トンチキ営業
猫パンチ三世
トンチキ営業
そいつは突然やってきた。
ある金曜の日没後の事である。
その日、私は仕事が休みだったため友人と少し遠出をし遊んでいた。
友人と別れ、家に着いたのは十八時を過ぎた頃で季節の事もありすでに陽は落ちきり、辺りは夜の風体へと変化している。
上着を片付け、さて少しゆっくりするかと考えているとピンポーンという電子音が聞こえた。
この日は特にこれといって来客の予定も無く、郵便物が届くといった事も無い。
加えて私の住んでいたアパートは壁がせんべいのように薄く、隣の家のチャイムも聞こえてしまうため、きっと隣の家に誰かが来たのだろうと呑気に構えていた。
だが少し間を置いて、もう一度チャイムが鳴る。
隣人がチャイムに即座に反応するような人間かどうかは分からないが、郵便にせよ来客にせよ自分に用があればすぐに出るはずだ。
私が帰ってきた時に、隣室の電気が点いていたため急な睡魔に襲われでもしない限りは反応するはずだ。
にもかかわらずチャイムは鳴る。
おや、これはおかしいなと思い私は重い腰を上げゆっくりと玄関へと向かった。
なるべく音を立てないようにドアに近づくと、そっとドアスコープを覗く。
そこにはダウンジャケットを着た、見知らぬ男が立っていた。
その瞬間、私の心の中でサイレンが鳴り響く。
十八時過ぎという家庭によって夕食時の忙しい時間、そこにアポなしで突撃してくる人間がまともなはずが無い。
というよりも、そもそも私は突然家に来る人間を信用していない。
過去にも訳の分からない商品を売りつけられそうになったり、神を信じる敬虔で厳かな者が来たりとロクな目にあっていない。
間違いない、こいつは敵だという考えが私の中で可決され、やや偏見とも取れる考えに、この時の私は完全に支配されていた。
とはいえ夜であるため明かりで私がいる事はバレているだろうし、この男も帰る気配が無い。
こうして考えている間にも、二度ほどチャイムが鳴らされた。
仕方ないとドアを開ける事にしたものの、やはり生来の臆病さと今までの経験から、ドアチェーンをかけたままドアを開けた。
「あ、どうもこんばんわ!」
いる事は知っているくせに、何ともわざとらしい反応をしやがる。
『一か八かに賭けてみたら偶然いた』といういかにもな反応を見せた男は、無駄に元気のいい挨拶をした。
「どうも……どういったご用件ですか?」
「今、近隣の皆様に挨拶をして回っておりまして。ご主人には中々お会いできなかったので改めて挨拶に参りました」
「そうですか、どういったご用件ですか」
「あ、その事についてお話したいので……そのままですとちょっと……お話しづらいかと思います~」
ドアの隙間から覗く私が気に入らないらしく、直接的ではないが確実に男はドアチェーンを外せと言っている。
挨拶だというのならさっさとして帰ればいいではないか、確かに私の反応は褒められたものではないかもしれないが、突然やってきた素性の知らない人間を警戒するのは当然である。
だがこの男、やはり私が話を聞くまでは帰らない腹積もりらしい。
仕方なくドアチェーンを外し、扉を開けた。
玄関先に立っていたのは、黒いダウンジャケットを中肉中背の男だ。
若干色黒で、私の苦手な少しこなれた社会人感のあるような雰囲気を放ち、口元には嘘くさいニタニタとした笑みが浮かばせ、いかにも今からあなたを騙しに来ましたというような風体だ。
「ああ、ありがとうございます。私、J不動産から来ましたAと申します」
「はあ」
「今、各世帯の皆様に挨拶をして回っておりまして、昨日の昼ごろにも来たのですがいらっしゃらなかったようでして」
それはそうだ、いるわけがない。
私はこの時、シフト制の仕事をしていたため当然ながら休みは不規則だ。加えて年末の忙しい時期で残業も重なっていたため、帰る時間はいつも二十一時近くだった。
十八時などに来られても出れるわけが無い。
「それでですね、いま我が社の不動産に関する取り組みについてご説明させて頂いております。ですが、全ての方に説明しているわけではなく、取り組みに該当する方、そうでない方におわけしておりまして、そこをはっきりさせたいのですが……ご主人さまのご職業は何でしょうか?」
ほう、こいつめ、夜分にどうのという口上すらなく話を始めやがった。
思っていなくてもそういうのはテンプレのように言うのでは無かろうか? ちなみに私の名誉のために言うが、普段の私はここまで人の言動の節々にまで、難癖を付けるようなめんどうくさい人間ではない。
私も相手も当然人間、ましてやテンプレ言葉など何百も繰り返していればポロリと抜ける事もあるだろう。それに私自身、褒められた言葉遣いではない。
だがこのAは、そういった部分にも目を向けさせるような妙にささくれだった苛つきを覚えさせるような男だった。
「ええと、一応製造業ですけど」
嘘である。
「なるほど、勤続年数はどれくらいですか」
「大体三年くらいですかね」
嘘である。
「年収はどれくらいですかね」
「約……三百万くらいですかね」
嘘である。
「ちなみに、ご主人以外に昼間に対応できる方っていらっしゃいましたか?」
「いません」
本当である。
「恋人や、奥様はいらっしゃいますか」
「いません」
……本当である。
とまあここまで、嘘で固めた面接試験のような問答を繰り返す。
基本的に私はこういった信用できない相手に対して、なるべく個人情報等を偽って話す。
何かと色々ある世の中だ、下手気にペラペラと話をして万が一があってからでは遅い。こういう人種は大体が一期一会だ、二度と会わないなら自分の情報を渡す必要など無い。というのが私の考えだった。
「なるほど、なるほど」
質問に答えながら、私は寒さに一人震えていた。
Aはダウンジャケットを着ているからいいが、私は完全に部屋着だ。玄関の構造上、冷たい冷気が部屋の中に向かって流れ込むため当然私に直撃する。
シンプルだがきつい苦に晒されながら、私は人生における選択の大切さを嚙みしめていた。
「ええ……それから、預金の方はいくらぐらいでしょうか?」
預金? こいつは今預金と言ったか? なぜそんな事を答えなければならないのか、私の雀の涙の二分の一くらいの預金額が一体何の参考になるというのか。
なぜ初対面の人間に芸能人レベルの情報を開示しなければならないのか、そもそも貯蓄額を聞くなどよほど親しい仲だったとしても躊躇う質問だ。
それともこいつはこの短い時間の中で、人知れず私と友情を育んでいたとでもいうのだろうか?
「ほとんどありませんね、五万くらいです」
疑問は次々浮かぶが、内心苛立っていた私はやや語気を強めて口を開く。
実際はほぼゼロだったが、無意識に見栄を張った。
「ああ……そうですか」
憐れみににた視線を向けつつ、Aは更に質問を繰り返す。
「では昨年度の年収の分かるものはありませんか? 厳選徴収票や給与明細などは?」
いやいや待て待て、さすがにおかしいだろう。
なぜそこまで教える必要があるのだろうか? そもそもこいつは何をしに来たんだ?
我が社の『取り組み』とAは言ったが、その取り組みとは一体何なんだ?
先ほどの発言から目の前の男が、不動産関係の人間だという事は分かる。であればだ、まず真っ先に考えるのは不動産売買の話を持ってきたのではないかという事だろう。
例えば戸建ての家、マンション、土地、などなどそういったものを売りに来たのならば話は分かる。
だがAは我が社の取り組みとしか言っていない、なんだそれは。
そんなフワッとした綿菓子みたいな話に、自分の給与明細まで明らかにするのには抵抗がある。
「給与明細とかを見せる前に一つお聞きしたいんですが、その我が社の取り組みって何なんですか? もし家とか土地とかを買いませんかってお話なら、今の私にはちょっと縁が無いかなと思うんですけど」
私がそう言うと、Aは人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「何か勘違いされていらっしゃいますね? 今回来たのは、家を買ってくださいとか土地を買ってくださいって事じゃないんですよ」
「え? えーっと……不動産の営業の方なんですよね?」
「はい、そうです」
余計に分からん。
じゃあお前は一体何をしに来たんだ? 家やら土地やらを紹介しないのに私の年収やら貯蓄を聞くのか?
私の中に溢れんばかりのクエスチョンマークが浮かぶ。
「すいませんが、その我が社の取り組みというものの中身を教えて頂けませんか? 私が該当した場合、どういったお話をされるのかなと思いまして」
自分が取り組みを説明される枠組みに入ったとして、どんな話をされるのか。
それさえ聞ければ、この場で断る事もできるし万が一プラスになるような話なら聞いても良い、私はそう思って聞いた。
「いや、まずはお客様の情報を整理させていただきたいと思いまして。それから説明した方が建設的なお話ができると思うんですけれども」
そうじゃねんだわ、いいから取り組みの中身を話してくれ。
なぜこうも具体的な話をしないのか、私は寒さでどうにかなりそうなのになぜAはダウンジャケットを着ているのか。
もうこの辺りから正直なんでもいいから早く帰ってくれという思いが、かなり強まっていた。
「分かりました、でもあらかじめお伝えしておきますと私が該当するしないに関わらずそちらのご期待には沿えないと思います」
これは言葉のままだ、貯蓄残高無の人間に内容はなんであれ不動産関係の契約などが結べるはずがない。
Aが仮にちゃんとした不動産の営業だったとして、ノルマに追われ一縷の望みにかけて私の部屋を訪れたのならそれは気の毒としか言いようがない。
さっさと私など切って、次の客に行くべきだ。
端的に言えば、『早く帰れ』という言葉を私なりにオブラートに包んでつたえたつもりだった。
「それは内容がなんであれ、お話をするつもりがないという事ですか?」
「まあ、そうなりますかね」
「えっと、ちなみにどうして給与明細を見せる前に取組みの内容を話してくれっておっしゃったんですか?」
逆になぜそんなフワッとした内容の話に、そこまで情報を与えると思ったのか。
ちなみにだが原因はこの男だけではない、過去に訪れ私の時間を奪っていった者たちとの経験から前述の通り私はなるべく個人情報を渡したくないと考えていた。
「失礼ですが、正直に言って突然来た見ず知らずの方に個人情報などを話すのが怖いんですよ。過去にもそういった方がいましたから」
「そういう方、とういうと?」
「いらない物を売ろうとしたり、宗教の勧誘だったりとかですね」
「つまり私に対して警戒心があったという事ですかね?」
ああ、そうだよ。その通りだよ。
まさか自分が胡散臭くないとでも思っているのだろうか、アポなしかつ十八時という時間の訪問。
更には話の内容もぼかしまくると来たもんだ、警戒されて当然ではないだろうか。
私の言葉を聞いたAは、ふぅと小さくため息を吐いた。
「私はそういった宗教関係などの人間ではありませんよ」
それはまあ分かるが、問題はそこではない。
「だとしてもやっぱり情報の悪用とかが怖い世の中ですから、やっぱり警戒しますよね」
Aはおもむろに手袋を外し、チャイムを鳴らす。
「はっきりと申しまして、日本の警察は優秀ですからもし私があなたの個人情報を悪用した場合すぐに捕まってしまいますよね? 今マスクとかもしてませんしこういう風に指紋も残してます。であればご主人の心配はいらない心配かと思いますが」
「はあ……」
確かに日本の警察は優秀だが、それでも逃げ切る人間はいるだろうし取りこぼす証拠だって無いとは言い切れない。
というか警察を妄信し、何かあってもすぐに何とかしてくれるから大丈夫と判断しペラペラと個人情報を垂れ流すのはどう考えたっておかしな事だ。
警察とはあくまで市民にとって最後の手段、病気になった時の医者のようなものだ。病気と同じで犯罪だって予防できるに越した事は無いずだが、なぜかAは私のそういった考えをいらない心配として一蹴した。
何度でも言うが私はAと友人ではない、この日初めて会ったのだ。
誰かに紹介された訳でもないため、この男が安全かどうか保障してくれる人間もいない。
だがどうやら彼の中では、自分は警戒する必要の無い至極真っ当な人間であるという考えがあるらしい。
というかそもそもお前は、最初は手袋していただろうが。
「恐らくですが、過去のそういった方々と私を一緒くたにしているのではありませんか? 警戒するのは分かりますが、最初の対応やここまでの応対を見ると少し失礼な方なのかと思ってしまいます」
なぜか説教が始まってしまった。
自分の胡散臭さを棚に上げ、こちらを失礼な人間だと言い出したAに対する印象は地の底へ向かって急降下、フラッシュクラッシュもいいとこだ。
確かに警戒心から、人によっては失礼だと思われる対応もあっただろうが私の過去にあった出来事や考えは伝えてある。
それを踏まえて失礼な人間だと言うあんたは、失礼じゃないのかと逆に聞きたい。
「お気を悪くしたのならすいません」
「まあ私は良いですけどね、もし本当に危ない会社の人間だったらどうするんですか? 最初から犯罪者だ、みたいな対応されたら誰だっていやな気持ちになりますしそれこそトラブルに繋がりますよ? そっちの方が怖くないですか?」
驚きだがこれは本当にこう言っていた。
客が神様だ、みたいな考えは私の中にはもちろんない、だがあくまで営業だというのなら何かを買ってもらおうというスタンスで来るのではないだろうか?
にも関わらずこんな脅しじみたセリフを吐き、更には話の中身もまだ話さない。脱線超特急みたいな男になぜ私は説教を喰らっているのか。もしやこいつはこれが目的でここに来たのか? そう思ってしまうほどに奇妙な状況だった。
もう一つ言うなら、私はこの『私は良いですけど~』といった言葉を使って他人を批判する人間が反吐が出るほど嫌いだ。
間違いなくムカついているのは自分のくせに、まるであなたのためを思って言ってるんですよみたいな態度が非常に腹立たしい。是非とも富士山の火口に飛び込んで、地球と一体になって頂きたい。
結論から言うと、私はこの日これといって契約を結ぶことは無かった。
紆余曲折を経て、話を進めていく中で私が言った勤続年数等の情報が嘘だとバレてしまい、その結果どうも私は対象外だったらしい。
だがそこに辿り着くまで、約一時間半の時間を費やした。Aは話の途中で他の方はここまで時間かからないんですけどね~と、壊れたラジオのように繰り返していた。
そして幕切れとはあっけないもので、Aが会社に連絡し私の経歴が違っていたと知るやいなや、電話口の向こうの上司らしき人物が『そこはさっさと切って次に行け』と言ったために終わった。
Aはお暇しますと言う言葉と『嘘は良くないですよ』という金言を残し、寒空の下へと消えた。
一応その後の顛末として、男が言ったJ不動産という会社を検索してみたがそれらしい会社は出なかった。
やはり詐欺か、何かしら後ろめたい事があったと考えるのが妥当であると私は判断した。
その後、友人にこの事を話すと『そもそも良く一時間半も話してたな』と至極真っ当な返事が返ってきた。
一応今回の学びとしては、見知らぬ人間には心とドアを開かないというものだろうか。
私は時折、Aが言った嘘は良くないですよという言葉を思い出し考える。
嘘を言った私と大切な事を言わなかったA、果たしてどちらが真に悪であるのかを。
それが私の失われた一時間半に対する、私なりの弔いと信じて。
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