第2話 野草採取の依頼
他に行くところもなく、冒険者の店の片隅に居たマリーベルに、声がかけられた。しわがれた女の声だ。
「若き弓使い殿」
「え? わ、私ですか?」
そう言ってマリーベルが声のしたほうを見ると、そこには1人の人物が立っていた。灰色のローブを着てフードを目深に被り容貌を隠した女だった。
マリーベルはその女の事を知っていた。
“治療師”と名乗り、最近この冒険者の店に出入りしている人物だ。
その“治療師”という人物は、どうやらある貴族に雇われているらしい。
というのは、最近頻繁にその貴族から珍しい薬草などの採集依頼が出されているのだが、依頼を申し込みにやって来る貴族の家臣に同行して、依頼の詳しい内容を説明するのは決まってこの人物だったからだ。
そんな理由から、“治療師”と名乗る者の事は、この店に属する冒険者には良く知られるようになっていた。
「そうとも、そなたの事だ。弓使い殿。ひとつこの老人の頼みを聞いてもらえないかな?」
“治療師”はそう語りかけた。
「頼みごとですか? 仕事の依頼なら店を通してください。それに私には1人で依頼を受けるなんてことは……」
「いや、それほど大げさなことではない。ちょっとした野草を採って来て欲しいだけでな」
そう言って治療師が語ったのは、割とありふれた草の採集だった。ほとんど雑草と言ってもいい草だ。
確かにその草なら、城門を出て少し歩くくらいで見つけることが出来るだろう。
「薬の原料と言うほどのものではないのだが、これがあると便利でな。
今までは自分で採りに行っていたのだが、少し足を痛めてしまったので、無聊をかこっている様子だった弓使い殿に頼まれて欲しいと思ったのだ。小遣いくらいの報酬しか渡せないが、お願いできないかな」
そんな草を採って来るくらいなら何の危険もない。確かに年寄りであるらしい“治療師”でも簡単に出来ることだろう。
「分かりました。お手伝いさせてください」
しばらく考えてから、マリーベルはそう答えた。
気晴らしに外を少し歩くのも悪くないかもしれない。彼女はそんな風に考えていた。
「ああ、頼む」
そう告げる“治療師”の声は本当に嬉しそうだった。
1人で城門をでたマリーベルは、意外なほどの開放感を感じていた。
実際に良い気晴らしになりそうである。
その草を探しならが、マリーベルは昔を懐かしんだ。
(昔は風や大地の声を聞くことも出来たような気がしていたのだけれど)
かつて幼い頃、マリーベルは野を渡る風や、灯火の炎、大地や水、洞窟の暗闇、そして太陽の光にも、何者かの存在を感じていた。
冒険者になった後、それは自然の中に存在する精霊の声を聴くという、優秀な精霊術師が持つ感覚に似ている事を知ったのだが、その感覚はいつの間にかマリーベルから失われてしまっていたのだ。
(もし精霊魔法を使うことが出来るようになっていたら、今もヘンリーの近くにいられたのかな)
そしてそんな事を思ってしまった。
実際、パーティメンバーの1人であるアニスは精霊魔法の使い手だ。彼女は風の精霊シルフィードを顕現させるのを得意としていた。
顕現というのは精霊が実体化することで、精霊術師は顕現させた精霊を使役することが出来る。
といっても、精霊を顕現させるには相当のマナを消費する必要がある上に、一度に顕現させられる精霊は1体のみである。
そして、何らかの精霊を顕現させている間は、その顕現している精霊に由来するもの以外の精霊魔法を一切使えなくなってしまう。このため、精霊魔法を主に使う者は精霊を長い時間顕現させるようなことは通常は行わない。
だが、戦士でもあるアニスは、精霊を顕現させて戦わせた上で自分自身も剣を使うというスタイルで、ヘンリーと肩を並べて戦っていた。
自分にも精霊魔法が使えたなら、同じようにヘンリーと共に戦うことが出来たのかもしれない。だが、無能な自分にはそれは叶わないことなのだ。
そう思うとマリーベルの気持ちは深く沈みこんでしまった。
結局落ち込んでしまったマリーベルだったが、採集自体は何の問題もなく終えて、無事“治療師”に渡すことが出来た。
「助かったよ、弓使い殿。少ないが取っておいてくれ」
“治療師”はそう言って1枚の銅貨をマリーベルに手渡した。
それを受け取った時、マリーベルは不意に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
自分で稼いだ、自分に対する報酬。そんなものを手にするのはいつ以来だったか、と思ったからだ。ひょっとすると、それは始めての経験だったかもしれない。
マリーベルは、冒険者を始めてからずっと、自分の取り分の報酬の管理をヘンリーに委ねてしまっており、最低限の生活費をヘンリーから受け取るだけだったのだ。
マリーベルは涙がこぼれそうになるのを堪えねばならなかった。
「ありがとう。弓使い殿。また何かあったらよろしくな」
そんなマリーベルの様子に気付きもしないかのように、“治療師”はそう言って去っていった。
“治療師”のその言葉は、感謝の言葉をかけて貰うことすら随分久しぶりだという哀れな事実を、マリーベルに思い起こさせていた。
ヘンリー以外のパーティメンバー達は、別段マリーベルに悪意を持っているわけではなかった。また、同じ店に属する冒険者達も普通に接していた。
だが、ヘンリーがマリーベルが交友関係を広げるのを嫌った。
ヘンリーの言葉に従って、他の者との付き合いを疎遠にしてしまっているうちに、マリーベルはすっかり孤立してしまっていたのである。
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