第040話 ルシャの実家

 ──関都・シモンジュ、西の都境。

 耕作地に囲まれた二階建ての一軒家と、隣接する平屋の剣術道場。

 ルシャの生家と、門下生五十人強を抱える近隣では名を馳せた道場。

 それらが日没間際の夕日に照らされて、葉物野菜の畑に長い影を伸ばす。

 戦姫團とセイレーンの一行は、軍都・レークを前にして、ここで夜を明かす。

 ルシャによる、提案と配慮。

 家主にして道場主であるルシャの父親へ、フィルルが代表して謝辞────。


「……野営をせねばならぬところに、ご息女からのありがたい申し出。代表して、深く感謝いたします」


 フィルルが体の前で両手を揃えて、深々とお辞儀。

 正面には、四十路を迎えてもなお欠片も贅肉を有さない、剣士の屈強さと農夫の頑丈さを併せ持った大柄な男。

 厚手の白い上着に、足さばきを重視した薄手の黒いズボン。

 ルシャより暗めな赤い頭髪を短く刈り、いかつくも笑顔を浮かべ慣れた四角い顔。

 ルシャの父──。


「いやいや。小汚い道場で申し訳ないが、夜露はしのげましょう」


 大尉相当の軍人なのに加え、若き麗人のフィルル。

 その背後で並ぶ数十人の若き女性兵。

 それらに恐れることも、鼻の下を伸ばすこともなく、堂々の構えで丁寧に対応する、ルシャの父。


「住居にも部屋に余裕がありますゆえ、負傷者があらばそちらで労いましょう」


「重ね重ね感謝します。では幾人かを、お願いいたします」


「ところで、團長様。両利きと思しき所作、両腰に提げた半月剣。かなりの剣の使い手とお見受けしますが?」


「フフッ。この双剣は、若輩者ゆえのはったり……。少々武骨なアクセサリーとでも、解釈くださいませ」


「いえいえ、謙遜されてもわかりますぞ。この道場に長年染み込んだ血と汗に反応して、あなたが闘気を沸かせているのを。ぜひ、一手御指南を────」


 ──ゴオオォオオンッ!


 ルシャの父の頭頂部へ、背後から勢いよく振り下ろされた、底の厚いフライパン。

 重い金属音が、道場内に響き渡る。

 跳躍から着地した女性が、フライパンの柄を肩に載せて横に並んだ。

 ルシャをそのまま四十路手前まで加齢させたかのような、質素な上着とスカートに身を纏った生活感溢れる女性、ルシャの母。


「あなたっ! 疲れてる子たちを、早く休ませてあげなさいなっ!」


「す……すまん。このお嬢さんが、あまりに強そうなのでな。つい……」


「つい、じゃありませんっ! 温かいものの一つも振る舞わないと、うちの道場の評判が下がるでしょっ! 合宿用の大鍋、さっさと準備しなさいなっ!」


 ──どげしっ!


 膝を思いっきり曲げてからの蹴りで、夫へ移動を促すルシャの母。

 ルシャの父はよろけた姿勢のままで、ふらふらと道場の裏口から隣接の倉庫へと向かう。

 ルシャの母が笑顔で一同へと向き直り、フライパンの裏側を指の背でコンコンと叩いて見せた。


「ごめんなさいねぇ。あの人、強い相手を見つけると老若男女問わず勝負申し込んじゃうの。けれど結婚するなら、ああいうストイックな人が苦労少なくてすむわよ? あっ、食事の用意するからみんな座って座って。ウフフフフッ♪」


 新婚時代を思い出したのかはにかみ、フライパンで口元を隠すルシャの母。

 のろけまじりの軽い夫婦漫才と見せられた一同は、戦闘時から抱え続けていた緊張感を、ようやくここで緩ませた。

 一連の様子を、道場の外から窓越しに覗いていたルシャとマヤ。


「あー……親父も親父だけど、母ちゃんも母ちゃんだな。戦姫團に恩売って、道場の宣伝してもらおうって腹だ、ありゃ」


「フフッ。しっかり者で、いいお母さんじゃない。それに美人。やっぱりルシャは、わがセイレーンに入隊すべきねっ!」


「んー……どうすっかな。オレぁ母ちゃん見て、あれの娘がアイドルなんて柄じゃねえ……って、思っちまったけどな。ははっ」


 屋外に繋いでいる騎馬、馬車馬に、飼葉桶で配膳している二人。

 干し藁に野菜屑を混ぜた餌が、すべてのウマに行き渡る。


「ルシャの家で、葉物野菜分けてもらえて助かったわ! 持ってきた干し藁だけじゃ、ちょっと足りない感じだったから。ところで、彼が噂のお爺ちゃんウマね?」


 馬小屋の中に一頭いる、ルシャの家で飼われている鹿毛の老馬。

 見慣れぬウマが周りに多くいるため、落ち着きなくそれらを眺めている。

 そのわきへと、すっとマヤが歩み寄った。


「はじめまして、アハッ。なーんだ、足腰しっかりしてて、まだまだ若いじゃない」


「そうかぁ? 短い距離でも、しょっちゅう止まって休むんだぜ? 立ったまま寝ることもなくなったしさ」


「……それって、いい年の取り方。まだ若いのに……幼いのに、薬殺されてしまう子だって、いるんだから」


 マヤが老馬の鼻筋を撫でながら、太い眉をひそめて表情を曇らせる。

 ルシャが隣へ並び、自分よりわずかに背が高いマヤの、その悲し気な横顔を見る。


「薬殺……。ひょっとしておまえんち、馬牧場か?」


「ええ、そう。わたしが子どものころは競走馬を育ててたけれど、馬政局ばせいきょくの直轄になってからは、軍馬を育成してる。戦地に行った子たちは、脚を一本折っただけで、砲撃の音に驚いて臆病になっただけで……足手まといだと薬殺されるわ」


「たまんねーな……そりゃ。じゃあ、いまここに並んでるウマたちの中で、うちの爺さんだけが、その危険がないってことか……」


「……そういうこと。だから、脚が遅くなっても、背負える荷物が減っても、寝る時間が増えても……大事にしてあげて。一日でも長生きしてるウマが、一頭でも多くこの世にいるって思えれば、わたしも気が軽くなるから」


「……ああ。約束すっよ」


「でもこの子は、まだまだ当分元気よ。だってうちのチャオとリットのこと、やらしい目で見てるんだもん。ルシャと一緒で……ウフフッ♪」


「えっ……はぁ? なんでそこで、オレの名前が出んだよ?」


「ルシャってば、ときどきわたしの胸に目向けてるでしょ? 気づいてるわよーだ! アハハハハッ!」


「はっ!? はああっ!?」


 悪戯っぽい口調ながらも、艶めかしい目でルシャを見つめだすマヤ。

 一方のルシャは驚いてみせたものの、それは動揺ではなく誤魔化しによるものだと自分でも気づいている。


(やっべ……! 知らず知らずのうちに、目が行っちまってたんだな! エロ眼鏡ほど立派じゃねぇにせよ、こいつの胸……いい形してっから……)


 ルシャの顔にたちまち熱がこもり、額に汗の小さな粒が噴き出す。

 目線を反らすだけでは動揺を隠しきれず、思わず顔をそむけてしまうが、裏まで真っ赤に染まった耳を、今度はマヤへと見せてしまう。


「わたしもさ……。女の子同士って、まんざらじゃないんだ。経験は……まだないんだけれどね。アハ…………」


 マヤが海軍服の上着のボタンを、上から順に外していく。

 中からは、えん色をしたノースリーブのシャツと、固そうな二つの膨らみが、焦らすように現れる。

 衣類越しでも伺える、やや上向きの形良い乳房に、ルシャの目が釘付けとなった。

 まるで金縛りにでもあったかのような体の中で、唯一動かせた喉を収縮させて、ルシャは生唾を飲み込んだ──。


「ごくっ……」


「拒否しない、逃げない……ってことは、いいの……かな? アハハ……初めてが馬小屋の藁山の上って、わたしらしいなぁ……。アハッ……」


 ──ガサッ……。


 マヤが飼料用の藁の山へヒップを落としながら、シャツをまくり上げて乳房を見せた────。

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