楽器工房の看板娘~乙女ゲームの主人公に転生したおじさんvs悪役令嬢に転生したおじさんの娘vs世界一の楽器職人~

神通力

第1話 TS転生おじさん、働く。

 私は山田(やまだ)鵺太郎(ぬえたろう)。愛する妻に先立たれ、残された娘を男手ひとつで育てている中年サラリーマンだ。


「ねえお父さん、折角の誕生日なんだからたまには外食しようよ!」


「ん、そうだな」


 娘の凛子(りんこ)は高校1年生。今時の女子高生は、とついつい若者批判をしてしまいそうになるが、幸い凛子は素直でまっすぐな娘に育ってくれた。


 親である私の知らないところで実は、と言われてしまえばそれまでだが、私は凛子がそんな娘ではないと信じている。


「何が食べたい?」


「お寿司!」


「じゃあ、凛子の好きなあそこの回転寿司にするか」


「うん!」


 その日は私の誕生日であり、平和な土曜日だった。娘の提案で、車で近所の回転寿司に行く途中。いきなり信号無視の大型トラックが突っ込んできて、逃げる間もなく私たちは死んだのだ。


「お父さん! 車が!」


「凛子ッ!」


 咄嗟にハンドルから手を離し、助手席に座る娘に覆いかぶさった後の記憶がない。恐らく私は死んだのだと思う。何故ならば、次に目を覚ました時、私は病院のベッドの上で目を覚ますのではなく、全くの別人として生まれ変わっていたからだ。


――


「ヌエ姉ちゃん! キノとタケがまた喧嘩してるう!」


「またか。しょうがない、すぐに行く」


 私は熱心な仏教徒ではなかったが、妻や祖父母の仏壇やお墓とは縁のあるごく普通の日本人だった。それ故に、生まれ変わりというのは本当にあるのだと驚いてしまった。それも、どうやら別の世界に生まれ変わってしまったらしいのだ。


 ハルモニア王国なる国は聞いたことがないし、誰に尋ねても日本やアメリカを知らないと言う。加えて私の髪の毛の色はピンク色だったのだ。ストロベリーブロンドというらしいが、少なくとも生まれた時から髪の毛がピンク色の外国人を私は知らない


「ふたりとも、喧嘩はやめなさい」


「でもキノが!」


「タケが悪いんだろ!」


 取っ組み合いの喧嘩をする幼い男児ふたりを力ずくで引き剥がそうとするが、少女の体ではそれも難しく、難儀してしまった。そう、一番の驚きは、私が少女・メヌエットに生まれ変わったことだ。ヌエというのは近しい人たちが使う愛称である。


 前世では男のあったため、どうにも勝手が違ってしまい、何かと苦労している。特に、自分が男だという意識が抜けないため、女の子らしくない、と顔を顰められることもしばしばだった。


「喧嘩の原因はなんなんだ?」


「俺の方がヌエ姉ちゃんのことが好きだって言ってるのに!」


「違うよ! 俺の方がヌエ姉ちゃんのこと好きなんだから!」


 そんなしょうもないことで、と思ってしまったが、子供の好意を無下にするのも気が引ける。


「ふたりともありがとう。それだけ好いてもらって私は嬉しい。だが、そのせいでふたりが喧嘩をしてしまったら、私は悲しい」


「でも!」


「だってえ!」


「人を好きになる気持ちに優劣はつけられない。どっちがいいとか悪いとか、勝ち負けではなく、どちらも等しくかけがえのない尊いものだ。自分の好きを否定されたら腹が立つだろう? だから、相手の好きを否定してはいけない」


「じゃあ、ヌエ姉ちゃんはどっちが好きなの?」


「俺? それともタケ?」


「ふたりとも好きだ。どちらも同じぐらい」


「なんだよそれ!」


「子供だからってバカにすんなよな!」


「バカにされた、と思うのなら、それこそ君たちがまだ子供である証拠だ」


 憮然とするふたりを宥め、私は小さな子供たちに後を託して孤児院を出た。私が住まわせてもらっている教会管轄の孤児院は貧しい。そのため子供であっても働かねばならず、13歳になったら出て行かなければならないという規則もある。


 職員であるシスターたちだけでは子供の面倒を看きれないため、幼い子供たちの面倒を看るのはまだ働きに出られない年中者と自然と決まっていた。


 世知辛いのは日本も異世界も同じと感じたが、少なくとも日本の方がまだ福利厚生はしっかりしていたと思う。貧民街の人々は誰も彼も心に余裕がなく、私も働き口が見付かるまでは苦労した。


「おはよう、ディアン爺。今日も元気だね」


「ワン!」


 出勤途中、私は顔馴染みの野良犬に声をかける。貧民街をうろつく老犬のディアンは、皆からディアン爺と呼ばれ親しまれていた。


 野良犬といえば不潔で危険、狂犬病が怖い、といったマイナスイメージがあるが、ディアン爺はどこかの飼い犬だったであろう気品があった。清潔感があり、賢く温厚な大型犬だ。


 気が向いた時に餌をやることもある。幼い子供たちのためにも孤児院に生活費を収めているため懐具合にあまり余裕はないが、それぐらいのゆとりは欲しかった。


「おはようございます!」


「おお! 来たかヌエ!」


「親方、おはようございます!」


 私の勤務先は下町にある小さな楽器工房だ。世界的にも有名な音楽の国であるらしいハルモニア王国には街中に音楽があふれ、一等地には劇場や楽器屋や楽器工房がズラリと建ち並ぶ。


 有名な楽器職人であるドワーフのイカルガ親方が仕切っているそこは、小さな工房だがそれなりに、いやかなり繁盛しているようだった。


 なんでもイカルガ親方は楽器作りの人間国宝(ドワーフだけど)に指定されているそうで、選り好みする権利のある仕事はいずれもン千万円クラスの高額報酬が入ってくる凄まじい仕事であるらしい。


 そんな凄い職人が何故下町で小さな工房を営んでいるのか、と不思議だったが、どうやらそこは詮索してはいけない過去が絡んでいるらしく、空気の読める私はあまり深く考えないことを選んだ。


「相変わらずヌエちゃんの作る飯は美味いな!」


「うちは男所帯だからなあ! 飯が不味くって不味くって!」


「パセリとフライドポテトとマッシュポテト以外の野菜なんか食ったのいつ以来だろ!」


「ありがとうございます。沢山ありますからおかわりしてくださいね」


 イカルガ親方の工房には、大勢の職人たちが務めている。皆親方の下で修行を積む楽器職人で、俺の仕事は彼らの面倒を看ることだ。仕事の邪魔にならないよう髪を結い、袖まくりをして、ズボンをはく。


 幸いこの国の文明レベルはかなり近代的であった。それぞれの家庭に水道が引かれ、ボタンひとつで電気がつき、ガスでお湯やお風呂を沸かすこともできる。トイレだって水洗だし、鉄道だって通っているのだ。


 午前中は大量の食事を作って振る舞い、午後は経理などの事務作業の手伝いを。昭和の町工場のような、日当は現金手渡しのどんぶり勘定でやってきたイカルガ親方は、社長というより親分のような人物だ。


「はあ、俺も嫁さん欲しいなあ」


「ヌエちゃんみたいな子が嫁になってくれたら幸せなんだけどなあ」


「はは。嬉しいお誘いですが、遠慮しておきます」


「なんだよお。選り好みしてると婚期逃しちゃうぜ?」


「そうそう、高望みはせず俺らで手を打っとかない?」


「ひょっとしたら親方クラスの大出世をするかもしれないぜ?」


 20代から50代まで幅広くいる職人たちの中には既婚者もいるが、大半が独身男性である。独身男の哀愁を漂わせながら、職人たちが私を口説いてくる。気持ちはありがたいが、私は自分が男であるという意識が抜けなかった。


 体は紛れもなく少女であったが、どうにも精神が馴染まないのだ。今でも女装しているみたいで、スカートをはけない。ブラジャーなんかも、本当はつけたくないのだが、さすがにそれは教会のシスターたちが許してくれなかった。


「てめえら! くだらねえこと言ってんじゃねえぞ!」


「げ!? 親方!?」


「やだなあ、冗談ッスよ冗談!」


「笑えねえ冗談だなあオイ! 女にうつつを抜かしてる暇があったら、ちったあ腕をみがきやがれ!」


 親方にどやされ、職人さんたちが散り散りに逃げていく。


「すみません、ありがとうございます」


「フン! お前さんのせいじゃねえよ! あいつら、女と見れば飯炊きの婆さんまで口説きやがる!」


 騒がしい昼休みが終わり、大量の賄い飯を綺麗に平らげた職人たちはそのまま午後の仕事に戻った。私は鼻歌を歌いながら、昼食の後片付けをする。


 するとおもむろに、廊下に職人たちがたむろし始めた。どうやら私の歌声は自分で言うのもなんだがかなりの美声であるらしく、音楽を愛する楽器職人の皆さんは、俺の歌を聴きたがるのだ。何度親方にどやされても懲りない。


 実は、私の鼻歌を聴きたがるのは職人さんだけではなかった。孤児院でも、私の歌は何故か好評なのである。子守歌を歌って、とねだられ、子供たちを寝かしつけるために何度も歌ったものだ。


「はあ、相変わらずいい声だよなあ、ヌエちゃん」


「死んじまった母ちゃんを思い出すなあ。グスン!」


 死んじまった母ちゃん、という言葉に、私の手と鼻歌が止まる。思い出すのは先立たれた妻のこと、そして最愛の一人娘、凛子のことだ。


 あの事故の瞬間。私は咄嗟に凛子を庇った。だが、凛子が助かったという保証はない。自分が死ぬのはいいが、娘に死なれるのは嫌だ。


 もし仮に私が先に死んでしまい、凛子だけが助かったとしても、生命保険に入っていたため保険金は下りるだろうが、凛子は独りぼっちになってしまう。


 普段あまり考えないようにしているのだが、折に触れ思い出してしまうのは凛子のことだった。一体何が悪かったのだろう。いや、私も凛子も悪くなかったはずだ。


 きっと運が悪かった。そう、運が悪かっただけなのだと。私は震える手で洗ったばかりのお皿を握り締める。外食に出かけなければよかった? 別の道を通っていればよかった? 違う店にすればよかった?


 考えれば考える程にきりがない。私にできるのはただ、凛子が運よく九死に一生を得たことと、私の死を乗り越えて幸せになってくれることをただただ祈ることだけなのだから。


「おいヌエ、どうした?」


「え?」


「お前さん、顔が真っ青だぞ。体調でも悪いんか?」


「あ、いえ、別に。大丈夫です。ありがとうございます」


「そうか、無理はすんなよ」


「はい」


 突然親方に声をかけられ、私は自分が呆けていたことに気付いた。慌てて洗い物を再開する俺を、親方が心配そうに見つめてくる。なんとか愛想笑いを浮かべて誤魔化したが、誤魔化されてくれただけだろう。


 洗い物を終えて給湯室から出ると、イカルガ親方が腕組みをしながら待っていた。お説教だろうか、と不安そうな表情を浮かべる私に、親方が口を開く。


「そういやヌエ。お前さん今いくつだ?」


「来月で12になります」


「そうか。実はよ、こんなチラシが配られてたんだが」


 親方が差し出したのはハルモニア国立音楽学院への入学案内のチラシだった。平民でも特待生になれば学費免除で通えるため、毎年大勢の人間が狭き門をくぐるべく熾烈な争いを繰り広げていることで有名らしい。


 入学できるのは13歳から19歳までの若者に限られ、また入学試験は噂によるとかなり厳しいらしいので、私なんかが入れるとはとてもじゃないが思えなかった。


「お前さんの歌声なら本気で特待生を狙えると思うんだが、どうだ? いつまでもこんなちんけな工房でコキ使われてるよりはよっぽどいいんじゃないか?」


「……すみません、それは遠回しな解雇通知でしょうか?」


「いや、違う違う! そんなつもりじゃねえよ! 誤解せんでくれ!」


 大慌てになるイカルガ親方。よかった、どうやら遠回しな肩たたきではなかったようだ。前世、そんな風にリストラされていった社員たちの姿が脳裏をよぎり、不安になってしまった。


「単純に、勿体ねえなと思ったんだよ。お前さん、そんなにいい声してるのに」


「お気持ちは嬉しいのですが、私は地に足をつけて生活がしたいので。」


「それはそうかもしれんが、お前さんほどの声があれば十分に音楽の道で食っていけると思うぞ? こんなちんけな工房の下働きをしているより、ずっと大金や名声を得られるはずだ」


「そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれません。……やはり、私がいるとお邪魔でしょうか?」


「だから、違うっての! わかった! 俺が悪かった! お前さんはうちに必要な人材だ!」


 てっきり工房内の風紀を乱すからクビだ、と言われているものだとばかり思っていた俺は、イカルガ親方の言葉にほっと胸を撫で下ろした。


 ようやくありつけた仕事、それも、他の職種に比べかなり給金のいい仕事を解雇されてしまったらと思うと冷汗が出そうになる。


「ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します」


「お、おう!」


 深々と頭を下げる私に、親方はボリボリと頭をかきながら頷いてくれた。よかった。リストラを免れて本当によかった。待遇的には正社員ではなくパート社員なので、いつクビを切られても文句を言えない立場なのは心臓に悪い。

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