第25話

 シリウスは礼拝堂を降り、大理石の回廊をひた走る。

 俄かに死臭が濃くなってきた。ちらほらと無惨な死体も見かける。

「オディールたちと休んでる場合じゃなかったか……いや、おれが介入したところで、こいつらの運命は大して変わらん」

 地獄の力が現世を巻き込む事例は、あとを絶たなかった。

 だが、今回は今までのものと規模が違いすぎる。豪華客船が地獄に落ちるだけならまだしも、こうして『城』が出現するなど、もはや普通ではなかった。

 万魔殿――パンデモニウムに通ずる何かが働いているのかもしれない。

 そもそもアンティノラとは『第二地獄』を意味する。

「カイーナ級ではないぞ。まさしくアンティノラ級……何が起こってるんだ?」

 正面の扉を抜けると、不気味な怪物と出くわした。首のない巨人がシリウスに気付き、喜々として鉈を振りあげる。

「やらせるかっ!」

 すかさずシリウスは鎖分銅を取り出し、それを聖水で濡らした。

「吼えろ! おれのフェンリル!」

 フェンリルがしなり、まるで刃物のようにデュラハンの左腕を切り裂く。

 デュラハンとて、シリウスの猛攻には耐えられなかった。この悪魔は弱者をいたぶるのは得意でも、強者を相手に正々堂々と戦うことは知らない。

 ついには右腕も落とされ、ずしんと膝をつく。

「終わりだッ!」

 シリウスが地面に手をつくと、光の魔方陣が浮かびあがった。

「出来損ないめ! 滅するがいい!」

 デュラハンの巨体は真っ白な光に包まれ、ぼろぼろに焼き尽くされていく。

「……ふう」

 フェンリルを回収し、シリウスは溜息をついた。

 相手は大きさの割に見掛け倒しだったらしい。だが、腹の牢獄で獲物を傷めつけるような趣味は、いただけなかった。

 生き残った者はひとりも見当たらない。

 アンティノラ号の船長は拳銃で自害したのか、まだ死体が『人間の形』をしていた。

「惨いことを……この男は罪人ではないようだが」

 こうして無関係の人間が巻き添えを食うことも、普通ではない。

 不意にシリウスの背後を何者かが取った。

「困りますなあ……これは我が主が主催された、至高のデスゲーム。あなた様のようなかたに乱入されては、公平なゲームになりませぬゆえ」

「……ほう? おれよりも『死神』らしいやつがいたとはな」

 シリウスは肩越しに振り向き、チャリオットと静かに火花を散らす。

 フェンリルを握る手に力が入った。

「お待ちを」

 だが、チャリオットは骨だけの手で『待った』を掛ける。

「われわれが争っては双方、無事では済みますまい。ここは互いに引くべき、と存じますが……いかがかな? シリウス殿」

「おれのことはご存知ってか。お前、名前は?」

「申し遅れました。私の名はチャリオット……以後、お見知りおきを」

 チャリオットの姿は消え、一枚のコインだけが残された。

「なんだ、こりゃ? ……メダルかよ」

 首を傾げながらも、シリウスは骸骨からのプレゼントを懐に放り込む。

「こいつはでかいヤマになりそうだな。ロットバルトのやつも探さんと……」

 地獄の果てでアンティノラ号は波に揺られていた。


 城主の間にて、女たちの艶めかしい声が響く。

「バル様ったらぁ……んあ? そ、そんなにしちゃ!」

「可愛いウサギさんめ」

 エックスは仮面を脇に置き、ロットバルトの顔でバニーガールたちと戯れていた。鉄格子の向こうでクローディスの妹、テレーズはまさかの淫行を目撃し、愕然とする。

「う……うそ、でしょ……?」

「ちょっと刺激が強すぎたか? ヘヘッ」

 美女らは寄ってたかってロットバルトにまとわりついた。求愛に応じ、ロットバルトのほうからも一遍に抱き寄せる。

 彼の双眸が赤々と輝いた。熱烈なキスの間も、瞳は冷酷な笑みを含める。

「ぷはあっ……ガキはそろそろ寝かせてやらねえとな。あいつらもメインホールに到着次第、休憩させてやってくれ。オレのウサギさん?」

「でしたら、先にもう一回……あむっ、ンッ、んぢゅぅ!」

「い、いいぜ、それ! アリサちゃん、上達してきたじゃねえの」 

 ほかの子どもたちも怯えきっていた。

監禁され、親の死にざまを、さらには生々しいセックスまで見せつけられて。幼い心は壊れつつあり、もう泣くことさえできない。

『ロットバルト様。少々お時間のほど、よろしいですかな』

不気味な声がした。ロットバルトの正面にチャリオットの映像が浮かびあがる。

『先ほど手練の死神を発見致しました』

「どっちが死神だよ? 鏡で一度、てめえのツラを確認してこい」

『フッフッフ! して、いかが致しましょう?』

シリウスの乱入は想定外だった。とはいえ、まだ支障を来たすほどではない。

ロットバルトとて、なるべく彼と事を構えたくはなかった。

「追い出せるようなら、追い出しな。ただし妨害してくるなら……」

『仰せのままに』

チャリオットの映像は消え、目の前にバニーガールの艶笑が戻ってくる。

「ったく、邪魔しやがって……なあ?」

「あはぁ! バル様、もっとぉ? もっとなさってえ!」

アンティノラ号でのデスゲームは、いよいよ本戦を迎えつつあった。

 半数以上の乗客がゲーム以前の段階で脱落してしまい、拍子抜けしたものの、面白いメンバーが残っている。これから白熱するに違いない。

まずはマキューシオ。彼は巧みな言動で乗客を味方につけながら、メインホールへ一番乗りを果たしつつある。ついでに乗客を振るいに掛け、小物は排除してくれた。

従者のロベルトもマキューシオの懐刀として存在感を強めている。

あれほどの真似をしておきながら、あくまで『カレードウルフ共和国のため』という憂国のスタンスが愉快だった。

次にクローディス。的確な判断力を持ち、愚鈍な集団には早々に見切りをつけている。部下の船員たちも健闘しそうで、なおさら目が離せなかった。

シモンズ夫妻は毒にも薬にもならないだろう。

カチュア婦人は五人もの侍女を従え、守りに徹している。今後の展開次第では、彼女らの中から意外なダークホースが出てくるかもしれない。

そしてロットバルトにとっての大本命、愛すべき妹のオディールと。

彼女がご主人様として慕うジークフリート。

「勝ち残れよ、オディール。これはお前のためのゲームなんだぜ」

バニーガールの頬を舐め、ロットバルトはにやついた。

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