第三十二話 信じられない面影

森を抜けたあと、視界が開けた辺りから徐々に坂道が減り、街道へと入った。

それと同時に馬車の揺れが減り始める。道が綺麗に舗装されているのだろう。

道路の両脇には背丈の揃った街路樹が並び始め、商売で成功したと思われる平民の邸宅が建ち並ぶ。


白い壁にオレンジ色の屋根で統一されていた庶民の家とは違って、ここは一軒一軒、屋根や壁の色が違っている。

広めの庭園を持つ豪邸もあるが、貴族の屋敷とは違って、この周辺の建物は明らかに築年数が新しい。

古くてもせいぜい二~三十年といったところだ。


「ここがセルナ住宅街ね」


ふと漏らした独り言に、馬車の外から返事があった。


「ああ、マリーゼ様、起きられましたか? 調子はどうです?」


「大丈夫よ、ジョン。すっかり良くなったわ。すぐ調査しましょう。

住宅街の道を一通り全て走ってちょうだい。怪しい場所があったら、声を掛けるわ」


「へい、承知しやした」


私はレンの涙の跡がある便箋を膝に載せながら、セルナ住宅街の地図を眺めつつ、周囲の気配を探るのに集中した。

レン自身の気配は、まだ感知できないが、浮遊霊や地縛霊はそこここにいる。

でも、最初の町に比べて、彼らはあまりフレンドリーではないようだ。

私が『声なき声』を掛けると、逃げたり消えたりしてしまう。


住宅街をぐるりと巡る大きな通りの周辺に、レンの気配は見つからなかった。

集中力が途切れた私は、軽く溜め息を吐き、地図を見直す。

一番の大通りの次に道幅が広いのは、街の中央を縦に二分する真っ直ぐな通りだった。


「ジョン、次は中央通りに行ってくれる?」


「へい!」


馬車は方向を変え、街の北側の中央通りの入り口へと向かっていった。




***




邸宅の他に店舗が点在し、観光客の人通りが多かった大通りに比べ、中央通りはまさしく高級住宅街だった。

広い庭園を備え、貴族が住んでいてもおかしくない程の瀟洒しょうしゃな建物が、ゆったりと広い密度で建っている。

その中央を広く隔てる道を、馬車はのんびりと進んで行く。


しばらくすると、レンの気配らしきものが私の網に引っ掛かった。

二頭立ての馬達が歩を進める度に、うっすらとした気配は形のある感覚へと変化していく。


「ジョン、あと五十メートルくらい先に進んだら、一旦停めて!」


私は動かなくなった馬車から降りずに幽体離脱して、そのまま左脇に建つ屋敷に向かった。

周囲と比べても一際大きい邸宅は庭園も広い。

身体から二十メートルしか離れられない私は、庭園の中央までしか行けなかった。

けれど、その建物の奥からは、間違いなくレンがいるのを感じる。

どうやって、あの子に接触したらいいだろうか……


「おい、そこの馬車、何の用だ?

なぜそこに停まっている?」


この屋敷の護衛らしき若者が、こちらに向かって小走りでやって来た。


まずい、これからこの屋敷の主と接触を図らなければいけないのに、怪しまれては困る。

私は大急ぎで自分の身体に戻ると、馬車の窓越しに、青い顔で訴えた。


「も、申し訳ありません。私、馬車に酔ってしまったみたいで……

この場所で少し休ませていただけませんか?

治ったら、すぐ去りますので……」


「……ちょっと待っててください」


護衛は馬車に乗っているのが私一人なのを確かめると、邸に向かって駆けていった。

本物の体調不良のすぐ後だったせいか、仮病も真に迫っていたらしい。


しばらくすると、護衛と執事と思しき男性がこちらにやって来た。


「我々のご主人様から『具合の悪い女性をそんな場所に放置しては気の毒だから、治るまで邸内で休ませるように』との指示がありました。

とりあえず馬車を玄関のところまで。

お嬢さんは我々がご案内します」


「え? よ、よろしいのですか? ありがとうございます……」


あまりにトントン拍子で事が運んでしまい、面食らってしまった。でも、好都合だ。


「私としては、知らない人間を招き入れるのは、あまり気が進まないんですがね」


執事がチラリとこちらに向けた視線が、少し冷たい。


私はリビングに招き入れられ、ロングソファに横になった。

ソファは見るからに高級品で、職人が細かく織り込んだ豪奢な布が張られている。

クッション性能も硬過ぎず、柔らか過ぎずで、このままここで眠ってしまいそうな心地良さだ。

本当にウトウトしそうになった頃、ドアがノックされた。


「今、よろしいでしょうか? 御主人様が、貴女に会いたいそうです」


「は、はい!」


私が急いで起き上がろうとしている瞬間、ドアが開いた。


「ああ、いいのよ、まだ横になっていて。

具合はどうかしら?」


執事と共に現れた、その人の姿に私は息を呑んだ。


この屋敷の女主人。おそらく三十代半ばと思われる彼女は……

胸元まで伸びたストロベリーブロンドの髪に、パッチリと開いた丸い瞳の、可愛らしさが残る顔立ち。

その物腰、その口調が、あまりにもそっくりだったのだ。


何人もの人を騙し、何人もの人を殺めた、私の宿敵。

……あのシェアリアに。

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