第20話 準備
どうするかが決まってからは早かった。王都に先に帝国軍が着いたなら、街道の通りに帝国軍は移動してきている。
そこから考えて、残された時間は一週間弱だろう。公爵領ではなく王都で軍を分けたのなら大体二週間ほどの猶予となる。
聖女がバルド皇国との戦いにまで参加するかは分からないが、バルド皇国とルーゼン公国を占領すれば大陸の南部の大半をヴェネト帝国のものとすることができるのだ。高い確率で聖女が同行するのは間違いない。
ならば、大型の魔獣が多く棲息する魔の森であろうと、問題なく通過することが出来るはずだ。
そうなると、最も重要なことは出来るだけ多くの物資を運ぶことだ。
「そ、ソフィアーナ様……! 馬車が足りません!」
髪を振り乱して走ってきたベルティラにそう言われて、伯爵家の物資を確認していた手を止めて振り返る。
「ベル。街道のぎりぎりまでは馬車を使うけど、その後は背中に背負って行くしかないのよ? 馬車に乗る分だけで限界だわ」
そう告げると、ベルティラは泣きそうな顔で胸の前で手を合わせる。
「そんな! 私のお菓子が……! お気に入りの食器セットが……!」
「……最初に言ったように、長期間保存できる食料や調味料、衣服、大工道具や農耕器具が優先よ。食器なんて避難先で木を切れば作れるわ」
「はう」
きっぱりとベルティラの要望を却下すると、悲しそうな悲鳴が聞こえてきた。思わずお菓子を持っていってやりたくなるが、今は心を鬼にしなくてはならない。
「ほら、服はしっかり選んで良いから、急いで準備してね。あ、家にある武具や私財も持てるなら持ってきた方が良いと思うわよ」
「もちろんですよ! 我が男爵家の所有する家宝の短剣も持ってます!」
「……家宝で持つなら長剣の方が格好良い気がするけど」
「ちょ、ソフィアーナ様!? 凄い短剣なんですよ!? 持つ人は皆戦争の英雄になって死んだという……」
「置いていきなさい。敗戦で国外に逃げるのに縁起が悪すぎるわ!」
「そんな!」
とんでもない家宝を持ってこようとするベルティラを諫めていると、騎士団の出立準備を整えていたディルクがやってきた。
「ソフィアーナ様。全員の確認が終了しました。武具、野営道具、その他物資ともに問題ありません。また、各個人で所有する私財についても持ってくるように言っております」
「……かなりの量になりそうだけど、森の中を運べる?」
「問題ありません。通常訓練での物資運搬より軽いくらいです」
力強い報告を受け、なんとなく肩が軽くなった気がした。こういう時、ディルクのような頼れる騎士がいると安心できる。
「そう。それなら良いわ……それじゃあ、帝国軍が来た時に少しでも時間稼ぎが出来るように細工をしていくわよ」
「はっ! それでは、すぐに取り掛かります」
指示を出すと、ディルクは素早く反転して移動を開始した。ディルクを含めた上級騎士五名と森で斥候を担当するギゼル。そしてヘレナとベルティラには今後の作戦を共有している。
出立準備が整い次第、東部へ向かう街道に出てギゼルを先頭に移動を開始。最後尾はディルクが率いる十名の騎士に任せる。
町には目立たないように油壷を至る場所に仕掛けている。特に、伯爵家の武具倉庫については持ち出せない物が多くあった為、そこには多めに油壷を置いておいた。最後に火を放って逃げるのはディルク達の役目だ。少しでも足を遅らせる為に、帝国軍が町の中に入った瞬間に火をつけて脱出する手筈である。
最後に、記憶にとどめておこう。そう思って、侍女たちと一緒に物資を積んだ馬車で移動しながら町の景色を眺めていく。結局準備に五日間を費やしたのだ。ゆっくり眺める時間はない。
「……この綺麗な町が燃えてしまうんですね」
侍女の一人がつぶやいた。可愛らしい赤毛の侍女で、いつも明るく元気な女性だが、この時ばかりは悲しそうに沈んだ顔をしていた。
「仕方がないわ。一番大事なのは領民の命と生活よ。町はまた建て直すことが出来るもの」
そう答えると、侍女は涙を一筋流して頷く。
街道まで移動すると、もう先発隊は出発した後だった。残っているのはベルティラの馬車と私の馬車。そしてディルクを含める十人の騎士達だ。侍女達もいるので、人の数だけ数えたら二十人ほどだろう。
「……お母様はちゃんと先に行った?」
尋ねると、ディルクは黙って頷く。ヘレナには先発隊に異変が起きた時の対応の為に二番隊として出発してもらっている。
実際にはそれを言い訳にして、渋るヘレナを先に出発させただけなのだが。
そういった事情を察しているのか、ディルクは優しげな目でこちらを見て口を開く。
「……ソフィアーナ様。シンクレア伯爵家はソフィアーナ様がいらっしゃれば立て直せます。御身を大事になさってください」
「ありがとう。自暴自棄にならないようにするわね」
ディルクの言葉に冗談交じりにそう返事をした。
その時、町の南側の方から大きな声が響いてきた。間違いなく、兵士の士気を向上させる為の鬨の声だ。圧倒的人数差を利用して、一気に伯爵領を制圧する気だろう。
「ディルク」
名を呼ぶと、ティルクは馬に乗って頷いた。
「任せてください」
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