第20話 最後の聞き込み

「遅くまですみません」


 雪知が立ち上がって謝罪すると、立川は笑顔のまま胸の前で手を振った。


「いえいえ、そんなそんな、私としても幽霊事件は早く解決に向かってほしいですから」

「ありがとうございます」


 人のよさそうな谷口は、笑顔を絶やすことなく柔らかい物腰で続けた。


「自分は、幽霊を見たことはないのですが、幽霊を見た子からは聞いてます……柊さんの幽霊だと」


「柊さんの幽霊の話を聞いて、支配人さんも柊さんの幽霊は本物だと思いますか?」

「……さあ、どうでしょう、私は霊感とかないですから」


 うなじを抑えながら首をかしげる谷口に雪知は続けた。


「柊さんについて、支配人さんから見てどういう方でしたか?」

「ああ、柊さんは大人しくて真面目で、すごくいい子でしたよ」


 皆、柊の印象については大人しくて真面目だと答える。こんなに人の印象というのは同じなものなのだろうか。雪知は考えた。例えば、不二三の印象であっても、先ほど立川は不二三を偉そうな探偵だと思っていた。


 しかし、実際は暗くて推理小説オタクのコミュ障だ。印象というのは、全員同じになるなんてことはあるのだろうか。


「支配人さんから見て、柊さんと一番仲がよさそうだったのって、誰ですか?」

「えーっと、そうですね」


 谷口は笑顔に目を細めながら少し考えて、うなじを触りながら背中を丸めた。


「近藤さんかな、よく買い物とかいってたし」


「……」


 不二三がぴくりと反応した。


「成る程、ありがとうございました」

「いえいえ、また何か聞きたいことがあればなんでも。ここ2日、3日は旅館を閉めようかという話を番頭としていたところなんですよ」

「え?」


「雪が凄くてですね、元々ここまでバスも車も来れないというのもありますが。幽霊騒ぎで変な人がきたがるんですけどあなた方の捜査の邪魔になるといけないし、電話で菅原君と番頭がお断わりしているみたいです」


「では、2日、3日はこの旅館にいるのは、我々とあなた方のみということになりますか?」

「そうなりますねえ」


 谷口は、笑顔を絶やすことなく頷いた。


「従業員の方々は、寮から通っていると伺ったのですか」


「ええ、まあ大体若い者は……車で5分ほどの寮ですよ。私や番頭は車でそれぞれ通っておりますけど、帰れない時は、旅館の仮眠室で寝泊まりですよ」


「食材とかはどうしているんですか?」

「まとめてトラックで運んでもらっています。昨日運んでもらったばかりなので大丈夫だとは思うんですけど、あまり雪が続くようなら危険覚悟でこっちからバス飛ばして卸売り会社まで取りに行く感じです」 


「え?」


 急に谷口に両手を掴まれて雪知は咄嗟に身を引こうとしたが、谷口は雪知を真っすぐ切実に見つめている。


「従業員もお客さんも減ってしまってこの旅館は今大変ピンチです。自分としてもこの旅館を潰したくなくて皿洗いでも、厨房でもなんでもやってます。幽霊は、お祓いをしてもらったのですが、それでも現れるんです。私は幽霊は人間の悪戯だと思っていますが、この従業員の中にそんな人間がいるとも思えません……」


 必死な表情の谷口を見て、雪知は真面目な顔で頷いた。


「犯人探しなんて、私はやりたくありません……でも、犯人が分かって幽霊とか、そういう噂がないということを証明して、また旅館が元のように賑わってくれればと、それだけです」


「必ず、我々が幽霊の正体を解き明かしてみせます」


 雪知が力強く谷口の手を握り返すと、不二三も頷いた。そして、不二三は雪知に聞くようにとメモをこっそり手渡した。


「それはそうと、谷口さん」

「はい?」

「2つ程質問よろしいでしょうか?」


「はい、勿論」


 谷口は、笑顔を崩さず頷いた。


「伊藤さんと柊さんの関係についてなんですけど」

「……はい?」


 谷口はうなじを触りながら微笑んでいる。雪知も不二三も、柊のことを聞いた時様子のおかしかった伊藤について気になっていたのである。


「何か知っていることなどございますか?」

「いえ?何も」


「柊さんと伊藤さんは、仲がよかったですか?」

「さあ、伊藤さんもあんな感じであまりしゃべったりしないタイプだから」


「成る程……ではもう1つ」

「柴咲さんについてなんですけど」

「ああ、柴咲のおじいちゃんですか」

「柊さんと柴咲のおじいちゃんとの関係については、何か知っていることはありますか?」


「いや~あの2人ですか、柴咲のおじいちゃんはたまに皿洗い手伝ってくれたり、掃除を手伝ってくれたりシーツ変えてくれたりするおじいちゃんで、柊さんと話しているところあまり見たことなかった気がするなあ」


「柴咲さんが、柊さんの幽霊を見た時謝ったそうなんですよ。ごめんなさいと、何か谷口さん的に心当たりなどはありますか?」


「……」

 谷口から一瞬笑顔が消え、また一瞬で笑顔が戻った。


「さあ、柴咲のおじいちゃんボケが始まってるから、またボケで何かおかしなことを言っちゃったんじゃないかなあと思いますけどね」


 ボケが始まっているというのは、柴咲と幽霊を見たという昭道弟も言っていたことだった。


「明日柴咲さんはいらっしゃいますか?」


「ええ、朝からくると思いますよ、柴咲のおじいちゃんも、もう年だからあまり無理させないようにしようって番頭と話してて」

「柴咲さんはどうやっていらっしゃるんですか」


「寮に住んでますよ、30代の時にここに入ってからずっと寮の同じ部屋に住んでいると言ってました」


「番頭さんと、谷口さん以外は寮に住んでいるということですか?」


「はい」

「ありがとうございました」

「いえいえ」


 立ち上がった谷口は、雪知と不二三に頭を深々と下げた。


「では、よろしくお願い致します」

「はい」

「それと、捜査を依頼しておいてこういうのはどうかとは思うんですが……ここは真っ白な雪景色が綺麗な素晴らしい旅館ですので、ご宿泊をほんの少しでもお楽しみくださればと思います」


 捜査に前のめりだった雪知は、谷口の言葉で少し肩の力が抜けたのを感じた。


「普段は、えっと10時にはお風呂しめちゃうんですけど、現在9時半で焦って入ってもらうのも申し訳ないので、10:30にしめることにしました。露天風呂は雪が凄くて入れないかと思うのですが、温泉は非常にゆっくりできますよ。いい夜をお過ごしになってください」


 優しい笑顔で温かい言葉をかけてくれる谷口の気遣いに、雪知も固くなった表情がほころんだ。


「はい!ありがとうございます」

「……よ、よろしく、お願い、します……」


 不二三も深々と何度もお辞儀をして、谷口の背中を見送った。従業員が足りなくて少しでも休みたいときにわざわざ人を集めてくれた谷口、そして集まってくれた従業員の方々。


 番頭の樫杉の言う通り、疑いたくないというのもわかってしまうかもしれない。

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