第13話 着付け教室と和の花①
「織本さん、ちょっと配達お願いできる」
「配達ですか?」
「そう。うちから右に四軒先の、インドカレー屋の二階。岡田着付け教室って看板が出てるから、そこの岡田さんにこの花束を渡してきて。着物を着ている、四十代半ばの女性」
「わかりました」
すみれが手渡された花束は、和花を中心に作られていた。サクラソウやスミレが束ねられていて、小さい花がたくさん集まって咲いている様は愛らしい。色も、ピンクに紫、白と賑やかすぎないが華やいでいる。
「そうやってみると、スミレの花も悪くないだろ」
「はい」
すみれの家に帰る道なので、インドカレー屋があるのは知っていた。なぜかカレー屋の一角が今時珍しく駄菓子屋になっていて、近所の小学生がよく駄菓子を買いに来るのを目撃する。店の前に机と椅子が設置されていて、夕方になるとそこに小学生が集ってゲームをしたり雑談をしたりしている。
件の着物の着付け教室は、カレー屋の右脇にある細長い階段を上った先にあった。アパートの扉には「岡田着付け教室」と墨で書いてある木製のプレートがかかっていた。すみれは扉横のチャイムを押す。
出てきたのは、四十代の女の人ではない。薄紅色の着物を着て、黒髪を結っている若い女性だった。そしてすみれは、この人物の顔を見たことがある。あちらも驚いたようで、桜色に色づいた唇が驚きの形を作る。
「あれっ。えっと……織本さん?」
「あ、はい」
クラスメイトだった。それも、すみれが密かに羨んでいて、輪の中に入りたいなあと思っていた中の一人。岡田はすみれの手の中の花に視線を落とした。
「もしかして塩崎生花店でバイトしてるの?」
「はい」
「へえ、あそこのお兄さん、顔はいいけど愛想なくて怖くない?」
「話してみると以外に気さくでして……」
「そうなの? 確かに、商店街のおじいちゃんたちにはウケがいいのよね」
岡田は花を受け取ると、代わりに玄関前に置いてあった封筒をすみれに差し出す。
「はいこれ、お花の代金」
「ありがとうございます」
岡田は綺麗な顔にくすりと笑みを浮かべた。
「ねえ、クラスメイトなのに、なんでさっきから敬語なの?」
「あっ、えっと……」
「私、志穂っていうの。織本さんの名前は?」
「すみれ、です」
「いいわね。ここに使っている花と同じ。私、スミレの花好きなんだ。健気で可憐で、可愛らしくって」
すみれは岡田の手の中の花束を見る。薄桃色のサクラソウと、薄紫色のスミレとが上品に束ねられていた。これは塩崎がすみれにくれた物と種類が違う。あれは名前に何もつかない純粋な「スミレ」という種類で、今サクラソウとともに束ねられているのは「コスミレ」という種類だ。そのくらいのことがわかるくらいには、すみれは花について詳しくなった。
「私も最近、スミレの花が好きになってきました」
「前は好きじゃなかったの?」
「ちょっと、地味すぎっていうか……」
「そう? 日本の土着の花だし、着物にも似合うし、私は好きだけど。私のお母さんが着付け教室やってるから、私も和物が好きなの。あっ、英語圏も好きなんだけどね。留学した時に、日本のことも説明できた方がいいだろうしって思って、日本文化も学んでるの」
「確かに、それは大事かも」
「でしょう? よかったら今度、織本さんも着付け教室に来てよ。私、講義が少ない水曜のこの時間はいるから」
「うん、ありがとう」
すみれは頷いた。岡田が手を振る。
「じゃ、また大学で」
「うん」
すみれも手を振って、その場を後にした。
「戻りましたっ」
「ご苦労様」
やや駆け足で塩崎生花店へと戻ったすみれは弾む声で塩崎に声をかけた。塩崎は店の中で、予約注文用のアレンジメントを作っている。
「あの、岡田着付け教室に、クラスメイトがいたんです」
「へえ」
「もしかして塩崎店長、知ってました?」
すみれは正式にアルバイトをする時、塩崎に履歴書を渡している。だからすみれがどこの大学の何学科に通っているのか知っているのだ。
アルバイトばかりしているすみれを不思議に思い、もしや友達がいないのではと考えた塩崎が、商店街の知り合いの娘と出会うきっかけを与えてくれたと考えるのはそんなに変なことではない。
すみれは期待を込めて塩崎を見つめたが、塩崎はすみれを振り返ろうともせず黙々とアレンジメントを作り続けながら、一言。
「あ? 知ってるわけないだろ」
非常に淡々とした返事にすみれは少々肩を落とした。
「ですよね……」
「仕事に戻れ。あと三件アレンジメントの予約入ってるから準備して。使うバスケットはこれだから、オアシス用意しておいて」
「はい」
言われた通り、アレンジメントで使うオアシスの準備を始める。
これは緑色のスポンジの様な物体で、アレンジメントの花をこのスポンジに差して使う。オアシスという会社が最初に売り出したから通称がオアシスになったらしいが、フローラルフォームや吸水フォームとも呼ばれる。
すみれはバスケットの大きさに合わせて丁寧にオアシスを切り、水場に移動して水を張ったバケツにオアシスを浮かべた。
水の上に浮かんだオアシスを眺めながら、塩崎店長がただのアルバイトのすみれにそこまで気を使うはずないか、と考え直した。ちらりと見た塩崎の顔は相変わらず花に固定されていて、目は真剣そのものだ。あらゆる角度からアレンジメントを眺め、どこから見ても花が綺麗に見えるように考えながら花を差している。
アレンジメントに使っているのは、ファーストレディという種類のバラだ。花弁が白から淡いピンク色にグラデーションがかかっていてとても美しく、すみれもお気に入りのバラだった。そこに薄ピンクのガーベラや、小さな薄紫色の花をいくつもつけたイベリス、白い花をたくさん咲かせたカスミソウを合わせている。
塩崎の手から生み出される花束やアレンジメントはどれも花の良さを最大限に引き出しており、美しい。注文を受けると丁寧にどんな色やタイプがいいかを聞いているし、客にも花にも真摯に向き合っている。
塩崎の目がふいに花から離れ、すみれを見た。
「何見てんだ?」
「いえ、なんでもないです。すみません」
見つめていたことに気が付かれ、気まずくなったすみれはそう答えると、もうとっくに水を吸ってバケツの中に沈んでいたオアシスを取り出して、バスケットの中に設置した。
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