第49話 「自分」を伝えて

 気がつけば、誕生日パーティーから半月が過ぎていた。そろそろ2月だ。中2の2月といえば、大きな行事がある。僕は今、その行事で発表する作文に関して先生と話していた。

「宮日くん、何かないかな? お父さんお母さんへの感謝の気持ちとか、将来の夢とか。立志式ではクラス発表があるから、ちゃんと書かなきゃ。頑張って」

「はい……。やってみます」

 先生に応援されて、席に戻る。気づかれないように、ため息を逃がした。

 みんなは、それぞれ自分の作文を集中して書いている。それなのに、僕はまだ一文字も書けていない。

 何を書いたらいいのか、わからないんだ。

 感謝の気持ちってなんだろう。育ててくれたことや、支えてくれたことへのお礼だって先生は言っていたけど……。お母さんとお兄ちゃんは小さいころに亡くなってしまった。作文に書けるような、ハッキリした記憶はない。お父さんは家にいない日のほうが多い。僕からお父さんに感謝することは、きっとたくさんあるのだろう。でも僕が思いつくのは金銭面での支えだけで、寂しいときやつらいときに心の支えになってもらえた思い出はないんだよね。

 そんな考えのまま家族への感謝の気持ちをつづっても、心のこもった文章は書けないと思う。

「どうしたもんかなー……」

 誰にも聞こえないような声の大きさで、息を吐き出した。けれど、紙と鉛筆がこすれる音しかしない教室では、すぐ近くの人に聞こえてしまったらしい。

「宮日さん」

 机をトントンと叩かれて顔を上げると、夏絵手が僕をのぞきこんでいた。

「なっ、なに?」

 ドキッと心臓が跳ねて、夏絵手から目をそらす。

 この子は本当に距離感がおかしい。どうしてこう……、わざわざ顔を近づけるんだろう。

「将来の夢、少し考えてみては? 家族よりは考えやすいかもしれませんよ」

 それだけ言うと僕から離れて、自分の作業を再開してしまった。

 夏絵手の将来の夢は、薬剤師だそうだ。薬が好きな夏絵手らしい。

(将来の夢、か……)

 僕の、将来の夢……。そういえば、いつの間にか考えなくなっていた。昔は色々言ってた気がするけど、今となっては思い出せない。

「うーん……」

 1人で悩んでいる間に、授業が終わってしまった。

 また、先生に怒られるなぁ……。


 ☆


 放課後、僕は響に会いに行った。響は部活があるから、ゆっくり話すことはできない。事情を短く話して、アドバイスを求めた。年上なのに、情けないけど……。

「そっか。立志式があるのか」

 響は荷物をまとめる手を止めて、数回まばたきした。少し考えたあと、僕に向けて口を開く。

「『将来の夢はありません』じゃ、駄目なの?」

「へっ?」

 予想もしなかった質問をされて、目を丸くした。

 コテンと首をかしげる響は、いつもどおり無表情だ。

「それは……言われてないけど、駄目じゃないかな?」

 さすがに、『夢はないです』なんて言えない。保護者の前で発表するんだよ? そんなことを発表する勇気は、僕にない。

「言い方を変えたら? 『僕の将来の夢はまだ見つかっていません。これから夢を見つけていきたいです』みたいな」

 な、なるほど……? いいの、それ? 先生は、そんなこと一言も言っていなかったよ。

「いいって。無理に夢を見つける必要なんてないんだからさ。てか、優は夢を見るより現実を見ろ。最近、元気ないだろ。ひとりで悩み過ぎなんだよ。少しくらい話せ。俺らのこと信用して。先輩も心配してるから」

「うっ、言い方強……。その気になったら話すよ。ごめん、邪魔して。聞いてくれてありがとう。また明日」

 僕は響にお礼を言って、作文の内容をグルグル考えながら、響のもとを離れる。僕がいなくなったからか、クラスメイトが響に話しかける声が聞こえた。

「なあ不知火。帰りの会で先生、明日の朝のことなんて言ってたっけ?」

「全校朝礼があるから、遅刻しないように」

「それだ。サンキュー」

「どういたしまして」

 いつもより優しげな声音からして、相変わらず優等生を続けているらしい。

「素直になればいいのに」

 響に向けた言葉のつもりだったのに、自分の心臓が鷲掴みにされた気分だった。


 ☆


 響にアドバイスをもらってからの2週間は、今までよりも作文に苦戦しなかった。響のアドバイスどおりに書いてみたら、先生は駄目だって言わなかったし、横から見ていた夏絵手も「いいですね」って笑ってくれた。

 今日は立志式のクラス発表会当日だ。昼休みと掃除が終わったあとの、5、6時間目。すでに、教室の後ろや廊下に保護者がいる。目が勝手にお父さんを探してしまう。もちろん、どこにも姿は見えない。立志式の参観に関するプリントは、ダイニングテーブルの上に置いていただけで直接渡していないから、きっと見られてない。だから、来るはずないんだ。そう何度も繰り返す。

「みっ、宮日さん、緊張してきました……どうしましょう」

 お父さんを見つけられなくて気分が沈んだところで、夏絵手に身体を揺さぶられた。見ると、夏絵手の顔は真っ青で少し震えていた。

「夏絵手は発表いつだっけ?」

 発表順はたしか、先生が出席番号順だと言っていた。

 ということは、転校生の夏絵手は……。

「最後です」

 だよな。早く終わったほうが、緊張は薄れるんだろうけど……こればかりはしょうがないか。

「大丈夫。なんとかなるよ」

「うー……なりますかね……。お腹痛くなってきました……」

 なるなる。始まれば終わるんだから。大丈夫、大丈夫。

「わかりました。頑張ります」

 夏絵手は何度も深呼吸して、小さくうなずいた。



 クラス発表会は、着々と進んでいく。

 僕の発表は後半なのに、あっという間にその時になってしまった。

 僕は教壇に立って、教室を見下ろす。

 また、お父さんがいないか探してみる。来ているわけがないのに、期待する自分がいる。でも、やっぱりいなかった。

 深呼吸して、作文に目を落とす。口を開いて、声を出した。

「僕は、将来の夢を見つけられていません――」

 一言一句間違えないように、ゆっくり読む。

 みんなの発表を聞いて、正直不安になった。親への感謝の気持ちを伝える子もいれば、将来の夢を堂々と発表する子もいて、僕のように曖昧なことを書いている子はいなかった。こんな作文でいいのか、と考えてしまう。今となってはもう遅いのに。

 原稿用紙2枚分もない作文が、とてつもなく長く感じられる。まるで終わりの見えないトンネルみたい。それでも、夏絵手に言ったように、始まれば終わると心の中で自分に言い聞かせる。

「――これから少しずつ、将来の夢を見つけていきたいです」

 最後の一文を読み終わると、拍手が響いた。

 知らないうちに緊張していたらしく、意識せずに大きく息を吐いた。

 席に戻るとき、なんとなく廊下を見た。

「……!」

 思わず上げそうになった声を、すんでのところで止める。

 会いたいと思っていた人が、そこにいた。

 僕と目が合うと優しくほほ笑んで、くるりと背中を向けた。そのまま、歩いていってしまう。

 僕は駆け足で席に戻ると、作文を置いて教室を飛び出した。いろいろな人に訝しげに見られたけれど、気にしている場合じゃない。

 廊下を走って、階段を駆け下りる。踊り場を歩いているのを見つけて声をかけた。

「お父さんっ!!」

 声は、ちゃんと届いたようだ。

 その人――お父さんは振り返って、僕に驚いた顔を向けた。

「優、授業は……」

 小さく僕の名前をつぶやいて、何か言いかけた。授業は……って、今はそんなことどうでもいいよ。

 僕はお父さんとの距離を縮めて、前に立った。

「……見に来てくれたんだね。ありがとう」

 なんて言えばいいかわからなくなって、そう言った。

 本当は、もっと言いたいことがあると思う。けれど、頭は真っ白で言葉が出てこない。

「ああ、テーブルのプリントを見つけたんだ。すまないな。直接渡せなかったろう」

「ううん。来てくれて嬉しいよ」

 僕が笑顔で話すのに対して、お父さんは少し悲しそうな顔をしている。どうしてそんな顔をするんだろうか。何か、悲しまれるようなことをしたかな。

「将来の夢は、まだないんだな」

「うん。そうだよ」

 もしかして、将来の夢がないことを心配しているのかな。でも、そうだったら悲しそうな顔をする理由にならない。

「何か、好きなことはないのかい? 夢は好きなことや興味があることの延長だろう」

「んー、それどころじゃなくてさ」

『将来の夢』なんて、希望の塊のようなことを考えられるほど、心に余裕は残っていない。僕の未来を考えると、どうしようもなく胸が苦しくなる。『今』をかろうじて生きているだけだ。

「……」

 お父さんは、黙って僕を見つめている。

 と思ったら、わしゃわしゃ頭をなでられた。

「わっ、なに?」

「いいや。……何かあったら、相談しなさい」

 お父さんは優しい声音で言うと、続けて「発表よかったぞ」と笑ってくれた。

「じゃあ、お父さんは帰るよ」

「うん。気をつけて帰って」

 僕は、遠ざかる背中に向けて手を振った。



「もうしちゃ駄目よ。わかりましたか?」

「はい。すみませんでした」

 帰りの会の後、クラス発表会で勝手に教室を出ていったことについて、先生に叱られてしまった。

 席に帰ると、夏絵手が僕を待ってくれていた。戻ってきた僕に、苦笑いを向ける。

「お疲れ様です。急に出て行っちゃったので、ビックリしましたよ」

「あはは……。実は、お父さんを見つけたんだ」

「えっ! よかったですね」

 リュックを背負って、2人で教室を出る。

「そうだ。今日はどこの部活も活動がないようなので、後輩を呼びに行きませんか?」

「そうだな。行こう」

 1年のフロアは1つ上だから、階段をあがる。

 響のクラスの近くに来て、教室の中が見えたところで足を止めた。

 まだ誰も帰っていない。しかもみんな席に座っているし、教壇に立っているのは先生じゃなくて響だ。

「帰りの会かな」

「いえ……違うっぽいです」

 僕らは顔を見合わせると、様子見することにした。


 ☆


 優と雫が教室を出る数分前のこと。


「あの……先生」

「どうした不知火?」

 俺・響は、帰りの会の前、担任の先生に話しかけた。

 教室では、クラスメイトたちが騒いでいる。小さな声だとかき消されてしまうだろうと、少し声を張った。

「この前の提案、受けます。帰りの会の後、時間をいただいても良いでしょうか」

「もちろん。頑張れよ」

 先生は一瞬きょとんとして、すぐにうなずいた。

 言葉足らずだったかと思ったけれど、伝わってよかった。

 提案とは、一ヶ月ほど前から保留していたものだ。

 俺がついている嘘。それによって苦しい状況にあること。

 先生に話したのと同じことをクラスメイトにも伝えないか、という先生の提案は受け入れがたいものだった。

 何度も考えた。もし、嫌われたら? 責められたら? 失望されたら? もしもの悪い未来ばかりを。

 けれど、そんなのは想像でしかない。もしかしたら、みんなは受け入れてくれるかもしれない。

 そんな〝もしも〟を知るには、一歩踏み出すしかないんだ。

 俺は今日、その一歩に未来を懸ける。



 教壇に立つと、席に座って俺を見つめるクラスメイトが目に映った。

 深呼吸して、震える手足に力を入れる。

「みんな、少しでいいから、俺の話に耳を傾けてほしい」

 どう話したらいいのだろうか。

 一気に話しても、きっと記憶に残らない。だから、話したいことは1つにしぼってきた。けれども、上手く伝えられる言葉が見つからない。

 いや、「上手く」伝える、なんて考えるな。伝わればいいのだから。

 俺は、小さく息を吸う。

「実は俺……みんなに嘘をついてる」

 優等生らしく振る舞うのはやめよう。優や夏絵手先輩と話すときのように、偽りのない俺を見せるんだ。

「俺は『優等生の真似』をしているだけで、本当は全然そんなことない。みんなの期待を裏切るのが、失望されるのが怖くて、優等生らしく振る舞っているうちに素を出せなくなった。だまして、ごめん」

 言葉を一つ一つ選んで、ゆっくり話した。

 ざわめきが、だんだん大きくなった。クラスメイトは顔を見合わせて、表情を曇らせている。

 心臓が激しく鳴り、耳の奥が圧迫される感覚がして、気分が悪くなった。次の出来事は何か、悪い想像しかできない自分が恨めしい。

「だましてっつーか……それって、不知火は謝らなくてよくね? 悪気があったんじゃないだろ」

 コソコソ話すクラスメイトが多い中、阿部くんが気だるげに言った。

 肘をついて、眠そうな表情で俺を見ている。

「てか『優等生』って真面目に受け取らなくていいよ。たしかに、そういうイメージはあるけど……不知火が優等生じゃなくても『そういうところもあるんだー』としか思わん。みんな意外と軽いノリで使ってるからさ。『すごい』『ヤバイ』と同じ感じ。だよな、みんな?」

 阿部くんの問いかけに、みんなは何度もうなずいた。

 予想外で、繰り返し瞬きする。

「だから、無理して優等生にならなくていいよ。でも、俺らのせいで苦しませてたなら謝る。ごめんな」

「い、いやいや、そんな謝らないで。そっか、俺が気にしすぎてただけか……」

 長いこと肩にのしかかっていた重荷を、ようやく下ろせた気がする。

 それにしても、みんなはそこまで気にしていなかったとは。

「なんだぁ……」

 大きく息を吐き出した。直後、力が抜けて座り込んでしまう。

「不知火!?」

「しっ、不知火くん、大丈夫……!?」

 阿部くんと、今まで黙って話を聞いていた渡辺さんが、ほぼ同時に立ち上がった。俺に駆け寄って、心配そうな顔を向ける。

「大丈夫。なんか力が抜けただけ」

 これまでずっと気を張っていたからかもしれない。

「もう帰っていい感じ?」

 1人が聞いた。

 そっか、部活や習い事のような予定があるだろうから、そろそろ解放されたいよな。

「いいよ。話を聞いてくれてありがとう」

 言うと、大勢のクラスメイトは、教室を出ていく。中には、一言かけてくれる子もいて、温かい気持ちに包まれた。

「ひーびきくん」

 クラスメイトが少なくなったころ、背後から声をかけられた。振り返ると、優と夏絵手先輩がいた。

 優の声だとはわかっていたけれど、なんで急に響「くん」って……。いつも呼び捨てにするのに。ちょっとだけ、寒気がした。

「帰ろう」

 優に満面の笑みを向けられて、俺はすぐにうなずいた。となりの夏絵手先輩も、柔らかくほほ笑んでいる。

 3人で教室を出て、しばらく黙って歩く。校門を通過したところで、ようやく優が口を開いた。

「響は偉いね。前に進めてよかったよ」

 何を言うかと思えば、たったそれだけ。

 俺に向けて言ったのかと思ったけれど、優がこちらを見ることはなかった。本当に俺に向けられた言葉なのか、わからない。

 でも、背中がゾッとするような嫌な感じがしたことだけは、絶対に気のせいじゃない。

 それは悪意とかじゃなくて……もっと別のものが原因だと、そんな気がした。

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