魔法使いは奇跡の外に

陰日向日陰

プロローグ

世界が彼を思い出す

「魔王が!」


 協会の扉が開かれるやいなや、勇者の一人がそう叫んだ。当然、騒がしかった協会内部は静まり返り、ぽかんとしている冒険者たちを素通りして彼ら彼女らは受付まで行く。

 八人組だった。勇者二名、斥候一名、戦士一名、魔法職ニ名、神官一名。

 それは、いつもここの協会を拠点にしていたから、常連は皆知っていた。そして、彼らが数日前に、強行軍で魔王城まで赴いていたことも。


 人類の生存圏の中で、最も魔王城に近いこの城塞都市は、魔王軍にも人類側にも属さない魔物が腐るほどいる山脈の、その只中にあり、ここからそんな山々をいくつか超えたところがその目的地だ。

 慣例に則れば、その魔物たちを討伐、あるいは交渉して徐々に進軍していき、最終的に精鋭数パーティーで魔王城に乗り込み魔王を討つはずだが、それを、この八人は数日で踏破し、そして帰ってきた。


 その第一声があれだ。


 金髪の勇者が、全体を代表して受付嬢に言う。


「魔王城にいた魔族は全員殺されていて、俺たちが魔王の間に着いた時には、魔王の首が落ちるところだった。誰かに殺されたんだ」

「えっと、それはあなた方が殺した、ということではなく?」

「違う。何者かに殺された」

「と、とにかく報告を受けます。こちらへ」


 勇者の言い方に違和感を覚えながら受付嬢が問うが、当の本人は即座に否定する。その場にいなかった受付嬢では、武器防具の損傷が、強行軍道中のそれなのか、魔王城での戦いのそれなのか区別がつかない。


 が、魔王討伐のために選出された勇者という身分において、わざわざ、魔王が、と偽る理由もない。


 受付嬢は困惑しながらも、取り敢えず細かな報告を受けるために彼らを裏の応接間に案内する。支部長を呼んで、カウンター業務を同僚に任せて。

 その傍ら、ふと思った。


 そういえば、彼らはなぜ、魔王城へ強行軍で向かったのだったか。


  §


 つまらない、権力と財力を貪った辺境の大貴族が報いを受けるというだけの、ありふれた話である。


 雨の日だった。


 魔王暗殺の報が全世界に回って、その貴族も手の者に確認を取りに行かせ、その報告を受け取った、丁度その日の夜のことだった。


 既にひと月ほどが経過していたが、その間に、奇妙な噂が流れていた。


『姿形のない暗殺者が、弱者を助け、悪者を裁く』


 どこから湧いた噂であったかはもう定かではないが、その噂を聞いた者は皆、納得して別の者にまた噂を広げた。


 その暗殺者は、魔王を手にかけた者だ。


 魔王ほどの悪さえも裁ける者がこの世にいるのであれば、それは確かに、悪者を裁けるのであろう。そして、弱き者を救うことさえできるのであろう。


 ――馬鹿げている。


「所詮、権力を持つ者は金を持つ。金を持つ者は権力を持つ。金を使うか、権力を使うか、その選択があるだけ。金がどんな形で保存されてるか、権力がどのような形を取っているか、その些細な違いがあるだけだ」


 そして俺は、それを持っている側だ。


「持っていない者は持っている者に従わなければならない。つまり、持てる者こそが正義なのだよ」


 勝てば官軍。勝つのは持てる者だ。


 だが、弱い者の心理はよく分かる。弱いからこそ、持っていないからこそ、ありもしない強者に、正義に憧れる。そしてそれらに祈るのだ。


 助けてくれ。


「全く、そんなものがこの世にあったら、貴族の八割は死ぬだろうな」


 汚職、腐敗なんてものは大なり小なり存在する。それが都市、国家規模になればない方がむしろ不思議なくらいだ。


 雨が強まってきた。

 そろそろ寝た方がいいだろう。明日も仕事だ。


 それにしても、雨は阿鼻叫喚に似るというものだから、たまには気分を変えてみるかと思ってワインを開けたが、失敗だった。


「やはり、赤ワインは孤児共の泣き叫ぶ声を聴きながら飲むに限るな。上等品を一本無駄にした気分だ」


 空になったボトルの横に飲み干したグラスを置く。


 ――首から、鮮血を撒き散らして死んだ。


  §


 隠れていなさいと言われた。ベットの下だ。

 ベッドの下、部屋の角に小さく縮こまって全てが終わるのを待つ。息を潜めて、誰にも気付かれてはいけない。バレたら殺される。


 村中で鏖殺が繰り広げられているのが、遠くで耳をつんざく悲鳴で分かる。興奮しているらしい叫び声で分かる。

 嫌だ。


 つい半刻前まで家族と楽しく夕食を食べていたのに。

 何がどうしてこうなったのだろう。


 ベッドの向こうに見える、床に映った火の影。夕食時で、風呂に入っていた家もあっただろう。家は木で作られている。簡単に燃える。

 もしかしたら、この家も既にほとんどが燃えていて、自分もいつ窒息死、もしくは焼死するか分からない。でも、バケモノに食われるくらいなら炎に巻かれて死んだ方がマシだ。


 足音が近付いてくる。残っている玩具を探しているのだ。

 大丈夫。私は小柄だから。

 小さくなっていれば見つからない。見つからなければ弄ばれない。


 大丈夫、だいじょうぶ。


 扉を乱暴に破壊する音。開け方を考えるより壊して回った方が早いからだろう。足音も、家族では考えられないくらい大きくうるさい。


 扉が壊される音がした。

 悲鳴が漏れそうになるのを堪える。


 人間のものではない、異形の足が見える。


 隠れているベットが壊された。


  §


 ベッドの下に猫が一匹隠れていた。

 その猫はベッドが壊れたのに驚いたのか小さく跳ねると、自分たちの足元をちょこまかと走って逃げてしまった。

 他の玩具はなかった。


 他の家はもう荒らされた後だろう。残っている可能性も低いし、そっちに行ってもあんまり意味はない。見逃してるマヌケがいなければ、だが。

 とはいえ、この家にはあと一匹くらいいると思ったのだが。こんなことなら、前に見つけた二匹で一緒に遊んでおけばよかった。


 苛立ってベッドをもう一度蹴る。ぶつくさ言いながら、楽しそうに遊んでる他の奴を傍目に外に出た。好きな香りが鼻をついた。

 いい匂いだ。火と血と肉の混ざりあった匂い。


 どこかにまだ隠れてる玩具はいないかな。


 少しだけ期待しながら家をぐるぐる回ってみる。何もなければさっきの猫でもいいか。楽しめる大きさは小さいけど、何もないよりはいい。


 ――匂いがした。


 メスの匂いだ。


 駆け寄りたくなる気持ちを抑え、気付かれないように静かに近寄る。姿は見えないが、きっとあの壁の向こうにいるはずだ。道具が立てかけられているから、そういうのをしまう場所なんだろうか。

 いいや、今は関係ない。とにかくメスだ。逃げられたら困る。他の奴にバレても困る。独り占めできなくなってしまう。しかも匂いからして、恐らくは若いメスだ。とてもいい。


 扉を蹴破る。


 小さく悲鳴が漏れた。


 思った通り、メスだった。しかもやたら肉付きのいいメスだ。この村は肥えていたのだろう。畑にも野菜がいっぱいあったし、家の数も多かった。


 歳は若く、肉付きはよく、髪も長い。こういうメスは遊びがいがある。

 怖くなって震えているのがとてもいい。そうだ、怖がれ。怯えろ。萎縮しろ。


 自然と口角が上がる。

 ああ、楽しみだ。


  §


 両親は血を撒き散らして死んでいた。

 ケタケタ楽しそうに笑いながらバケモノ共が両親の体を弄んでいた。


 二人の優しい笑顔が浮かぶ。


 今年は野菜がよく育ったから、収穫祭ではいつもより贅沢できると、楽しそうに話していた。


 なのに、なんで。


 暗闇の中、膝をかかえて耳を塞ぐ。


 誰も助けてくれない。一番近くの街からでも村までは距離がある。馬でも一刻じゃ着かない。それに煙程度じゃ、村が襲われたとは思われない。収穫の時期なら畑で残り物を燃やすこともあるからだ。


 両親は死んだ。

 助けてくれるアテもない。


 村の知り合いは、みんな食い殺されているだろう。


 扉が蹴破られた。


「ひっ」


 思わず声が漏れた。慌てて口を塞ぐ。


 体が震える。全身の血の気が引く。


 嫌だ。こいつらに食われたくない。死ぬのに苦しみたくない。死にたくない。誰か助けて。誰でもいいから。死なないなら何でもするから。


 ふと、街に出稼ぎに行っていて丁度帰ってきていた、近所のおじさんの言っていたことを思い出した。街で流行っているという噂だ。


 噂は所詮、噂だ。


 でも。


「噂でもなんでもいいから、お願いだから助けて! 死にたくない、死にたくないよ……!」


「わかった」


 聞いたことのない男の声がした。

 驚いて顔を上げる。


 見覚えのない青年がナイフを持っていて、その横で、バケモノの首が落ちたところだった。

 自然な動作で血を払うのを眺める、その視線に気付いたようだ。こちらの視線の動きを確認してから、青年が不思議そうに自分の体を見る。


 驚いたような口調で、その青年は口を開いた。


「君が呼んだのか」



《綻》

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