美少女の皮

桜野うさ

第1話 美少女は「いいね」が欲しい

 今度こそ、私は、絶対に評価される!


 嶋中咲良しまなか さくらは自信に満ちた眼差しで、パソコンのディスプレイを見つめた。そこには咲良が一ヶ月かけて描いたイラストが表示されている。今までで最高の出来だ。

 完成させたばかりの高揚するテンションで思ったわけじゃない。このイラストは一週間寝かせ、塗りがはみ出ていないか、塗り残しはないかなどチェックし、修正作業を行っていた。


 最大手イラスト交流SNS「ピクチャー・オフィス」略して「ピクフィス」に、咲良は三年前から投稿していた。ピクフィス では絵師が投稿したイラストに、閲覧者が「いいね」をつけることができる。「いいね」の数が多い作品はランキングに載る。咲良はランキングに掲載されたくて奮闘していた。

 初めは好きな絵を描いてSNSに投稿したが見向きもされなかった。自信作が「いいね」三つでSNSの底に沈んでいく様を見せつけられ、プライドが傷ついた。何日もかけて描いた絵は、これまで描いて来た自分は「いいね」三つ分の価値しかないと言われているようだった。

 だがそこで「自分の絵には価値はないんだ」と認めてSNSを辞められるほど、咲良は諦めのいい性格をしていなかった。「絶対に私を認めさせてやる!」固く固く拳を握りしめて誓う。そこからピクフィス研究の日々がはじまった。


 ピクフィスでは圧倒的に二次創作が強い。オリジナル作品は、よほど上手い絵師以外は評価されなかった。逆に今流行っているアニメや漫画の人気キャラクターを描けば、実力が伴っていなくても評価されることもある。だから今回咲良は、今一番流行っているアニメ「魔法少女マジカル☆みるく」で一番人気の美少女キャラクター「モカ」を描いた。モカの絵は、現在イラスト交流SNSのランキングで上位を総なめしている。

 絵柄と塗りは人気絵師を真似した。この絵をモノにするため、人気絵師の絵を大量に模写した。特に好きでもないアニメの、興味がないキャラクターの絵を描くのは苦行でしかなかったが、評価を得るためならば仕方がない。 


 咲良は毎日のランキングチェックを欠かさず、流行りが変われば次々に描くものを変えた。イナゴ絵師と呼ばれる、一部の人間から忌み嫌われる身分だ。何と呼ばれても構わない。ひとつでも多くの「いいね」が欲しい。

 努力の甲斐あって、咲良のピクフィスでの評価は多少上がった。だけど人気絵師には程遠い。もっと評価されたい――あの子みたいに。

 咲良はランキングをチェックし、「玄草げんそうユメ」の名前を見つけて眉をひそめた。彼女はほぼ毎日ランクインしていた。

 今日のユメの絵は、ゆるいウェーブのかかった胸元まである茶髪の女の子が猫と戯れているものだった。このオリジナルの女の子を気に入っているのか、彼女はよく描いていた。ピクフィスやつぶやきSNSのアイコンにも使っている。

 咲良はユメにムカついていた。彼女に何かされたわけではなかったが、振る舞いが癪に障った。

 彼女の投稿作品は半分以上オリジナルだ。流行ジャンルの人気キャラも描くが、同じくらいの頻度でマイナージャンルのマイナーキャラも描く。モチーフが美少女であるということだけは一貫していた。好きなものを好きなように描くスタンスなのだろう。それなのに、「いいね」の数がいつも咲良より 十倍ほど多かった。


「この子、そんなに上手くないじゃない。デッサンだって狂ってるし」


 評価されているのは更新が早いからだ。咲良はそう考えて納得していた。ユメは毎日一枚以上アップしていた。三日に一回は漫画を、一ヶ月に一回は丁寧に仕上げた大作のイラストを投稿している。咲良にはとても真似できない更新頻度だ。だけどその分、自分の方がクオリティを保持している。


「今回の絵なら、ユメにも勝てるわ」


 咲良は描き上げたイラストをピクフィスに投稿しようとした。胃がきゅっと痛む。心臓がいつもより強く脈打つ。投稿ボタンを押す直前はいつもこうなる。ひとつも「いいね」が貰えなかったらどうしよう。スルーされるのも嫌だけど、閲覧数だけが伸びたらそれはそれで恥ずかしい。


「……でも、投稿しないと誰にも私を見て貰えない」


 最後は勢いでアップロードを済ませた。

 時計は午前二時を示していた。明日も学校だから六時には起きないと。

 あの絵のために、最近ずっと睡眠時間は四時間ほどだった。倒れ込むようにベッドに横になると、電気を消してブランケットに包まった。評価が伸びてくれるのを期待しながら。


 次の日。咲良は何とか高校に来たものの、朝から絶不調だ。頭痛もする。


「嶋中さん、顔色が悪いですよ。保健室に行きますか?」


 四限目の授業中、数学教師は咲良に尋ねた。この男性教師は咲良を気に入っており、他の生徒より明らかに贔屓していた。咲良はかなり容姿に恵まれているため、男性から優しくされることが多かった。


「せんせー、うちが咲良を保健室に連れて行きますー」


 教師の提案を断ろうとする咲良の声をかき消しながら、江東夏子こうとう なつこは元気いっぱいに立ち上がった。

 夏子は咲良の小学校からの親友だ。いわゆるギャルで、金色に近い明るい茶髪と派手なメイク、真冬でも短いスカートを履いた姿はよくも悪くもクラスで目立っている。


「な、行こ?」


 夏子が咲良の手を引っ張った。夏子はいつも強引だ。だがこの強引さが今はありがたい。

 保健室に向かう途中、夏子はからっとした口調で言った。


「どーせ昨日も絵ぇ描いてたんっしょ。ビッグフェスだっけ? ランキング狙ってんだよね」


 夏子はつき合いが長いから、何も言わなくても何でもバレる。


「ピクフィスよ」

「『いいね』の数がどうのこーの、やってて楽しいん?」

「私の勝手でしょ」

「眉間にしわ寄せて、体壊して絵ぇ描いて。どMすぎ。うける!」

「夏子には私の気持ちなんてわからないわよ」

「うん、わからん。うちは絵ぇ描かんし。けど、咲良が前よりつまんなそうなのはわかんよ」


 何も言わなくても何でもバレるのは、時々煩わしい。


「失礼しま~す」


 夏子は勢いよく保健室の扉を開けた。消毒液の匂いが鼻孔を擽る。

 保健室の机で教科書とノートを広げていた男子生徒は、咲良たちが保健室に入って来た瞬間、パッと顔を上げ、何か言いたげに口を開き、すぐに口を閉じて俯いた。きゅっと身を固くしている。眼鏡の奥にある瞳は緊張したように揺れていた。

 咲良はそのいかにもオタクっぽい地味な男子生徒に見覚えがある気がした。


「あれ? 日下部くさかべじゃん。がっこ来てたんだぁ」


 夏子は長年の友達相手みたいに、親し気にぶんぶんと手を振った。夏子はフレンドリーな性格だったので、誰に対してもこうする。男子生徒はさらに体を固くさせた。


「知り合い?」

「咲良の鳥あたま! 同じクラスじゃん!」


 咲良は記憶の糸を手繰り寄せた。高校生になって一ヶ月もしない内に不登校になったクラスメートがいた。確かそれが彼だった。


「せんせーは?」


 日下部の肩がびくりと振るえ、恐々と夏子に顔を向けた。今にも泣きそうな表情で、見ている方が居たたまれなくなった。


「ま、いいや。ここ使わせて貰うな~」


 夏子は二つあるベッドの内、片方のカーテンを開くと、咲良の腕を引っ張りベッドに座らせた。


「うちはきょーしつ戻るから。さっさと寝て元気になりな!」


 そう言って夏子は保健室を後にした。

 ほとんど初対面の男子生徒と二人きりはちょっと気まずい。咲良は日下部に断りを入れると、カーテンを閉めてベッドに横たわった。ぐわんと頭が円を描く。思っていたよりずっと眠気を我慢していたようだ。

 少し眠ろうとしたところで、昨夜投稿したイラストの評価が気になって来た。スマートフォンを操作し、ピクフィスにログインする。ランクインしているかもしれない。少なくとも「いいね」の数は過去一番だろう。

 スマートフォンのディスプレイに、ピクフィスの管理画面が映し出された。


 嘘……。


 ランクインしていないどころか「いいね」の伸びも悪かった。あれだけやったのに、評価が悪ければ努力がすべて無意味に思える。


 ユメの評価は?


 どうせ比較して傷つくだけだ。手首にカッターの刃を当てる気持ちで、咲良はユメのユーザーページにアクセスした。

 彼女は今朝も新しい絵を投稿していた。数時間でささっと描いたようなラフ絵だった。それなのに、咲良が一ヶ月を費やした絵より「いいね」の数が五倍も多かった。キャプションには「ランキング32位ありがとうございます!」と書かれていた。


 こんなラフ絵に負けたの? こっちの方がどう見ても時間も労力もかかっているのに。この子、ほんっと、ムカつく!


 咲良がユメを意識し始めたのは今年の四月だった。咲良があるアニメのキャラクターのイラストを投稿してすぐ、同じキャラクターの絵をユメが投稿した。

 咲良は同じキャラクターを描いた、自分の前後の投稿者の評価を毎回チェックしていた。自分より評価が低いときは満足した。評価が高かった場合も、明らかに上手い人や年上ならスルー出来た。

 ユメはその時、咲良よりさほど上手くもない絵で、咲良の十倍以上「いいね」を稼いだ。

 咲良は急いで彼女のプロフィールを見に行った。プロフィールにはつぶやきSNSのアカウントのリンクも貼られていたのでアクセスした。


〈今日から高校生です。不安でいっぱい! 友達ができるといいなぁ〉


 同い年だ。咲良は胸が嫌な感じにざわついた。

 このつぶやきにはコメントがたくさんついていた。


「ユメちゃんは可愛いからすぐに友達できるよ」「あたしが友達になるから大丈夫だよ!」「不安だったらいつでもここで弱音吐いていいよ?」


 他のつぶやきでも同じようにコメントでちやほやされていた。咲良は数えるほどしかコメントを貰ったことがない。それも「〇〇が可愛い」とか、「〇〇ちゃん、いいですよね」みたいな、誰にでも適用される内容かつ短いものばかりだった。


 その日から咲良は、ユメのピクフィスのユーザーページはもちろん、つぶやきSNSも毎日欠かさずチェックした。ユメリのつぶやきはほとんどが新作イラストの告知だったが、彼女が発見した素敵な物の写真をアップしたり、日常のささやかなことを優しい眼差しで書いていた。コメントの返信も丁寧だった。おそらく彼女は性格がいい。


〈いつも私を支えてくれてありがとうございます! ファンに恵まれて幸せです。これからも私なりの『可愛い』をお届けしますね!〉


 人柄のよさもあってか、ユメの人気は瞬く間に増え、今やアイドルと化していた。

 羨ましい。私だってユメみたいにいっぱい絵を褒められたい。あの子の評価を丸ごと貰えるなら、どんな手段でも選ぶわ。

 咲良は頭痛がひどくなったのを感じた。いい加減寝よう。すぐ深い眠りに落ちた咲良は、手からスマートフォンが滑り落ちたのに気がつかなかった。

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