第2話 殺される探偵

ピンポーン。お客様が来たようだ、だがまた随分と早い時間。


不二三探偵所は、10時からだ。

でも、インターフォンが鳴ったのは9時だった。

どうしてこんなに早い時間から。助手が来るの9時30分毎回きっかりで、遅れたことも早まったこともない。だが今日は相当急を要する事件なのか、お客様は10時からという紙の前で、9時にインターフォンを押しているようなのである。


「ど、どうしよう、どどど、どうしよう、どうしよう」

コミュ障探偵の不二三は大慌てである。

机の下に隠れながら、まるで殺人鬼から隠れるように、震えていた。

「お客さんだ、どうしよう。本来なら、ソファで座ってもらって本でも読んでもらい、9時半にやってくる助手を待ってもらうのが筋なんだろうが、この探偵所には読んでもらう本が一冊もないし」


 不二三は、最近レストランやカフェでの指さし注文ができるようになり、たまに外食に行くようになった。その際、レストランに置いてある本は普通に読むタイプだ。

むしろ、伊藤先生の作品を置いているなんていいレストランじゃないかまた来ようというタイプだ。だが、自分の探偵所に置いてある本は断固自分の物であり、絶対に触らせたくないのである。


「彼に早く来てもらうように、電話、電話しよう」


 不二三は、急いで机に置いてある白い固定電話を手にした。このご時世だし、もうお互い21歳なのだし、スマートフォンを買ったらどうだと助手に言われ続けている不二三だったが、携帯に登録する際に携帯ショップの定員と会話をしなくてはならないのでどうしても行きたくないらしかった。それは恐らく助手に任せるのは難しいんだろうということもわかっていたからだった。


「も、もしもし。もしもし」


「どうしたんだよ、そんなに焦って。まさか1時間前にお客さんが来たなんていわないよな」


慌てている不二三とは対照的に、低く、落ち着いたクールな声が受話器の向こうから聞こえてきた。

「そのまさかだ、まさかなんだ、助けてくれ、助けてくれ」

 お客さんが来たというのに助けてくれというのが、残念ながら不二三という男である。


「はあ、すぐ支度していくから待っていろ。とりあえずそのまま放置していくわけにはいかんだろ。とりあえず上がってもらえ。前にコーヒーの出し方教えただろう。手でソファを指して、コーヒーを作ってお出しして待ってもらえ」


今の季節は冬だ。自分はグレーの着物に、紺色の分厚い羽織を着て、ヒーターのぬくぬくした部屋にいて、さらにいえば机の下にうずくまっておいて、お客様を外で待たせるのはよくないだろう。それはわかっている。わかっているんだそんなことは。でも、怖いのが不二三なのだ。


「ひ、ひい~」

「ひいじゃない。はい、だろ」


ブチと電話は切られた。助手はもっと彼に対して甲斐甲斐しく世話を焼き、優しい印象を持っていた方は申し訳ないが、不二三の助手は、不二三に対していつもこんな感じで、ライオンが子ライオンを崖から突き落とすかの如く一貫して厳しい態度である。


それはいつものことなので、不二三も彼がなんとかしてくれるなんて思っていない。ただ困ったときは彼の電話番号を押す癖がついているし、お客様なら彼に頼らないといけないと不二三は電話を手にしたのである。


幸い、彼は昨日お風呂に入っていたし甚平も昨日助手が洗濯をしてくれたものだし、髪の毛は今くしですいている。


そして、髭は風邪をひいたとでもいってマスクで隠してしまおう。よし、完璧だ。不二三は、胸に手をあてて大きく深呼吸をした。


 そして、初出勤する正社員の如く、緊張した面持ちで扉を開けた。


「はい」

 扉を開けると、覆面を被った人物が立っていた。

「え?」


その人物が男なのか、女なのか。黒いコートと手袋、170センチくらいの女といわれてもおかしくない身長でわからなかった。それよりも不二三は、その人物の手にしているスタンガンに視線が釘付けだった。


「それって」

 言い終わるまでにバチっと電気がはじける音がして、不二三の視界に閃光が走った。スタンガンが、不二三の手に押し当てられたのである。 

「あ……あァ、あァ」


 びりびりと体を電気が駆け巡り、舌が痺れて言葉が出なかった。不二三は、自然と体中に走る痛みで涙で視界が歪むのを感じた。


「殺されたくなかったら、最近依頼された飛騨高山の行方不明事件の調査資料を出せ」


覆面によってくぐもった声、聞き覚えがないその声に、不二三は、男だということしか判別することはできなかった。


 お前は誰だ……覆面男。震える手を伸ばすが、覆面男は、床に落ちていく不二三を無機質に見つめているだけだった。どさりと倒れた不二三は、痺れて動かない体を必死に折り曲げて助けを呼ぼうとした。だが、不二三にスタンガンを食らわせた犯人は、扉を閉め、内側からつまみをひねって鍵をかけた。起き上がれない不二三を確認すると、覆面男はそのままずかずかと探偵所に入っていった。


そして、不二三の机の引き出しを漁り始めた。

何か……探しているのか。不二三は、かすれた視界で覆面男を見ることしかできなかった。助手がきたら大変だ、すぐに襲われてしまう。


犯人は、不二三の髪の毛を無理やり掴むと、もう一度告げた。


「おい、死にたくはないだろう。さっさと8年前の飛騨高山で起きた行方不明事件の資料を出せ!」


飛騨高山の行方不明事件。そう、一週間前に依頼されて少しずつ調べていた事件だ。


最近岐阜、飛騨高山で女性の白骨死体の頭部が見つかった。それは、奥飛騨の旅館に泊まり、趣味の釣りに来ていた男性が川の上流で発見したらしい。

白骨死体の頭部から、年齢は推20代くらいだったが、どうやらそれは8年前に行方不明になった飛騨高山の旅館で働いていた柊ゆらぎさんのものだと判明した。柊さんは、8年前の猛吹雪の冬、旅館に残って掃除をするといったっきり行方不明になったらしい。朝方、柊さんが帰ってきていないと知った同僚が、警察に連絡したそうだ。


高山県警は必死で柊さんを捜索したが、結局見つからず捜査は打ち切りになった。だが、その柊さんの白骨死体の頭部が、8年後何故か彼女の働いていた旅館の近くの川で見つかったのだ。


 どうして今更。と、そして8年後、旅館内で黒く長い髪の女性の霊を見たという情報が出始めたことに加え、その旅館に幽霊の出る旅館だなどとささやかれ始め、オーナーが不二三に依頼をしてきたのであった。


「幽霊なんて誰かの悪戯だと、調査して証明してやってください」


 青い顔のオーナーは、冬だというのに何度も汗を拭いていた。相当まいっているようで、血色のいい顔に対して刻まれたクマが疲れを表していた。


「任せてください!こちらで調査を進め、来週あたりそちらの旅館にもお伺いさせていただきます」


 助手が笑顔でそういうと、オーナーは安心したように目を細め、巨体を揺らしながら帰っていった。


その調査を助手を2人で進めていた不二三だったがその旅館に向かう日が明後日というところまで迫ってきていた。オーナーにも明後日に伺うということは伝えてあり、調査書を持ち寄り、報告も兼ねて宿泊させてもらうということになっていた。


 それなのに、こんな犯人に調査書を奪われてはたまったものではない。


「言わない……」

 覆面野郎は、スタンガンを不二三の鼻の前にぐいっと突き出した。

「言わない!」

 不二三は、気弱でコミュ障で臆病な男だったが事件解決の為に助手が駆け回って調べてくれた情報をいきなり自分を襲ってきた犯人に自分の安い命欲しさに教えるような人間ではなかった。覆面男は、スタンガンのスイッチを入れた。スタンガンにはばちばち電流が流れ、不二三の鼻を焦がそうと今か今かと先端を光らせている。

 バチっという音がして不二三の鼻先にスタンガンが押し当てられた。

「あああああああああああああ!!」


 不二三の鼻に焼け焦げるような痛みが走り、不二三は絶叫して悶え苦しんだ。もう一度、覆面野郎はメモを見せた。そして今度は不二三の目にスタンガンを突き付けた。不二三は、黒黒としたスタンガンの焼け跡が刻まれた鼻をひくつかせると、必死に首を振った。


 そしてまたも覆面男はスタンガンを容赦なく押し当てた。


「あああああああ、ああああああああ!!」


 まずは右目、眼球がえぐられるよりも酷い痛みが走る。だが、不二三の目は死んでいなかった。左目が生きている。そして犯人はとうとう左目に手をかけようとしたが、何度やっても同じだということに気付いたのかぴたりと手を止めると、すっと立ち上がった。

 そして外に出ていった。


 なんだ。どうしていきなり外に出ていった?扉を左目で見つめる不二三だったが、6秒数えるよりも早くこの場を訪れた犯人の手に持っているものを見て全てを察した。


 赤い容器を2つ抱えた犯人は、たぷたぷ音がする中身をこれみよがしに不二三の前に突き出した。ガソリンの匂いが潰れた鼻に微かに広がる。

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