四 華燭(一)

 夕刻になり、たい殿でんではささやかな華燭の典が挙げられた。

 正装した王と家臣たちが居並ぶ中、王妃として着飾ったれんが王に入宮の挨拶をするというものだ。

 これは蓮花が正妃として嫁いだことを示す儀式だ。

 通常であれば続いて王が家臣を招いて祝宴を催すものだが、いまはそのような宴は控えるべき、という宰相の一声で取りやめとなっていた。

 結果として、蓮花は赤鴉宮に戻ってきてすぐ普段着に着替え、自室で夕餉を摂ることとなった。

 稜雅は政務が残っているということで、まだ泰和殿に詰めている。


「あ、この豚の角煮、すごく柔らかくて美味しい。魚のつみれ汁も良い味ね」


 王妃付きの女官ふたりと下女たちが運んできた料理に舌鼓を打ちながら、蓮花は機嫌良く食事をしていた。

 こう殿でんの料理人の腕前は、桓家の料理人に勝るとも劣らないものがある。

 食卓の上に所狭しと並べられた皿に次々と箸を伸ばしながら、蓮花は宮廷料理に満足していた。

 この献立が祝賀用なのか普段も同じ物かはわからないが、とてもひとりでは食べきれない品数の料理が王妃のために用意されていた。

 蓮花の足下では、ねいねいが用意された小魚の盛り合わせを勢いよく食べている。


「倖和殿の料理長は、王妃様のお口に合う料理を研究すべく、桓邸の料理人に桓家の料理を習ったそうでございます」


 女官のひとりである芙蓉が告げる。

 蓮花直属の女官は現在のところようりんのふたりだが、芙蓉は蓮花よりも四つ年上の二十二歳、佳鈴は二つ年上の二十歳ということだった。ふたりとも王妃付きに選ばれるだけあって、容姿が整っている。家柄も良いのだろうが、どこの貴族の出であるかはふたりとも名乗らなかった。

 華燭の典の前に、倖和殿の女官長が蓮花の部屋へ挨拶に訪れたが、女官長は五十代半ばでふくよかな体型をしており、おしろいの匂いがきつい婦人だった。結った髪に挿した簪には珊瑚、翡翠、青玉などが仰々しく飾られており、濃い橙色の襦裙に朱色の絹帯を締めていた。まるでこの倖和殿の女主人のような貫禄だ。王宮の細かな習慣については明日説明する、と言って去って行ったが、あの様子なら明日から蓮花にお妃教育と称して後宮のしきたりとやらを押しつけるつもりなのだろう。


(あの女官長は、口うるさかったお祖母様を思い出すわ。王宮は、王妃だからってなんでも思い通りになる場所だとはもちろん思っていなかったけれど、この様子だとわたしが思い描いていた三食昼寝付きの有閑王妃生活とはほど遠くなりそうね)


 後宮でなくとも王妃としてそれなりにのんびりと暮らせるかと思いきや、かなり期待外れになりそうだと蓮花は肩を落とした。

 蓮花が王位に就いた稜雅の妃になることが決まったのはほんの五日前だ。その二日後に蓮花自身に入宮が知らされ、大急ぎで準備をして今日を迎えた。

 貴族令嬢としての嗜みはひととおり身についているが、お妃教育を受けてきたわけではない。

 もともと桓家では蓮花を王の妃にする予定がなかった。

 理由は単純で、一年前まで稜雅が王になることを想定していなかったからだ。


(諸侯の妻の方が、まだのんびりと過ごせた気がするのだけど、なんだって稜雅は王になってしまったのかしら。――あぁ、お父様のせいね)


 芹那が淹れてくれた温かい茶を飲みながら、蓮花は父が稜雅を反乱軍の頭領に担ぎ上げたことを思い出した。

 約十年前、稜雅の父・ゆう碇仆ていふが亡くなった。

 その後、稜雅は桓邸でかくまわれるようにして過ごしたが、蓮花にとっては遊び相手ができたような気分だった。

 二年近く桓邸で潜んでいた稜雅が地方へ行く際、彼は蓮花に求婚した。数年経ったら迎えにくるから待っていて欲しいと請われ、蓮花は頷いた。当時の王の孫のひとりだった稜雅は、いずれ諸侯のひとりに任ぜられるだろうと蓮花や家族は考えていた。

 まだ前々王の治世で、游碇仆の死が多少稜雅の将来に暗い影を落としてはいたが、稜雅が成人すればそれなりの身分と地位が得られると蓮花も信じていた。七、八年もすれば蓮花は稜雅と一緒に王都を出て、多少鄙びていても穏やかな風土の地方で暮らすのだからと、胡琴などは人並みに演奏できるていどで満足し、詩歌はそこそこ学び、刺繍より裁縫をするようにした。


(地方に行ったら馬に乗って出かけたり、市場を見に行ったり、都ではできないようなことをいろいろできると思っていたのに、八代目のせいでなにもかもできなくなってしまったんだわ)


 さらに、稜雅が潦国九代目国王となったため、妃となった蓮花はほぼ一生王宮から出られない身となった。

 かつて大叔母は後宮を「三食昼寝付きで友人がたくさんできる女の園」と教えてくれたが、その後宮すら現在の王宮にはない。

 三食昼寝付きならなんとか達成できそうだが、女の園を作るためには年月が必要だ。


(諸侯の妻が駄目なら後宮で有閑王妃をしようと思ったのに、怠惰な生活ができそうな雰囲気がないわね。王が代わってすぐだから、仕方ないのでしょうけれど)


 豆腐に杏、の実、桃の実などを混ぜて蜂蜜をかけた食後の菓子を頬張りながら、面倒ごとが嫌いな蓮花は王妃になったことをいくらか後悔し始めていた。

 稜雅を頭領とした反乱は、かんきんの乱と呼ばれている。いつの間にか反乱に名がつけられ、世間に浸透したが、この乱に名をつけたのは蓮花の父であるきょうだ。彼は、乱の正統性を世に示すため、稜雅が坎巾の乱を起こして暴君である隼暉を倒したとした。


(そういえば、坎巾ってどういう意味かしら。お父様に聞いたら「なんとなく響きがよさそうだからつけてみた」って言いそうだけど、それなりに考えてつけてはいるわよね? 稜雅は全然意味なんて考えてなさそうだけれど)


 満腹になった蓮花が茶を飲みながらぼんやりと考え事をしていると、芹那が「お下げしてよろしいですか」と尋ねたので、黙って頷いた。

 下女たちはすばやく食卓から皿を下げて去って行く。

 倖和殿で働く使用人のほとんどは赤鴉宮に詰めているらしい。

 住み込みの女官たちは赤鴉宮のそばにある女官専用の宿舎で寝起きしている。この宿舎にはさらに女官の世話をする使用人がおり、専用の厨房がある。下働きの者のための宿舎もあり、倖和殿だけでも百人を超える者が働いている。そのほとんどの者は、王妃の目に触れることはない。


(坎巾の乱が成功したから稜雅は王になったけれど、もしこれが失敗していたら稜雅は殺され、乱を支援していたお父様は処刑、わたしたちだって連座で一緒に処刑されていたはずよね)


 後宮で隼暉が刺されていなければ、坎巾の乱は長引いていた可能性がある。

 王都はさらに荒れ、反乱軍を支持していた民衆の心が離れていたことも考えられる。

 坎巾の乱は国内を疲弊させたため、反乱軍を非難する者もいる。皆が隼暉の横暴によって苦しんでいたわけではなく、隼暉の失脚によって敗者となった者もいる。

 貴族の中には、隼暉によって官位を与えられた者もいる。そんな官吏すべてが王宮から追放されたわけではないが、汚職を疑われて職を辞した者もいた。隼暉の腹心だった者の中には、財産を失った上、暴君を諫めなかったとして世間から非難されている者もいるそうだ。

 隼暉の後宮から命からがら逃げ出した妃の中には、同じような目に遭っている者もいると聞く。


(隼暉王を暗殺して稜雅を王に即位させたのち、隼暉王を支持していた一部の諸侯が反旗を翻すだろうから、どちらにしてもまだまだ反乱の余波は避けられないってお父様はおっしゃっていたけれど、世の中というものはなかなか単純明快にはいかないものね)


 食後の満腹感は蓮花に多少の後ろめたさを覚えさせた。

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