第4話

 それは予告状――巷で噂の怪盗エックスから届けられた、犯行予告だったんだもの。予告状には上手いのか下手なのかわからない筆記体でメッセージが綴られていた。


   今宵、名画『アレスの審判』をいただきます。~X~


 俄かに乗客が騒ぎ立つ。

「まあ! 怪盗エックスが、この船に?」

「この中の誰かに化けてるかもしれませんなあ」

 狙った獲物は必ず手に入れる、それが怪盗エックス。彼はその盗みのテクニックで、カレードウルフ共和国のみならず、西洋の列強諸国を荒らしまわっていた。

 大胆不敵にして神出鬼没、鮮やかな仕事ぶりにはファンも多い。

 しかも怪盗エックスが狙っている以上、それは『いわくつき』の美術品である可能性が高かった。例えば不正に強奪された芸術品とか、ね。

「アレスの審判といったら、かのレオニード作の……焼失したものと聞きましたが」

「リッチモンド子爵、これはどういうことですかな? なぜ、怪盗エックスの予告状をあなたがお持ちなのです」

 一転して、リッチモンドは疑惑の視線に晒された。

「うっ、うぅ……」

 してやられたわね……。こっちも競売のことは秘密にしておきたかったのに、怪盗エックスのせいで計画が狂う。子爵にシラを切り通すほどの口舌も期待できないわ。

 私がこの場で暴いちゃったのが、大失敗。

 オークションは中止――そう思った矢先、ひとりの紳士が声をあげた。

「まあまあ、待ちたまえ」

 共和国一の豪商にして、このアンティノラ号の持ち主。シャルルドゴール家の次期当主ことマキューシオがつかつかと歩み出てくる。

「子爵殿はまだお聞きになってないようだね。これはジークフリート様の余興さ」

 観衆はざわざわと視線を配りあった。

「余興ですって……ジークフリート様のお好きそうなことですわ」

「アレスの審判なんて名前が出てくるんで、驚きましたぞ」

 マキューシオの声が響き渡る。

「こちらのほうで段取りができておらず、申し訳ない。明日のパーティーまでには舞台を調えておきますので、このことはお忘れいただきたい」

 アンティノラ号の持ち主に予告されては、ほかの客も疑わなかった。

「ええ! 楽しみにしておりますわ!」

 観衆は解散し、リッチモンド子爵は成り行きに唖然とする。

 そんな子爵にもマキューシオは手を差し伸べた。

「私どものほうに手違いがあったようです。お許しください、リッチモンド殿」

「い、いや……いいのだよ。では、私も失礼するとしよう……」

 リッチモンドはすごすごと退散していく。

 安堵したのは、むしろ私のほうだわ。案の定、マキューシオに詰られる。

「迂闊だったね、オディール。みんなの前で読みあげてしまうなんて」

「怪盗エックスからの予告状だなんて、思いもしなかったんだもの。ピンク色のカードだったから、ほら、港で逢瀬の約束でもあるのかと……」

「あの子爵にそんな甲斐性はないさ」

 それもこれも怪盗エックス(私にとっては顔馴染み)が悪い。そんな私の事情も踏まえたうえで、マキューシオは助け舟を出してくれたの。

「ジークフリート様のお世話はしなくていいのかい? 優秀なメイドさん」

「あのひと、お部屋からプールばかり眺めてるのよ? ほんと節操なしなんだから」

 マキューシオには私も肩の力を抜いてられる。

「ハハハ。部屋に連れ込むのに比べたら、健全じゃないか」

「想像させないで……」

 さすがマキューシオ、愛想のよさは抜群だった。共和国一の豪商は伊達じゃない。

 次期当主として実績を作るためにも、自ら商談に立ち、精力的に活動してる。その利益は貴族社会を潤わせるとともに、戦後の雇用を拡張し、民からも歓迎された。

 貴族主義はジークフリートで、国民主権はクローディス、それから経済特化はマキューシオってところかしら。トータルのバランスは安定してるわね。

 ただ、マキューシオもまた議会で存在感を強め、ジーク様と摩擦を生じつつあった。国民主権を掲げるクロウにとっても、資産家階級の独走は面白くないはず。

「私も執事じゃなくて、メイドにすればよかったかな?」

「次の後継者で揉めるわよ」

「……あのね。君こそ、生々しい話に持っていかないでくれ」

 マキューシオは眠そうに欠伸を噛んだ。

「まっ、この旅のうちは気楽なものさ。社交辞令の挨拶は面倒だけどね」

「シャルルドゴール家の次期当主が何言ってるの」

 普段は人前で欠伸なんてするひとじゃない。それだけリラックスしてるってこと。

「どうだい? 今夜はカジノで一勝負」

「気が向いたらね。ジーク様も誘っておくわ」

 お誘いには私も二つ返事で頷いた。

 マキューシオとはそこで別れ、怪盗エックスの予告状を懐に仕舞い込む。

(面倒なことになっちゃったわね……あのバカのせいで)

 今夜に予定されてる秘密のオークションは、開催が危ぶまれる事態となった。報告のため、私は一旦ジーク様のお部屋へと戻る。

「……なるほど」

 ご主人様はちゃっかりプールを眺めてた。物色、と言ったほうが正しいわね。

 デッキのプールでは余所のメイドたちが水着ではしゃいでる。

「確かに僕はメイドが欲しくて、オディール、君を雇った。……だが、ひとつわかったことがあるんだよ。彼女らにあって、君にないものが」

「はいはい。なんでしょう?」

「女性が連れてるメイドのほうが、華やかなんだよ。見てごらん」

 そんなの見るまでもなかった。

 貴族令嬢に仕えてるメイドのほうが、おしゃれに決まってるじゃないの。女同士だからこそ、一緒に髪を結って遊んだり、ドレスを吟味したりできるわけ。

 でもご主人様が男のひとだと、私みたいになる。出来損ないとまでは言わないにしても……実際のところ、侍女の中では浮いてるわね。

 逆に執事は男性にお仕えしてるほうが、格式が高い傾向にあった。どうにも主人と使用人の性別が違うと、どっちかがイメージダウンしちゃうのよね。

 ジークフリート様の専属メイドになった頃は、私も色々噂されたものだわ。

「僕が女子だったら……頑固な君も、水着を着てくれたんだろうなあ」

「ええ、まあ。その場合は抵抗がありませんので」

 ジーク様のしょうもない嘆きは、まだ続く。

「クルーズの間は君が四六時中、水着でかいがいしく世話を焼いてくれる……そんなのを期待してたんだよ? それをオディール、君ってやつは」

「あとにしてくださいっ」

 さすがに堪忍袋の緒が切れたわ。

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