもそれが事実だったとしても、店主に伝わることは決してない。だから、善意なのか打算なのか、店主には区別が付けられないんだよ。もし誰かが親切心で、あれは仕込みだったんだ、すべてお芝居だ、と耳打ちしても、いったん客を恩人だと信じてしまった店主は、それで考えを変えないかもしれないし、むしろ恩人を陥れる気かと怒り出すかもしれないね。人はみな、自分が受け取りたいように物事を解釈してしまうものだ。

 そういう人の気持ちのあり方やものの考え方を、反社会的組織の人たちはよく理解していて、利用する方法にも長けている。だから、今回の条例に反対する人たちも、こういうふうに、自分の意見に賛同してくれる議員を、時間をかけて作っていく。あるいは、そういうときのために、普段から恩を売れる相手や方法をいくつも用意しておくんだね。おそらく、私を脅迫しようとした人物には、議会の票読みも既にできているんだろう。取り込んだ議員の数が三分の一以上になっているから、この計画を実行したんだと思うよ。ああもちろん、脅迫の一手は明らかな犯罪だ。暴力で他人の意見を変えさせようとする、容認できない卑劣な行為だよ。

 でもね、そういう違法な手段に依らなくても、民主政治では議員全員がまったく同じ意見になることなんて、なかなかないんだよ。それはそれで、意見の多様性があるってことだから、健全な民主主義の姿と言えるね。みなそれぞれに、自分が正しいと思って行動する。条例に賛成しない議員がいることは、正常な民主主義の結果なんだ」

 太郎は城崎との会話を思い出していた。

(誘拐を依頼した人がいると言っていたっけ。なるほど、裏にいる人は、そういう企みがあったのか)

営利誘拐自体は、成功率が低く、リターンの期待値が小さいといわれる。つまり、割に合わない犯罪であるとする見方が一般的だ。そのため、誘拐事件を起こす犯人はあまり賢くないと思われがちなのだが、どうやら実行犯とは別に計画者がいるとなれば、話が違ってくるようだ。

「しかし、それも穂村君。きみのおかげで、こうして未然に防ぐことができた。礼を言うよ」

「いやそんな、ぼくは別に……て、なんで世羅さんが自慢そうなの?」

褒められた太郎が恐縮しているのに、そばのことりは胸を反らして自慢顔なのであった。しかし太郎がそちらを向くと、またもさっと目をそらしてしまう。見ていた武雄と多佳子が思わず笑いだし、なぜか間にいる亜佳音まで、つられてケタケタと笑い始めた。


 「さて、じゃあ次は穂村君の活躍の話を聞こうか」

武雄が太郎に向かって身を乗り出す。

「はぁ。そんなたいしたことはしてないんですが」

太郎はロードレーサーを借りたあと、既に見えなくなっていたクルマを音を頼りに発見したといった、いくら何でもそれは嘘だろうと言われそうなところを微妙にぼかしつつ、誘拐犯のクルマを自転車で追いかけて、廃工場跡へ行ったことを話した。ただ工場跡地へ着いたあと、太郎がたった一人で誘拐犯二名と対峙し、一人ずつやっつけてから警察を呼んだと聞いて、次第に武雄は険しい表情に、多佳子はひどく青ざめた表情になっていった。どうやら二人は、誘拐犯の潜伏先を突き止めた太郎がことりに連絡をしてきただけで、実際の犯人逮捕は、現地に向かった警察の手によって為されたと思っていたようだ。

 警察も太郎の行動について、事情聴取の内容を世良夫妻へ詳しく説明したわけではなく、あるいはそもそも工場跡地へ向かった警察官たちと、世羅家に配置された警察官とで、相互の情報共有がまだできていなかったのかもしれない。ただ結果として、二人はいま初めて、太郎が犯罪者と格闘してきたことを知ったのである。

 武雄と多佳子の動揺はなかなか深刻なもので、多佳子に至っては涙をぽろぽろこぼし始めていたので、太郎は仰天してしまった。

「え、なんかまずかったです……か?」

武雄は眉間にしわを刻みつつ、ゆるゆると首を振った。

「いや……。穂村君」

「はい」

「きみのしてくれたことが、私たちにとってとてもありがたく、嬉しかったのは疑いがない。どんなに感謝してもし足りないと言ったこと、これはもう揺るぎのない私たちのほんとうの気持ちだよ。だが、それを置いておいて、私はきみのしたことを褒めることはできない」

「?」

太郎は戸惑いを隠せない。

「きみはまだ中学生なのだ。きみが並みの大人よりもとても強いこともよくわかったし、結果としてはこうして無事に帰ってきてくれた。だけど、中学生が大人の誘拐犯に単身で立ち向かうなどと、とんでもないことだ。結果オーライで済むことじゃない。そんな危険なことをさせたとあっては、私たちはきみのご両親に土下座して謝らなくてはならない」

「そ、そんな大げさな」

「大げさではないよ。相手がもしもっと凶悪な連中であったら、いまきみの方が生きてここにいなかったかもしれないのだ。亜佳音やことりちゃんが無事だったことはとても嬉しい、でもそれは代わりにきみに何かがあってもいい、という話ではない。そもそもきみが一人で追いかけたこと自体にも問題あるが……少なくとも、相手がクルマを停めた段階で、きみはすぐに連絡を寄越すべきだった。たとえきみのほうが誘拐犯より強いのが事実だとしても、きみが自分自身で解決しようとすべきではなかった。きみ個人がいくら強くたって、大人なら中学生を出し抜く方法などいくらでも知っている。単に格闘の強さだけでは解決できなかったかもしれないんだ」

「わたしたちに、あなたをそんな危険な目に遭わせる権利なんてないのよ。同じ親として、わたしたちはあなたのご両親に、謝って済むものではないほどの申し訳ないことをしてしまったの」

 太郎は二人の言葉を聞いて絶句する。たしかにノックアウトはしたけど、実は十二分に凶悪な人たちで、そのあと拳銃で頭撃たれちゃいましたもんね、などとは口が裂けても言えなかった。

「……ごめんなさい。軽率でした」

太郎はうなだれて謝った。

「太郎ちゃん……」

隣りでことりが、太郎にどう声をかけたものか、と困り果てる気配がしていた。

 と、そこへ亜佳音が怒った声を上げる。

「パパ! ママ! 太郎ちゃんいじめちゃダメでしょ! 太郎ちゃんは強いの! 悪いおじちゃんよりずっと強いんだから、大丈夫なんだよ! ね、ことりちゃん!」

どうやら、太郎がごめんなさいと言ったことで、自分の両親が太郎を叱って謝らせたと理解したらしかった。

「も、もちろん! 太郎ちゃんはとっても強いんだからね」

ことりがあたふたといった感じで同意する。

「太郎ちゃんをいじめたら、パパ嫌いになっちゃうから!」

ぷんすか、と形容したくなるほど頬を膨らませて、亜佳音は武雄に指を突きつけた。え、ママはいいの? と太郎は思ったが、そのかわいらしい所作に思わずみな揃って吹き出してしまう。張り詰めた空気は一気に取り払われた。

「いや、それは困る! わかったよ、パパが悪かった!」

武雄はおどけるどころかきわめて真剣に亜佳音に答えていた。多佳子も、涙を拭きながら笑っている。

「じゃあ、パパも太郎ちゃんにごめんなさいして!」

亜佳音の指示に、武雄はすぐさま太郎に頭を下げた。

「ごめんなさい。……そして、こころからありがとう」

「……はい」

 太郎自身は、できるとわかっていたことをしただけだった。途中、油断して限界を超えた想定外の事態はあったものの、好奇心に走らずいち早く相手を制圧していたら、ほぼ危険らしい危険もなかったはずだ。だが、それは周りから見たらわからないことなのである。やせっぽちで小柄な中学生が、格闘技を修めた犯罪者に立ち向かう。そのことが大人にどんな印象を持たれるかなど、これまで考えもしなかった太郎は、深く頷いたのだった。


 * * * * *


 お読みいただきありがとうございます。

 週に1話ずつ更新します。

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