第26話

「この国としても、そんな騒動を起こした第一王子など迎え入れたくはない。婿入りしたあとで、スリーダ王国がこちらに干渉してくる可能性もある。残念ながら、国力は向こうの方が上だからね」

 だからこそ国王陛下も、適齢期の女性はすべて婚約者が決まっていると言って断るつもりだろうと、テレンスは語る。

「アデラの婚約も、もう少し様子を見て、スリーダ王国の元王太子の婿入り先が無事に決まったあとに、何とかできればと思っていたが……」

「そうね」

 アデラも、今日は様子見くらいのつもりだった。

 クルトにはもう期待していなかったが、婚約を解消するのはそう簡単ではないと知っている。

 まさかリーリアが、こんなに立て続けに仕掛けてくるとは思わなかった。敵の行動を読み切れなかったのは、アデラの落ち度だった。

(甘かったかもしれない……)

 結果的に彼女は失敗したが、随分ひどいタイミングで仕掛けてくれたものだ。

「王太子殿下は、この状況では婚約解消も時間の問題だと向こうに知られてしまう。ならばそれよりも先にさっさと白紙撤回させて、次の婚約者を決めた方が安全だと思われたのだろう」

 スリーダ王国の密偵が、この国にも潜んでいる。王太子はそう考えていると、テレンスは教えてくれた。

 アデラのエスコートがテレンスだったことも、あの場で婚約を白紙撤回させた理由だろう。彼ならば王太子の意図を悟り、断ることはないと思ったに違いない。

「こうして婚約が白紙撤回されてしまった以上、向こうに知られる前に、次の婚約者を用意する必要がある。不満かもしれないが、アデラを守るためだと思って承知してほしい」

「そんな、不満だなんて」

 アデラは首を横に振る。

 たしかに昔は、冷たいテレンスが苦手だった。

 敵どころか、父や弟などの身内にも容赦しない人だ。

 それでも、今までアデラに対して彼が冷たい態度を取ったことは一度もなかった。

 それどころか、弟の不始末を償うためだとしても、アデラが不利にならないように、色々と手を回してくれた。

「むしろ今まで何度も助けてもらったわ。今回もそう。テレンスこそ、私でいいの?」

「私は……」

 テレンスは何かを言いかけたあと、しばらく口を閉ざした。

 迷いのある瞳。

 彼がこんな顔をするなんて、初めてのことだ。

 何か大切なことを話そうとしている。

 だから、アデラは急かさずに、静かにテレンスが話すのを待った。

「私はもう二度と、誰かと婚約しない。そう決めていた。色々と事情があったのも確かだが、爵位を譲ったのは、それが一番大きな理由だ」

 しばらくして、整理がついたのか、テレンスは穏やかな口調で話し出した。

 アデラは静かに、その言葉に耳を傾ける。

 先代のオラディ伯爵の再婚相手が殺人犯だったことで、色々と大変だったのはアデラにもわかった。けれどこれほど優秀なテレンスならば、そんな状況でも何とかすることができたに違いない。

 王太子とも親しく、ティガ帝国の皇太子からも、誘いをかけられるほど優秀なのだ。事件の当事者がすべて去ったこともあり、信頼を取り戻すことなど簡単だったのではないか。

 でもテレンスは、すべてを手放して移住することを選んでいた。

 きっとそれだけの理由があったのだろう。

「私とレナードは、実は異母兄弟だ」

「え……」

 そんなことを考えていたアデラに、テレンスはさらりとそう言った。

 たしかに、似ていない兄弟だと思っていた。

 レナードと父である先代のオラディ伯爵はそっくりだったが、テレンスだけ、容貌も髪色もまったく違う。

 レナードの亡き母は男爵家の令嬢で、伯爵と熱烈な恋をして駆け落ちのような結婚をした。そう聞いていたが、それはレナードの母であり、テレンスの母ではなかったということか。

「私の母と結婚していた父は、レナードの母と出会い、駆け落ちをして伯爵家から出奔した。だが世間体が悪いからと言って、その事実は隠蔽され、母は私を連れて実家に戻った。当時のオラディ伯爵家には、まだ祖父がいたからね。祖父は、父の出奔を母のせいだと責めたようだ。結局父が戻ってきたのは、母が亡くなってからだ」

 その頃にはもう、レナードが生まれていたようだ。

 テレンスの母の実家とオラディ伯爵家は話し合いを重ね、テレンスの母と父との婚姻を無効とすること。代わりに、テレンスを次期当主とすることで、決着をつけた。

「無効だなんて、どうしてそんなことを」

 結婚していたのなら、どんなに愛し合っていたとしても不倫である。悪いのは、完全に愛人と駆け落ちをしたオラディ伯爵だ。

 それなのになぜ、被害者であるはずのテレンスの母の結婚を無効にしたのか。

 たとえもう亡くなっていたとしても、あまりにもひどい仕打ちではないか。

 そう憤るアデラに、テレンスはふと表情を緩ませる。

「向こうでも、母の妹の結婚が決まる寸前で、醜聞は避けたかったようだ。それに、母は実家でも孤立していたらしい。私は父にも母にも似ていなかったから、本当にオラディ伯爵の子どもなのか、疑われていた部分もあったらしい」

 もちろんテレンスの母は、夫を裏切るような真似はしていない。彼女は孤独で、友人のひとりもいなかった。

 もう亡くなっていることもあり、両家ともこの醜聞が世間に知られてしまうことを恐れて、何もなかったことにするのが一番だと結論を出したのか。

 実際に、テレンスとレナードが異母兄弟だったなんて、アデラはまったく知らなかった。もしかしたら、父も知らなかったかもしれない。

 オラディ伯爵は、実際には三度も結婚していたことになる。

 あの事件のあとも、それを追求する者がいなかったことを考えると、知らない者の方が多いのだろう。

「母が亡くなったとき、私はまだ幼かったが、毎日のように泣いて、父と自分の家族を恨んでいた姿を覚えている。私の婚約者が庭師と駆け落ちしたと

聞いたとき、真っ先に思い出したのは、その母の姿だった」

「あ……」

 そう言われて、思い出す。

 テレンスの婚約者だったメーダ伯爵家のエリーも、駆け落ちをしている。

 しかもメーダ伯爵家では娘を連れ戻すどころか、援助までして、娘を匿っていた。

 それがテレンスに、不倫をして駆け落ちをしたのに許された、父の姿を彷彿させたのかもしれない。

 だが何もできず失意のまま亡くなってしまったテレンスの母とは違い、彼は復讐をした。

 自分を裏切ったエリーに。

 そして、父親とレナードにも。

「以前から父とレナードの言動は監視させていたが、アデラからの手紙がなかったらもう少し対処が遅れて、父には逃げられたかもしれない。感謝しているよ」

 アデラは黙って首を横に振った。

 自分のためにやったことだ。あのときは、テレンスなら上手くやってくれるだろうと、そんな軽い気持ちで手紙を出したに過ぎない。

 まさか彼が、これほどの過去を背負っていたなんて思わずに。

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