第12話【旅立ち】
あの鏡と鬼がアパートから帰って行った直後、俺は時空の扉をくぐって異世界に戻ってきていた。まだ小川ではチルチルが洗濯に励んでいる。こちらの世界では時間が十分の一しか過ぎていないから洗濯も進んでいないのだろう。
俺は洗濯に励むチルチルの小さな背中を凝視しながら考えていた。これからどうするかをだ。
ウロボロスの書物の事。ゴールド商会の事。生活の事。今勤めている会社の事。お金の事もだ。それにチルチルの未来も考えなければならない。問題は山積みだ。
だから考え事をするならば、こちら側の世界が丁度良いだろう。何せ時間の流れが現実世界の十分の一なのだから都合が良い。考え事がゆっくりと出来る。
俺は小川が見下ろせる丘の上で骨のみの膝を抱えて体育座りで考え込んでいた。眩い日差しが温かくって吹き付ける微風も気持ちが良かった。全身が骨だけど自然の空気を感じられるだけの感覚は残っているらしい。そんな小さなことにホッとする。
まあ、この異世界は俺のためにある世界みたいなものらしいから、しばらくはエンジョイしてみるか。まずはこの世界を知るところからスタートである。
それから元居た世界のことを考えよう。こちらで一日過ごしても、向こうの世界では2時間と24分ぐらいしか過ぎないのだ。まずは三日間ぐらいこの世界を旅しよう。
そして、向こうの世界が朝になったら会社に出社だ。まあ、焦ることはないだろう。また、鏡にゴールド商会への入社を問われるかもしれないが、一日ぐらい待たせても問題なかろうて。
俺は手元にあったウロボロスの書物をパラパラと捲ってみた。まだ新しいクエストは記載されていない。まずはクエストをバンバンクリアして、俺の能力を強化しなければなるまい。弱いより強いに越したことはないはずだ。
そして、俺がチルチルのほうを見てみれば、彼女がジャージを近くの木の枝に干しているところだった。小さな身体をめいいっぱい伸ばしてジャージを木の枝に引っ掛けている。
それからジャージを干し終わったチルチルが俺のほうに駆け寄ってきた。ちょこちょこと走る足取りが可愛らしい。キュンっと来る。
「御主人様、もうしばらくお待ちくださいませ。ただいま洋服を乾しておりますから。あら、着替えを持ってらしたのですか」
俺はコクリと頷いた。それから俺はチルチルが肩から下げている鞄を指さした。中を見ろとジェスチャーする。するとチルチルが鞄の中を弄りアンパンとコーラの500ミリペットボトルを発見して取り出した。
チルチルはアンパンを見付けて瞳を輝かせていた。朝に食べたジャムパンを思い出しているのだろう。
俺は昼飯だとジェスチャーを送りチルチルにアンパンを食べろと伝えた。それを見てチルチルは喜びとワクワクに満ちた笑顔でアンパンの袋を破いて食らいつく。
「こ、これも甘いでしゅ。柔らかいパンの中に何か甘い物が入っていましゅ。これは煮付けた豆の料理ですか。でも、なんで豆がこんなに甘いのでしゅか!」
うむ、可愛らしく驚いているな。その笑みが俺の癒しになるぞ。偉い偉い。
チルチルは初めてのアンパンに夢中になっていた。アンコって日本独自の食べ物だから西洋文化のファンタジーには無いのだろう。だから珍しいはずだ。
俺は続いてペットボトルの蓋を開けてやってチルチルにコーラを進める。チルチルは黒い液体の飲み物を警戒していた。コーラも初めて見るようだ。
「これは、コーヒーか何かですか。まだ私は子供なのでコーヒーは苦くて苦手なのですが……」
まあ、良いから飲んでみろと俺は勧めた。すると恐る恐るチルチルはコーラを口にする。
そして、コーラを一口飲むと大きく瞳を見開いて驚いていた。
「なんですか、このシュワシュワした飲み物は。しかも後から甘みが襲ってきますよ。しゅ、しゅごいでしゅ!」
やはり炭酸入りドリンクも初めてなのだろう。しかもコーラのように甘い飲み物すら初めてのはずだ。驚いている驚いている。もっと驚けって感じであった。
それからしばらく俺たち二人は小川が見下ろせる丘の上で日向ぼっこをしながら寛いでいた。チルチルも日向ぼっこが好きらしい。俺も久しぶりにのんびり出来ていると肩の力が抜けてくつろげた。
それから一時間ぐらいすると洗濯したジャージもすっかり乾く。洗濯したジャージはチルチルの鞄の中に入れて持ち運ぶことにした。予備の着替えである。
それから俺たちは村長さんの家に向かった。コボルト討伐の報告をするためにだ。
俺たちが村に帰るとかなり驚かれた。3時間あまりで森のコボルトたちを全部討伐したと言うのだから驚いている様子だった。
そして、俺たちは村長さんの家で安物のお茶を頂く。俺たちがのんびりしている間に数人の村人たちが森に出向いてコボルトの討伐を確認してきたらしい。そして、確認は取られた。これで村長さんからの依頼も完了である。報酬に金の指輪を頂いた。
俺は指輪を凝視しながら村長さんに、この指輪を本当に貰ってよいのかと表情だけで問うた。すると村長さんは情けなさそうに答える。
「離婚した妻の忘れ物ですから。どうぞ貰ってやってください……」
離婚したのかよ。ならば遠慮は要らないかな。貰っておこう。
さて、これからどうするかだ。こまかな目標が無いから悩んでしまう。ならば、まずは近くの町に行ってみるか。それからこれからのことを考えても良いだろう。
俺は村長さんにジェスチャーで近隣の町があるかを訊いてみた。すると道沿いに一日ほど歩いたところに町があると教えてもらう。
よし、まずはその町に向かってみよう。新たなる冒険の始まりだぜ。
こうして俺たちは貧しそうな村を出て次なる町を目指すのであった。
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