第3話 決定

 二次会——ということに、良い思い出がない。

 大抵酔いが回った人間が、悪乗りをし出すからだ。そうしてそれを断ることが出来なくて、おれはいつもそれに乗っからざるを得ない。

 けれども、記憶は全て残っている。だから、いつも終わってから嫌悪感を抱くのだ。


「……なあ、中島。どうしておれのことを」

「歩、で良いですよ。昔みたいに」


 おれ、そんな感じで呼んでいたっけ……。昔のことだから、あんまり覚えていない。


「だから、ぼくも肇くんと呼んで良いかな? さっきは他の人も居るものだから、ちょっと他人行儀になってしまったのだよね」

「それは別に構わないが……」


 おれ、学生時代に歩とどういう関係になったんだ?

 いや、普通に小説を書いて読み合っていただけだと思うのだけれどな……。

 それにしても、歩の進むペースが速い。

 こいつ、こんなに足早な人間だったか? それとも、道路の両側に風俗店が多くなってきているから、少しでもここを離れたいのか。

 二軒目——だったか。実際、何処に行くというのだろうか?

 結構長い時間歩いたような気がする……。他の人間は、もうとっくに二軒目に到着して、二回目の乾杯をし始めている頃だろうか?


「なあ、いつになったら到着するんだ? そろそろ酔いも覚めた頃合いじゃ——」

「着いたよ」


 歩は立ち止まる。

 そこにあったのは——タワーマンションだった。

 そういえば、この一帯って再開発が進んでいるエリアだったような? でも、紙一重で風俗店が広がるエリアと重なりそうな場所に建っているってのは、流石にどうなんだろう……などと思っていたけれど、気付かないうちにそのエリアは抜け出していたらしく、周囲には同じようなマンションやアパート、こじんまりとしたスーパーなどが屹立していた。


「……ここは?」


 おれが質問しようとすると、歩は歩くのを再開する。

 オートロックを開けて、エレベーターに乗って、十五階に到着して——そしてある部屋の前で止まる。

 そこの表札には、中島と書いてある。


「ここって……」

「あれ、言っていませんでしたっけ? ぼくの家です」

「いや、言ってねーよ」


 というか、二次会がまさか宅のみだとは……。


「宅のみを期待していますか? だとすれば、滑稽ですね」


 カードキーをタッチして、ドアを解錠する。

 玄関には、靴が一足だけ置かれていた。


「この靴は?」

「作家ですから、表で打ち合わせをしないといけないんですよ。そういうときの靴……、余所行きの靴ですよ」


 廊下には、通販サイトの段ボールが大量に置かれている。……まさか、普段はあまり外に出ないのか?

 キッチンは綺麗だ。というか、お湯しか沸かしていないような感じがする。


「自炊はしないのか?」

「しないですよ、あんまり。……アイディアが出ている間は、食事を取ることすら惜しくて。カロリーメイトだけで何とか済ませています。まあ、コスパの良い身体ではありますよ」


 コスパって。

 身体を壊さないか心配だが。


「他人の心配より、自分の心配をしたらどうですか?」


 リビングに入ると、大きなデスクが目に入った。

 リクライニング機能もあるように思えるふかふかのチェアも置いてある。

 デスクの上にはノートパソコンが一台。おれだって知っているけれど、結構な高性能のマシンだと思う。少なくとも小説を執筆するだけならば、不必要な感じさえする。

 そして、背後にあるのは本棚だ。入っている本はどれも古そうだ。小説に使う資料だろうか。


「まあ、適当に寛いで下さい。あんまり汚くしているつもりはありませんけれどね」


 そう言うなら。

 おれは適当に床の上に座ることとした。


「……話を戻すけれど、肇くん、ほんとうに小説を書いていない、ということか?」

「まあ、そうだな」

「どうして?」

「どうして、も何も……。まあ、良いだろ。書けなくなったんだよ」

「書けなくなった……? きみが? あの、あれ程アイディアが尽きなかったと言われる、きみが、か?」

「仕方ないだろ。色々あるんだよ。……売れっ子作家様には分からないかもしれないけれどな」

「何でだよ、アンタならきっと面白い物語を作り続けていたはずなのにさ」

「いや、おれは……。もう、おれは、小説を書かないよ」


 書けなくなったんだ。

 全く、書くのが楽しいとは思えなくなってしまったんだよ。

 学生時代のおれに、何を期待していたのかは知らないけれど……。もう、そんな期待はしないでくれ。お願いだ。


「……何でだよ」


 ぽつり。

 ぽつり。

 ぽつり——と、歩が言葉を紡ぐ。


「書けよ、書いてくれよ。ぼくはアンタの作品が好きなんだよ。アンタが書いていた作品は……ぼくにとっては、希望であり絶望であり追いかけるべき目標だった。アンタが作品を書いている、書き続けているだろうと思っていたからこそ……、追いかけるべき目標が居たからこそ、ぼくはこの地位を築くことが出来た。だのに、アンタは!」

「……」


 言わないでくれ。

 何も、何も、何も——。

 おれは、小説家になりたくてもなれなかった、ただの出来損ないだよ。


「決めた」

「え?」


 唐突に、歩は言った。


「暫く、予定はないよね? ないと思っているけれど」

「まあ、間違いではないが……」

「だったら、暫く暮らしませんか」

「……………………は?」


 いきなり、何を言い出すんだ。お前は。

 お前だってちゃんと生活があるだろうし、それを土足で踏み入るつもりはないぞ。


「ぼくの作家としての生活を見てもらう。そうすれば……、きっとまた小説を書けるようになる。絶対に、だ。絶対に、村木肇の作品を世に出してもらうからね」

「どうして、そんな……」


 おれに、構うんだよ。

 構わないでくれよ、おれに。


「良いですか? 良いですよね?」


 ……どうやら、おれに拒否権はないらしい。

 致し方なく、おれはそれに頷くことしか出来ないのであった。

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