第4話

 凱泉は主に言われた通り、妖魔の最前列で避難誘導していた。

 楊梅の指示に従って民衆たちを避難させていた彼は、逃げ惑う人々の中に立ち尽くしたままの少女を見つけて目をみはった。


「――そこの者、早くここから立ち去りなさい!」


 すでに人々はこれ以上先のみちから去っている。人がいない広小路の向こうからは、巨大な鳥の化け物が怪しげな動きでこちらに向かってきていた。


 少女は凱泉の声が聞こえないのか、顒に視線を固定したままだ。

 凱泉は彼女に近寄り、馬上からさらに大声で退却命令を出す。振り返って凱泉を仰いだ少女は、顔中に焦りを滲ませていた。


「どうしたのだ、早く行きなさい! ここは危険だ」

「……ですがっ」


 少女がなにかを言いかけたが、ギョギョギョという鳴き声に言葉を遮られる。

 怪鳥は翼を広げると、音もなくふわりと舞った。飛んでくる速さはそれほどではないが、路の端から端まであるかと思われる大きな翼に恐怖心を煽られる。


「こちらに来る……急いで逃げなさい!」


 羽によって巻き上げられた風に煽られ、二人とも袖口で顔を覆う。目を開けた少女は凱泉の腕をまじまじと見るなり、強い視線を向けてきて口を開けた。


「眉間です!」

「なんだって?」

「弱点は眉間なんです! ですから射ってください! すみません!」


 わかりやすく伝えるためか、右手で少女は自身の額をつつく仕草をした。

 凱泉が眉根を寄せていると、少女は腰を深々と折って走り去ってしまった。やせ細ったその後姿を見送り、凱泉は怪鳥の不気味な鳴き声で我に返った。


「眉間だとなぜ確信をもって言える……それになぜあの少女がどうしてそのことを知っているのだ?」


 頭上を飛び去り、さらに城に近づいてしまった怪鳥の後姿を見ながら、凱泉は冷静になった。


「もし眉間が本当に弱点なら……」


 凱泉は楊梅に向けて伝令を飛ばした。



『急所眉間也』



 府庫を漁っていた楊梅は、凱泉からの言伝を聞くとすぐに立ち上がった。


「わたしの大弓を東の墩台とんだいまで持ってきてくれ」

「御意」


 楊梅は居室に戻ると、甲冑には目もくれず胸当てと弓弽ゆがけを持って城壁を駆け上った。

 そこではすでに、二人の部下たちによって運ばれてきた楊梅専用の大弓が用意されている。

 三人がかりで弦を張っている横で、楊梅は五本の指全てを覆う諸弽もろがけをしっかり右手に嵌めた。


「楊梅様、化け物がこちらに向かってきます!」

「離れていろ」


 楊梅に大弓を渡すと、兵たちは彼から距離を取る。彼らの目には不安が詰まっているのが見えた。

 全員が下がったのを確認すると、楊梅は横に置いてあった筒から漆黒の漆塗りが施された長めの矢を一本取りだした。

 弦に矢筈を押し込めると、パチンと小気味よい音が鳴る。空気がそれだけで張り詰めた。


 城に向かって伸びている大路の、一番東側の道で暴れている人面怪鳥に、楊梅は視線を向ける。高さがあるこの場所からは、化け物から逃げる民衆の寄り集まった姿が黒々とした塊のようになって見えていた。


 弓を左の膝上に乗せて楽な姿勢をとったまま、部下に話しかけた。


「民たちの避難は済んでいるな?」

はい


 兵の一言に、楊梅は良しと口元を緩めた。万が一にも、自身の放つ矢で民衆を傷つけるようなことはしたくない。そんなことになったら、養父に面目が立たない。


「では、遠慮なく仕留めさせてもらおう。眉間が弱点ならばの話だが」


 楊梅は、す、と呼吸を整える。そこにいた誰もが、その瞬間にはっと息を呑んだ。

 左手の手の内を整えると、瓦屋根を止り木代わりにしている顒に向かって楊梅は弓を構えた。


 頭上まで掲げられたたくましい腕によって弦が引き絞られる。

 楊梅の身体は弓の中に割れこむように入って一体化し、大弓は動きに合わせてゆっくりしなっていく。

 ぴたりと弦が頬に当てられると、さらに引き絞られたそれがキリキリと音をたてた。


 風が一瞬止む。


 顒が、なにかに気がついたように首をもたげた瞬間――。


 ぐらりとその脚がふらつき、断末魔の叫びとともに建物から転げ落ちて路に倒れた。

 誰もが、なにが起こったのか理解できないままだった。

 顒の近くにいた凱泉だけが、今起きた出来事をきちんと理解できていた。

 凱泉はほっと胸をなでおろしながら微笑んだ。


「……お見事です、楊梅様……」


 凱泉の視線の先では、眉間に黒い漆塗りの矢を食い込ませて倒れた顒の姿があった。


 ――楽芙を襲った怪鳥は、たった一本の矢で眉間を討ち抜かれていた――。

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