第9話 TS転生おじさん、招かれる。
あれから数日後。朝起きたら私と一緒に寝ていたことに気付いた親方が死ぬほど取り乱すというちょっとした事件こそあったものの、それ以外はとても平和な日々が続いていた。
『おい! 年頃の若い娘がいくらなんでも不用心すぎんだろうが! もっと警戒心を持て警戒心を!』
『寝ぼけて抱き着いてきたのは親方の方ですよね?』
『俺の横で平然と寝てるからだろうが!』
『(どうせおじさん同士なんですから)イチイチそんなこと気にしませんよ』
『気にしろお!』
何故か酔い潰れた親方よりも介抱してあげた私の方がお説教されてしまったことには未だに納得がいかないが、過ぎたことをあれこれ言っても仕方がない。今日も今日とて私の朝は掃き掃除から始まる。
ほうきがサッササッサと左右に揺れるのに合わせて、工房前の道路にうつ伏せに寝そべってひなたぼっこをするディアン爺の尻尾も左右に揺れる。音楽の国では野良犬もリズミカルなのだ。
「おーいヌエちゃん! ちょっと来てくれねえか!」
「はーい、なんでしょう?」
そんな風にお掃除をしていると、職人のお爺さんに呼ばれたのでそちらに顔を出した。パトリオットさんは背の高い虎獣人のお爺さんで、チェロ作りの名人だ。
工房の職人さんたちのまとめ役を任されており、親方とは古い付き合いらしい。ちなみに独身の親方とは違って既婚者であり、お孫さんもいるという。
「ほれ、ヌエちゃんあてに招待状が来とるぞ」
「招待状ですか?」
手渡された上質そうな封筒を開くと、そこには『ハルモニア国立音楽学院 春の演奏会のお報せ』と流暢に描かれた紙と、豪華なチケットが1枚同封されていた。シリアルナンバー入りのそれは、紙質からしていかにも高級そうな印象を受ける。
差出人は案の定マンダリン・ノイズ。添えられていた手紙を読むと、どうやら先日のお礼とお詫びを兼ねて、ヌエ様を是非招待したい、とのことだった。なんとも律義な少女である。貴族であれば別段珍しいことではないのかもしれないが。
「お! 春の演奏会のチケットじゃん!」
「すげえな! 完全招待制だからどんだけ金積んでも手に入らないんだぜ!」
「そんなにですか?」
「ああ! なんてったって世界一の音楽学校で、世界一の青田買いをする絶好の機会だからな!」
「世界中の有名音楽家や劇場経営者、出資者なんかが見物に来るんだ!」
「そこで見込まれりゃあ、瞬く間に栄光の階段を駆け上がれるってもんよ!」
実際、過去にはスラム街の浮浪児からギター1本で世界のスターダムにのし上がった音楽家もいるそうで、アメリカンドリームならぬハルモニアンドリームを夢見てこの国にやってくる歌手や演奏家や音楽家志望の若者は多いという。
春の新入生歓迎会、もとい演奏会は、そんな夢見る若者たちにとっての最大の登竜門なのだそうだ。戦いは既に卒業前から始まっている、という意味では、甲子園などに近いものがあるのかもしれない。
入学して1か月でいきなりそんな大舞台に立たされる新入生たちは可哀想な気もするが、そこでやる気を出せないようであればどうせこの先やっていけないだろうから、とふるいにかける意味もあるのだろう。舞台度胸をつけるには場数を踏むのが一番だから。
「今年は確か、親方も招待されてたよな?」
「そうみたいです」
「なんせ親方は人間国宝だからな! ドワーフだけど! 他の人間国宝との兼ね合いで毎年って訳にはいかねえが、よく招待されてるらしいじゃん」
「今年は王子様とその婚約者である例の公爵令嬢が入学した年だろ? そのせいで下手すりゃ他国の王族なんかもお忍びで見物に来るらしいってもっぱらの噂じゃねえか!」
「それはなんというか、大変ですね、色んな意味で」
「警備も例年以上に厳重だろうからなあ」
「ああ、俺も春の演奏会に招待されるような凄腕の職人になりてえもんだ!」
なるほど公爵がわざわざ気合いを入れ、莫大な予算をかけてピアノを新調する訳だ。王子様の演奏でその婚約者の公爵令嬢、即ち未来の王妃様が歌うとあらば、それは国を挙げての一大エンターテインメントだろう。
大成功して当たり前、失敗なんてもってのほか、というプレッシャーは、常人であればいとも容易く押し潰されても致し方ない程の重圧・重荷になるに違いない。
私が先日叱りつけた相手は、そんな雲の上の天上人だったのだ。そう思うと、改めて自分のやらかしたことのとんでもなさに手が震えそうになる。
それだけの期待を寄せられてしまえば、マンダリンお嬢様だってうつになってもしょうがなかったのかもしれない。いや、ハルモニア王国民としてはなんとしてでも乗り越えてもらわなければ困る問題だったから、結果オーライと開き直るしかないのだが。
「なんだ? ヌエに招待状が来たのか。公爵も義理堅いな。いや、お嬢さんの差し金か? 単純にお前さんが気に入ったから、お友達になろうって魂胆かもしれんが」
「ないとは思いますが、もしそうなら畏れ多すぎて、丁重にお断りしたいところですね」
私と職人さんたちが招待状を見ながら盛り上がっていると、作業場の奥の方からイカルガ親方がひょっこりと顔を出した。彼は額の汗を首から提げた手拭いで拭いながら、マンダリンお嬢様からの手紙を覗き込んでくる。
「分からんぞ。お前さんとあちらさんの娘さんが仲よくなれば、公爵家はよりうちの工房とよろしくやれるだろうって魂胆もない訳じゃあるまい」
「確かに100%純粋な善意だけ言ってきているわけではなさそうなのは、承知の上ですけどね」
「なんにしたって春の演奏会を観に行くならお前さんの新しい服がいるな」
「いつものパンツスーツじゃだめなんですか?」
「バカタレ。春の演奏会にはドレスと決まってるもんだ。古くから続く伝統だぞ」
「ドレスですか。嫌だなあ。仮病で休んじゃだめですか?」
「だめに決まってんだろうが!」
親方がコツンと拳骨を落としてくるが、痛みはない。それよりも問題なのはむしろ。
「ヌエちゃんのドレス姿かあ!」
「さぞ脱がし甲斐がある……じゃなくて、可愛いんだろうなあ!」
「……やべえ、想像するだけで最高すぎるだが!」
「普段は女の子らしさ皆無のボーイッシュ娘の恥じらいドレス姿……いい!」
「おいてめえら! 朝から色ボケしてる暇があんならさっさと仕事しろお!」
親方にどやされ、へーい! と盛り上がりながら散り散りになる職人さんたち。これさえなければ気のいい人たちなんだけどなあ。
「ところで、ドレスってどこで買うんですか? 商店街の服屋にありますかね?」
「あるわけねえだろ」
「では、どちらで買えばよろしいので?」
「……しょうがねえ、今度の休みに一緒に買いに行くぞ」
「すみません、よろしくお願いします」
そんなわけで、そのうち親方と一緒にドレスを買いに行くことになった。さすが人間国宝として上流階級の人間とも付き合いがあるだけあって、頼りになりますね、親方は。
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