第53話 匣影結界 弐

 弾き出されるようにして鳥居から放り出された三人の前には、取り囲むように続々と陰陽寮第一警備隊が現れた。


「何が起きたの?」


 その輪を割って現れた、相も変わらず表情筋に動き少ない人夢ひとかは鳥居の外で具合悪そうに倒れている三人……主に呪力で黒く染まった大剣を杖代わりに膝を付く仁を見ながらそう言った。

 だが、すぐに答えに予測が立てられた。

 仁たちが通ってきた常世かくりょへと繋がる鳥居から、全く呪力を感じ取れなくなったからだ。


「(……まさか、ね)」


 あり得ない、と心の中で呟いた。

 そんなこと起こっていいはずがない。

 もしもそんなことが出来てしまえば、ここにある陰陽市の存在すらも鏑木 仁の手によって破壊が可能だと証明されてしまうことになる。


「あぁ~……気持ちわりぃ。頭の中ぐるんぐるんって回ってるわ……大丈夫か? 二人とも」


「う、うぅ……気持ち、わりぃ」


「……吐きそう」


「だよなぁ……ん?」


「三日ぶり、鏑木 仁」


「おー、お前は……陰陽寮警備隊長補佐 弥勒人夢じゃねぇか」


「肩書も覚えていたのね、何だか恥ずかしいわ。ところで聞きたいんだけど、アナタ……何をしたの?」


 元凶を見つけたため警備隊の誰かが本部に連絡をしたようで、先程まで陰陽市に鳴り響いていた甲高い警報は静まった。

 それと同時に、仁の言葉が人夢――否、警備隊全員の耳に届く。


「あぁ……壊しちまったんだ。修練所」


 仁の言葉に一気に警備隊がざわついた。

 しかも、人夢の反応はその中でもより目立った。


「はぁ?」


 願や金、それこそ特級クラスの面々が見たら口をぽっかり開きアホ面のまま固まってしまうだろう。人夢の表情筋が歪むというのは、長年連れそった仲間でもそれくらい珍しいことだった。


「ちょっと……何を言ってるのか分からない。アナタがやってしまったことがどういう意味になるか本当に分かってる?」


「うーん……あー、分からん。ただ壊しちゃってごめんなさいって思ってる」


「馬鹿ね、アナタ。願に見せられた写真の時から思っていたけど、本当に何も考えてないお馬鹿さん。よくもそんな適当で生きてこられたわね――――警備隊」


「はっ!」


「このお馬鹿とそのお供二名を陰陽寮二階の情報部隊へ連行しなさい」


「了解しました。大剣を持っていますが……錠は必要ですか?」


「いらないわ。意味がないもの」


 一人につき二名の警備隊員が付き、それぞれを起き上がらせる。

 呪力の歪み、それも干渉できるはずもない常世かくりょにある世界中から集まった濃密な呪力によって影響を与えられた三人は立っているもやっとであった。

 その中でも一番酷いのは、


「お、重いぃ……一体どんな体してるの!?」


「あと二人……いや三人手伝ってくれ。この男の体重すぎる!」


 仁を起き上がらせようとしていた警備隊員であった。

 陰陽衣を来ているととても筋肉がついているようには見えないシルエットの仁であったが、実際に触れてみると理解できる。

 見た目からはとても想像できないほどの、重量だ。

 ようやく持ち上がった時に必要だった最終的な人数は六人。歩けないほど影響を受けてる仁の四肢を持ち上げ、背中を二人で支えて持ち上げる。


「情報部隊には私から連絡しておくわ。行きなさい」


「了解です! 行くわよ、皆。くれぐれも落とさないように!」


 せっせと運ばれていく仁たちを見送り、再度……何もなくなった鳥居を人夢は眺めた。鳥居に吊るされた紙飾り〝紙垂しで〟と呼ばれるものには、呪力を外に放出しないよう術式が記されていた。

 だが、その紙垂も注連縄も、もろともパラパラと鳥居の下へと降り注ぐ。


「――常世かくりょと繋がる道が完全に消滅している……。恐ろしいわね、〝鬼神〟というのは……こんなことも出来てしまうなんて」


 人夢の予想が当たっていれば、特級クラスに用意された修練所……つまり常世かくりょであるわけだが、その世界が破壊されたということだ。

 かつての〝安倍晴明〟が大江山に作った陰陽師たちが住まう世界――陰陽市、その世界でも必要不可欠な要素である現実と影の世界の間の世界が、一人の力によって破壊されてしまうなど誰も考えたことすらないだろう。


「この事実が知れ渡ってしまえば、誰もが彼を欲しがるわね」


 陰陽師にも〝悪〟と〝善〟が混同している。当然のことだが、皆が皆、仲が良いというわけではない。

 常世かくりょを破壊することが出来る、という事実は言い換えれば仁一人で陰陽市を破壊することが可能ということだ。

 もはや破壊の化身とも言えるを欲しがらない陰陽師が、果たしてここにいるだろうかと言われれば、否と答えざるおえない。

 安全の面でも、肩書という面でも、友人の面でも、操り人形としても、種馬としても、極めて優秀。考えれば考えるほど、敵に回すのは良くない。

 それは馬鹿のやることだ。


「願や祈には悪いけど……私も手を出してみようかしら?」





 寮長室兼情報部隊第一本部、第一区陰陽寮の二階。

 既にその場には第三区陰陽寮本部 総括館から来た五名の人物が集まっていた。


「うぅ……」


「大丈夫か? 祈。さっきから顔色が悪い」


「ごめんなさい……仁くんと共鳴していると脳みそが激しく揺さぶられてるようになって……」


「もう無理に共鳴しなくてもいいだぞ? 人夢から連絡があったように、あいつはここに連行されてくるんだから」


「そう……なん、だけど――どうしてか勝手に共鳴してしまって……」


 近づくだけで熱を感じる。

 それに加えて、見るからに【朱雀の加護】が輝きを増していた。


「(呪力吸収量の低い祈から、私よりも強い【朱雀】の輝きを感じる……仁め、何をしてくれたんだ?)」


 祈の様子がおかしくなるということは、共鳴の元である仁もまた同じ。

 些細なことを感じ取るわけではない〝共鳴〟という現象が起こるということは、今の仁は祈のこの状態よりももっと酷いことになっているのだろう。


「失礼します。今回の警報を鳴らした三名がただいま到着しました」


「は~い、通しちゃって~」


 誓たち大人組の中から間延びするような声が通った。

 ――第一区 陰陽寮情報部隊長兼寮長 〝星読ほしよみ〟の親族。


「寮長! しっかりしてください、新入生が来るんですよ? ……というか、なんであなたがその中で一番偉そうに座ってるんですか!?」


「ここでは一番だもんね~」


 隣に姿勢良く立つ副隊長の女性がそう言うのも納得であった。

 彼女を囲むように話している人はどれも陰陽師の中で名が高い。

 特に、今代の〝安倍晴明〟安倍星蘭という陰陽師の頂点が立って話し合っているというのに、彼女は長椅子をゆらゆらと揺さぶって敬う気持ちが全く感じられない。


「……はぁ。とにかくちゃんとしてください、もう来ますよ」


 呪力に反応する大きな扉がゆっくりと開くと、現れたのは十人ほどの警備隊員と三人の陰陽師。


「あ、ちょ、あんまり揺らさないで……」


「…………っぷ」


「助けてー、誰かー、神様ー」


 担ぎ上げられて運ばれて来た、仁。

 両脇を支えられるようにして運ばれて来た、阿未。

 両手両足を持たれて担架のように運ばれてきた、雲己。


「っ……はぁ、お前らか」


 願はその顔ぶれを見た瞬間、何かを悟ったようだった。

 自分の父である誓から連絡があり、仁と離れた時にすれ違った二人の姉妹。

 〝阿修羅〟と呼ばれた鬼の末裔――修羅家の二人だ。


「お~、名高い鬼が勢揃い」


「……ったく、なんであやつは問題の渦中に居続けるんじゃ?」


「そんなこと私に言われても困りますよ……。まぁ、自由にしてくれて大丈夫とは言っているので」


「お前さんがそうやって甘やかしとるからこうなっとるじゃろが」


「そりゃぁ甘やかしますよね。陰陽師に染まっていない、あんなに素直で強い子が娘たちの近くにいるんですから。私たちの手で染めるよりも、娘たちに染めてもらった方がいいでしょう?」


「……お前さんら癸家が囲っとるだけじゃろがい」


 少ししか知らなくとも、実際に祈と仁の相性は良い。

 最初に出会ったのが癸家じゃなかったら、こうは行かなかっただろうと思うほどにだ。

 担ぎ上げれていた仁を下ろす時、警備隊に混ざって手伝いをする祈の姿はそれはもう甲斐甲斐しいものだった。もはや何年も前から共にいるような関係に見える。


「仁くん、大丈夫?」


「おー、祈」


「呪力がかなり乱れてるけど一体何をしてたのホントにもう……」


 警備隊の人たちが苦労して運んで来た仁をあっさりと一人で抱えてしまう祈に対して、一部の警備隊員が声を漏らした。


「あ、なんか楽になってきた……」


「本当ですか? それなら良かったですけど……その持ってる大剣は?」


「あぁ、これは――――」


「それは〝阿修羅の黒剣〟だね~」

 

 身長が高くパッと見ると仕事が出来そうな見た目ではあるが、少し目元からズレた丸眼鏡とどこかだらしない服装、覇気がないまったりとした声音が聞こえた。


「……だれ?」


「ここで一番偉い人~、寮長って呼んでよ。〝鬼神の後継者〟鏑木 仁君」


 丸眼鏡の奥に見える五芒星の瞳が、仁の瞳を通して全てを見透かしている。

 仁には、その〝星〟の形に見覚えがあった。

 それはあの時に空に浮かんでいた――――


「ささ、色々聞いていっちゃおうかな~。お姉さんに嘘はついちゃダメだぞ? 鏑木少年」

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