第44話 傷つけて喜ぶのは違う
肌寒い秋風を真正面から浴びながら、杏樹と並んで歩く。
杏樹はなにかを考えているようで、黙っている。笑顔はない。
魅音が杏樹に仕返しをしたいと言い出したときから、こうなる気はしていた。
杏樹の気の強さ、自分の考えを曲げない頑固さ、女王様的な優越感を、私は知っている。
杏樹に復讐をしたら、倍返しされるかもしれない怖さを感じていた。でも、魅音が私のためにしてくれていることを否定できなくて、友情にヒビを入れたくなくて、傍観してしまった。
(谷先輩とのダブルデート、終わったんだよね? 魅音が仕組んだことに気がついている? だから怒って、貧乏な地味女子が水都の隣にいるなんて気持ち悪いって、人前で悪口を言ったのかも……)
松下さんと早田さんは、ポカーンとした顔をしていた。
彼女たちは私が貧乏であることを知らない。杏樹はなにを言っているのだろう? と不思議だったに違いない。
魅音は私のために、仕返しをしてくれた。そのことを杏樹が知っているかは、実際のところはわからない。
けれどそういうことは、どこかから漏れて、本人に伝わってしまうものだ。
杏樹は怒っていると思っていたが、その予想に反して、彼女は優しい声をだした。
「ゆらりちゃん。萌華のことで、不安にならなくて大丈夫だからね。モデルの悩みを相談していただけだと思うよ」
杏樹の目は笑っていないけれど、唇はうっすらと笑っている。
「うん。不安になってはいない」
「え?」
杏樹の足が止まった。驚いたように目が見開かれる。
「なんで不安にならないの? だって相手は、人気モデルだよ? ……って知らないんだったね。でも、綺麗な子と二人で会っていたら、普通、不安になるでしょ。それとも、二人が会っていたことを知っていたわけ?」
「ううん、知らなかった。水都はそういうことを話さないし、私も聞かないから」
「へぇー、浅い関係なんだね。浮気してもバレなさそう。都合のいい女って感じ」
杏樹はせせら笑った。
浅い関係だから……じゃない。その逆。
水都は自分のことを話したがらない性格なのを知っている。子供の頃からそうだった。
読んでいる本を聞いたり、休みの日になにをしているか聞くと、水都は微妙に眉をしかめた。詮索されるのが好きではないと、表情が語っていた。
だから私は、水都が自分から話すのを待つことにしている。
ファミレスで佐々木萌華と会っていた件は、話してくれるかもしれないし、話してくれないかもしれない。どっちでもいい。水都への信頼度は変わらない。
それが、『好き』ということなんだと思う。
「私、強くなるって決めたんだ。水都の彼女になりたい。水都はモテるから、女性といろいろとあると思う。でも私は動揺したり、騒いだり、泣いたりしない。なにがあっても、水都を信じるって決めたから」
「はぁ? ゆらりちゃんって、頭の中、お花畑なの?」
杏樹は、友達のふりをするのをやめたらしい。いきなり高圧的な態度になった。
「なんの根拠があって信じるわけ? 好きだって言われて、それを間に受けたわけじゃないよね? ゆらりちゃんの家にある鏡、歪んでんじゃないの? 自分がブスだって自覚しなよ」
「杏樹ちゃんが私をブスだって思うなら、それでいいよ。ブスで貧乏でダサくて笑顔が気持ち悪いって思うなら、それでいい。杏樹ちゃんがなにを言っても、もう動揺しないし、泣かない。私は、信じたい人の言葉を信じる」
「バカみたいっ! それって、詐欺にあう人の典型的思考じゃん。私はゆらりちゃんのためを思って、言ってあげているんだけど! あんたみたいなブスが由良くんの彼女だなんて、身の程知らずだね。嫉妬されて、いじめられればいいよ!」
「私のためを思って言ってくれているだなんて、知らなかった。ありがとう」
「は?」
杏樹は興奮を冷ますためなのか、ゆっくりと深呼吸をした。それでも、怒りは抑えられないらしい。顔を卑屈に歪ませた。
「バカすぎて、笑える! いい加減、いい人ぶるのやめたら? ムカつくから」
「私のこと、いい人だと思っていたんだ。意外。普通に話しているだけだよ」
「だからその、普通にしていてもいい人だってアピールがうぜーんだよ! あんたって昔っからそう。人の悪口を言わない。責めない。気持ち悪いんだよ!! 何様のつもり? 悲劇のヒロインごっこしているなら、マジ無理。あんたみたいなブス、ヒロインって柄じゃないから!!」
「ヒロインじゃなくていい。モブで十分に幸せだもん」
杏樹の顔がみるみるうちに真っ赤になり、片足をイライラと踏み鳴らした。
「私のこと、嫌いでしょ。大嫌いだって言っていいよ」
「言わない」
「はぁ⁉︎」
杏樹は喧嘩腰だ。私が不用意な発言をしたら、一気に攻めてくるだろう。同じ土俵で戦うつもりはない。
私は私のやり方で、前に進みたい。
「小学生のとき。私に意地悪なこと、たくさん言ったよね? すごく傷ついた。親にも先生にも言えなくて、友達は離れていって。毎日泣いていた。だから私は誰にも、ひどいことを言いたくない。あなたにも嫌いだって言いたくない。心に負った傷は簡単には消えてくれないって、知っているから」
少しでも気を抜いたら、泣いてしまいそうだった。でも、杏樹に涙を見せたくない。これは、私の意地。
杏樹を真正面から見据える。
「あなたのしたこと、許せない。友達になりたくない。だけど、あなたを傷つけて喜ぶのは違うと思っている。自分を好きでいたいし、家族と友達と仲間を大切にしたい。あなたのことで悩む時間なんてない。だから杏樹ちゃんも、私のことを視野に入れなくていいよ。私のことを考えなくていい。……ねぇ、どうして私に話しかけてくるの? 無視したままで良かったのに。もしかして、寂しいの?」
杏樹は一瞬、白目を剥いた。眉間に青筋が浮く。
「バカじゃないの!! 調子に乗んな!!」
杏樹が右手を振り上げた。
──叩かれる!!
反射的に目を閉じた。けれど、体のどこにも痛みが走らない。
「由良くん……」
杏樹の、呆然としたつぶやき。
目を開けると、振り上げた手を水都が掴んでいた。
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