残酷な運命

 ボルジア公爵家とトゥルシ侯爵家の家族ぐるみでの交流は長く続くことになる。

 イヴァーノとセラフィーナ、そしてイヴァーノの兄であるヴァスコとセラフィーナの兄であるレアンドロの四人でいる時間が増えた。

「ご機嫌よう、皆さん」

 ヴァスコから押し付けられていた課題を軽々と終えたイヴァーノは、集まりに少し遅れて参加する。

「あら、イヴァーノ。ご機嫌よう。待っていたのよ」

 セラフィーナの表情が明るくなる。

「何だ、もう終わったのか」

 セラフィーナの隣を陣取るヴァスコは少し面白くなさそうな表情だ。

 自分とセラフィーナの時間を増やす為に、ヴァスコはイヴァーノに課題を押し付けていたのである。

「そうだ、セラフィーナ、ボルジア領で俺のお勧めの場所があるんだけど、見に行こうか。レアンドロ殿も、それから……イヴァーノも一緒に」

 本当はセラフィーナと二人きりで行きたかった感じ丸出しのヴァスコ。もう何度も会っている仲なので、セラフィーナ嬢からセラフィーナへ呼び方が変わっている。

「まあ、ヴァスコ様のお気に入りの場所でございますか。是非行ってみたいですわ」

 セラフィーナはラピスラズリの目を細め、女神のような笑みになる。

「おお、そうか! じゃあ今すぐに行こう!」

 ヴァスコの表情はパアッと明るくなり、馴れ馴れしくセラフィーナに触れる。

 イヴァーノはそれを見て顔をしかめる。

「ヴァスコ殿、少し馴れ馴れしいですよ。許可なく女性に触れるのは、紳士として問題があると思いませんか?」

 レアンドロはやんわりとヴァスコに注意をした。

「おお、そうか。すまない、セラフィーナ」

 ヴァスコは慌ててセラフィーナから手を離す。

(……本当に、愚鈍な癖にセラフィーナにベタベタ触るなんてどうかしている。でも、レアンドロ殿はこうして愚鈍な兄を注意出来るから信頼に値するかな。セラフィーナのことも妹として大切にしているみたいだし)

 イヴァーノは微かに口角を上げた。

(ん? でも、兄上のお気に入りの場所は今……)

 イヴァーノは何かを思い出す。

「兄上のお気に入りの場所は、確か今立ち入り禁止ではないでしょうか? 先日の大雨で地盤が緩んでいて危険だと父上からお聞きしましたが」

「あ……」

 ヴァスコはイヴァーノに言われて初めて思い出したようだ。

「あら、それは残念ですわね」

 セラフィーナは困ったように微笑んだ。

「セラフィーナ、今度立ち入り禁止でなくなったら是非行こう」

 ヴァスコはセラフィーナの手を握り、前のめりに迫る。

「ヴァスコ殿、セラフィーナが困っていますから」

 レアンドロはセラフィーナからヴァスコを引き離した。イヴァーノは冷めた目でそのやり取りを見ていた。

(愚鈍な兄上は何も学ばないのか)

 そしてセラフィーナに優しい笑みを向ける。

(僕としては兄上のお気に入りの場所に行っても良かったけれど、セラフィーナが怪我をする可能性があるのなら絶対に駄目だ。それにセラフィーナなら、きっと他の奴が怪我をしても悲しむだろう。セラフィーナが望まないことは絶対にしないようにしよう)


 かつてのイヴァーノなら、誰かが立ち入り禁止の危険区域に入ろうとしているのを止めることはなかった。そしてその者が大怪我をしても目の前で放置していた。他人がどうなろとどうでもいいのだ。しかし、セラフィーナが絡むとイヴァーノは良心を持つことが出来たのだ。謂わばセラフィーナはイヴァーノの外付け良心回路なのである。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





 そんなある日、イヴァーノにとって非常に不服なことが決まった。

 セラフィーナがイヴァーノの兄であるヴァスコと婚約したのだ。

 この婚約はボルジア公爵家とトゥルシ侯爵家の結び付きを強める為の政略的なものである。しかし、ヴァスコはセラフィーナに惚れている為浮かれまくっていた。

(セラフィーナと兄上が婚約……!? 領地経営やボルジア公爵領のことががまるで分かっていない兄上がセラフィーナを幸せに出来るわけがない。僕の方がセラフィーナに苦労をかけずに幸せに出来るというのに。兄上さえいなければ……)

 イヴァーノはどす黒い毒のような感情に支配されてしまう。しかし、口にした言葉は本心とは裏腹なものだった。

「おめでとうございます、兄上」

 そう爽やかに微笑むイヴァーノ。

「ああ、イヴァーノ。ありがとう。お前もそろそろ婚約者を見つけてもいいかもしれないな」

 ニマニマと浮かれているヴァスコ。イヴァーノの本心や本性には全く気付いていない。

 いくら本性がどす黒い毒のようなものであっても、紳士の皮を被り少し着飾ってしまえば誰からも好印象を抱かれる貴族令息の出来上がりだ。


 そしてある日の真夜中、イヴァーノは鋭いナイフを持ち出してヴァスコの部屋に忍び込む。

 ヴァスコは無防備にぐっすりと眠っていた。

(お前さえいなければ……)

 イヴァーノは鋭いナイフを大きく振り上げ、ヴァスコの首元を目掛けたその時のこと。


『イヴァーノ、お願い、そんなことしないで』


 泣きながら必死に懇願するセラフィーナの姿が脳裏に浮かんだ。

 イヴァーノはハッとする。

(セラフィーナ……!)

 イヴァーノは振り上げたナイフを戻した。

(そうだ、僕がこんなことをしたら、きっとセラフィーナが悲しんでしまう。……ごめんね、セラフィーナ。もうしないから)

 イヴァーノは自身の中にいるセラフィーナに謝った。そしてヴァスコを殺めるのをやめた。


 数日後、ボルジア城にて。

「セラフィーナ、そんな勉強より俺と散歩した方がボルジア公爵領のことを知ることが出来るぞ」

「ヴァスコ様、ですが事前に勉強しておかないといけないと思いますわ」

 セラフィーナがボルジア公爵領のことを勉強している時に、ヴァスコは散歩に行かないかと誘って来たのだ。

 セラフィーナはやんわりとヴァスコを諭す。

「だがそんな堅苦しいことよりも気楽に散歩した方が俺は楽しいと思うぞ」

「ヴァスコ様、貴方を支える為でございますわ。ヴァスコ様と共に、この領地を盛り立てることが出来たらと存じております」

 可憐な笑みのセラフィーナ。ヴァスコへの恋慕があるかは分からないが、ラピスラズリの目は未来へと向いていた。

「……セラフィーナが言うなら仕方ないな」

 勉強嫌いでサボりがちなヴァスコはようやく座学を始めた。セラフィーナが絡むと頑張れるのかもしれない。

 イヴァーノはその様子をじっと見ていた。

(セラフィーナの希望に満ちた笑みを奪うわけにはいかない。彼女が兄上といて本当に幸せなのであれば……それでいい。僕は近くで見守ることに徹しよう)

 少し前まで荒れていた心が嘘のように凪いでいた。


 そしてイヴァーノはこの先他の家に婿入りせずボルジア公爵家に残り家令になり、領地経営を手伝うことを両親に伝えた。

 すると、父レミージョと母ジョルジーナは驚いていたが喜んでもいた。

 優秀なイヴァーノが残ってヴァスコのサポートをすることでボルジア公爵家及び公爵領は安泰になることが約束されたのである。

 ヴァスコもこの先イヴァーノをこき使えると喜んでいた。

(全てはセラフィーナの為だよ。兄上が領地経営をしたら、セラフィーナに苦労をかけそうだからね)

 イヴァーノはニヤリと口角を上げた。

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