第三十八話 「お前のような女が、この私の妻を名乗るなど、片腹痛い」

イルソワールの大貴族、グランデ侯爵に連なる系譜を持つロアーズ子爵家。

その当主の婚外子、ジェンナ。それがその頃の私だった。


囲っていた平民の愛人が亡くなり、仕方なく本宅に引き取られたのが十一歳。

半分は当主たる父の血を引いているとはいえ、その扱いは使用人と変わらなかった。

日の出と共に起き、下働きに混ざって洗濯や掃除、料理、雑用などに明け暮れる。


それほど裕福な家でもないから常に人手は足りず、雇われている者のほとんどが平民出身だ。

だから皆、内心ジェンナに同情し、普通の新入りと同じような気持ちで受け入れ、いびったりするような者はいなかった。

正妻や正妻の産んだ一つ上の姉・リンダには蛇蝎の如く嫌われていたが、彼女らもわざわざ労働力を削ぐような嫌がらせはしてこない。顔を合わせた際に、胸にチリッと刺さる言葉を投げてくるだけだ。


「あのまま孤児になるよりは、多分、幸せ」


そう思っていた人生が、少しずつ狂い出したのは、私が十七になった年のこと。




***




「本家嫡男との、縁談……ですって……!? お父様、断れないのですか!?」




姉、リンダの絶叫にも近い悲鳴が、さして広くもない屋敷に響いた。


「すまない、リンダ。御当主様のたっての希望だ。ワシだってあんなところにお前を差し出したくはない。

だが、あの家に睨まれることがあったら、我がロアーズ家は……」


「だったら、ジェンナはどうなの?

うちにはあの娘だっているでしょ!?

社交にも出してない、貴族の誰も顔を知らない娘が。あの娘を行かせればいいのよ!」


「お前は先方に知られているではないか。デビュタントでブライト公子に挨拶しただろう。

お前は顔の造作がいいから、なるべく目立つなと言ったのに、わざわざ体の線が出る派手なドレスを作りおって……

あの時に見初められたのやも知れぬ」




グランデ侯爵家は国内の三大貴族に挙げられるほどの名家だが、当主が今の代になってから、評判があまり宜しくない。

芸術に傾倒するだけで済んでいれば良かったのに、本人自らが蝋人形の製作に取り憑かれてしまった。

大きく美しい屋敷を改築し、一棟を丸ごと美術館に作り替え、自らの作品を飾っていた。


当主が作る蝋人形は、生きた人間の人生の一瞬を切り取ったようにリアルで、美しくもあり、不気味でもあり……

彼が『身寄りのない人間を攫って、人形にしている』という噂も、まことしやかに流れていたのだ。


どんなに勢力が強くても、貴族間の婚姻に関してイルソワールは厳しい。

身分を傘にきて他家に政略結婚を強要するのは難しかった。

だから一族の中から花嫁を選んだのだろう。


「だったらせめて、御当主様にジェンナも見て頂いて、私の代わりにならないかだけでも聞いてみて?

お願い! お父様!」




……狭い屋敷で、隠す気もない会話。

こんな話を聞かされて、不安しかない。

しかし父からは直接何かを言われることもなく、そのまま二週間程が過ぎていった。


「ジェンナ、たまには綺麗にしようか?

旦那様から、あんたを着飾らせるように話があったんだよ……」


一番仲が良かった使用人のおばさんが、こんな事を言い出して、私はいきなりバスルームに連れていかれた。

いつも井戸の水で身体を洗っているのに、程よい温かさのお湯に浸かり、香りのいい石鹸で身体を擦られる。

髪も初めて見るシャンプー剤で、念入りに何度も洗っては流し、洗っては流し……

あの話さえ聞いてなければ、きっと嬉しくて仕方がなかっただろう。


私は髪をハーフアップに結い上げてもらうと、リンダがデビュタントで着た、スカイブルーのドレスを身に纏う。

華やかなドレスは、細身の私には緩いと思ったが……


「まあ、なんて可愛いの。こんなになるなら、もっと手を抜けば良かったね……」


化粧を施してくれたおばさんはそう言いながら、人差し指で蓋をするように目元を押さえた。




客間に行くように促され、ドアをノックすると、ソファの上座に二人の男性が座っているのが見える。


一人は二十歳くらい? 

中肉中背で、整ってはいるが少し女顔の、やや軽薄そうな青年だ。


もう一人は五十歳前後の、長身で痩せた男性だった。

威厳のある顔付きだが、どこか神経質そうな、話し掛けにくそうな、独特の雰囲気がある。

これが侯爵様、そして、その長男のブライト様……


向かいの下座には父と正妻、リンダが神妙な顔で背筋を伸ばし、着席していた。




「大変お待たせいたしました。ジェンナと申します」




私は、正妻とリンダがするのをたまに見たことがある程度の、うろ覚えのカーテシーをした。

屈んだ姿勢からスッと顔を上げると、ブライトがこちらを舐め回すように見る視線と、目が合う。


「うーん、まあ、可愛いっちゃ可愛いが、痩せ過ぎだし、胸が無さ過ぎる。それに母親は平民だろう?

本家の次期当主の妻としては力不足だ。やっぱりリンダの方が良いな」


あーあ、とつまらなそうに座り直した青年が、ソファの背もたれにそっくり返る。

こちらの親達は落胆した様子で目線を落とし、リンダは私をキッと睨みつけた。


(ああ、もしかしたら私、大丈夫かも……?)

そう思って、表情の強張りが解けた瞬間。




「いや、こちらでいい」




低い声が、その場の空気を切り裂いた。

声の主は周囲のことを気にもせず、ただ平然としている。


そんな、まさか……信じられない。

私は呆然としたまま、その場に突っ立っていた。

青年が隣にいる侯爵様に食ってかかる。


「父上!! 何で!? 何でですか!?」


「当主は私だ。当家に入れる人間は私が決める」


「そんな……」


肩を落とす青年を尻目に、喜びに沸く父と正妻が揃って立ち上がった。


「お気に召したようで安心いたしました。

荷物も纏めてありますので、どうぞこのまま連れ帰って頂ければと」


いつの間にか、さっきのおばさんと、二番目に私と仲の良いおばさんが、二人でバッグを運んできた。

大した大きさではないから、下着と普段着くらいしか入ってないように見える。


「では我々はこれで失礼する。そなたも一緒に来るように」


侯爵様は私に声を掛けると、そのまま部屋を出て行った。

その後を追って長男が出て行こうとしたが、彼は不意にこちらに振り返って、毒づいた。




「ジェンナ、お前のような女が、この私の妻を名乗るなど、片腹痛い!

純粋な貴族でもない、卑しい女が!」

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