第2話 現状確認と解決策

「坊ちゃま……」

「泣くな、爺」


 粗末な作りの執務机に向かって、オレはさめざめと泣く黒服を着た爺を一喝する。オレの声は甲高く、残念ながらこの身がまだ五歳の子どもということをひしひしと実感させられた。本当はオレが泣き出したいくらいだ。子どもより先に泣くなよ。


 オレは、頭を抱えて執務机に置かれた羊皮紙と睨めっこする。見ているのは、我が領の収支を記したものだ。見事に真っ赤っかに染まってる。嫌になる現実だ。


 羊皮紙の赤字が示すのは、我が領の借金だ。桁が多すぎて数えるのも面倒なほど、我が領には大量の借金があった。


「父上も、もう少し頑張ってくれていたらよかったのだがな……」

「おいたわしい限りでございます。きっと、坊ちゃまのことを最期まで案じていたことでしょう……」


 オレとしては、少しでも借金を減らしてほしかったという意味で言ったのだが、爺には、もう少し父親に長生きしてほしかったという幼子の嘆きに聞こえたようだ。


 三か月前、オレの今世の父に当たるベルンハルト・バウムガルテン男爵が死んだ。死因は病死。元々体の丈夫ではなかった父は、世継ぎであるオレの誕生にホッとしたのか、オレが生まれてからは一気に老けたようにやつれていった。


 母親であるアマーリア・バウムガルテンも、産後の肥立ちが悪く死んでいる。バウムガルテン男爵家に残されたのは、オレと双子の妹であるコルネリアだけだ。


 したがって、兄であるオレがバウムガルテン男爵家の当主になったわけだが……五歳の子どもに領地の経営を任せようなんて、狂気の発想だろう。普通、まともに経営できるわけがない。


 こうなったのも、バウムガルテン男爵領が、王国の外れの陸の孤島で、ろくな特産品が無い、赤字塗れの旨みが無い領地だからだ。


 普通は、寄り親であるヒューブナー辺境伯からか、王都から、後見人である代官が送られてくるはずだが……赤字続きの領地の経営を命じられても、赤字が出たら代官の責任になってしまうから取り止めたのだろう。


 代官を気遣う余裕があるのなら、子どものオレたちを気遣ってくれてもいいと思うよ?


 一応、王家と寄り親から見舞金は貰ったけどさ。


 とはいえ、土地が瘦せ自給自足さえ難しい領地だ。領民から税を搾取するのことなどできるわけがなく、逆に男爵家が借金して領民を食わしてやってる状態だ。このままでは金は無くなるばかり。


「コルネリアのためにも、どうにかしなければ……」

「坊ちゃま……!」


 オレの呟きに、爺が心底感動したとばかりに涙に濡れた目を向けてくる。齢五歳にして妹と領地をどうにかしようという責任感に胸を打たれたのかもしれない。


 コルネリアは、父上の病気が遺伝したのか、体が弱い。コルネリアの命を繋ぐ薬にも金がかかる。金の切れ目が妹の命の切れ目だ。


「くそっ」


 オレは転生者だ。今世ではまだ五歳だが、前世ではブラックな社畜のろくな人生ではなかったが、それでも十分に生きた記憶がある。なぜオレではなく、コルネリアが病に蝕まれているのだ。できることなら、とっくにオレが妹の病を代わりに受けるというのに……。


 そして、転生者として知識がある程度あるゆえに、この領地がどうにもならないほど詰んでいることが分かってしまう。


 このままでは、借金の返済を待ってもらったとしても、コルネリアの命はあと二年もない。その事実がオレに重く圧しかかる。


「あぁー……」


 なにをどう考えても上手い方法が浮かばず、頭を抱えてしまう。


「坊ちゃま……」


 爺の言葉がまた水気を帯び始める。涙じゃなくて打開策を出してほしいんだが? だが、爺にも案など無いのだろう。そんなことは分かっている。


 もう常道ではどうにもならないことは分かっているのだ。ならば、手を汚してでも非常で非情な判断が必要だ。


「ぁ……」


 頭を掻き毟り、頭が熱を持っても考え続けた結果、オレの脳裏に一つの方法が浮かんだ。浮かんでしまった。


 金になる特産品がない? あるじゃないか。それもそこそこの数もあるし、中には山に捨てられているものもあるらしい。なんともったいない。


 だが、この手を取ったら、オレに待つのは破滅だろう。だが……。


 オレのことなどどうでもいい。大事なのはコルネリアの命だ。そのためならば、オレは悪魔にでも魂を売ってやる。


「爺、オレは決めたぞ……!」

「坊ちゃま……?」


 オレの昏い決意に気が付いたのか、爺の声が震えている。そうだな。オレはまだ五歳のガキでしかない。実際に動いてもらうのは、爺になるだろう。爺を味方に引き込まなければ。そして、手を汚す覚悟を決めてもらう。


 ここが分水嶺だ。


 このオレたち兄妹のために泣いてくれるような心優しい忠臣の心を、オレは黒く染める。


「人間を売る! 領民を売るぞ!」

「坊ちゃま!?」


 予想通り、爺は目を剥いて驚いていた。それもそうだね。守るべき領民を売り払うなんて、領主失格だ。どう言い訳したところで、オレの罪は無くなることはない。


 だが、コルネリアのためならば、オレは全てを捨てられる。


「坊ちゃま! 人身売買などとんでもない! 領民の恨みを買い、最悪殺されてしまいますぞ!」


 この心優しい忠臣が反対することは分かっていた。


「分かっている。爺、これは人身売買ではないのだ」

「は?」


 オレはこの唯一とも言える忠臣を騙し、悪事に加担させる。


「我がバウムガルテン領は貧しい。領民たちに満足に食べさせることもできずにいる始末だ。領民たちが何をしているか知っているか? 赤子を山に捨てているのだ。つまり、それだけ無垢な赤子が死んでいる」

「それは……」


 爺も知っているはずだ。爺は、父上の代わりに執務を代行することすらあったからな。領のこともオレ以上に詳しいに違いない。


「オレは赤子を救いたい。ゆえに、領民から三歳から十五歳までの子どもを我が屋敷で預かることにする」

「どうなさるおつもりですか? そんなことをしてはお家の費えが……」

「どうせ不作となれば、食料を買って領民に振舞うのだ。大した違いはない」

「そうかもしれませんが……。子どもたちを預かってどうなさるおつもりですか? 私は人身売買には断固として反対致しますぞ!」

「子どもたちには、教育を施す。そして、子どもたちが成人したら、他領に奉公に出す」

「奉公に……?」


 この世界では、教育は度し難いほどに遅れている。知識を上流階層が秘匿しているためだ。平民のほとんどは、教育なんて受けたことがない。まぁ、統治するには民は愚かな方が都合がいいからな。


 だが、そのせいで下級役人の部下とでも呼ぶべき末端組織が機能不全を起こしている現状がある。そこに付け込む。


 教育を施した平民を、奉公と称して下級役人に売るのだ。それでなくても教育を施された者を雇いたい者は多いだろう。下級役人以外にも、商会に売ってもいい。


「そうだ。我らは彼らの給料から教育費を貰うだけだ。決して人身売買でも奴隷でもない」


 売れる物がなにも無い我が領には、こうした物品ではないサービスを売るしか道はない。


「これしか道はないのだ、爺。手をこまねいていては、コルネリアの命が散ってしまうんだ。頼む爺。分かってくれ」

「坊ちゃま!?」


 爺が大袈裟なまでに驚く。貴族であり、領主であるオレが深く頭を下げたのだから驚いているのだろう。こちらの世界では常識外の行動だが、前世が日本人のオレにとっては頭を下げることに抵抗など無い。


 それに、オレが頭を下げたのには、爺への謝罪の意味もある。どうやって美辞麗句で飾ったところで、やってることは人身売買に他ならない。その片棒を担がせようというのだ。頭を下げるだけでは足りないほどだ。


「頼む、爺。我ら兄妹を、いや、妹だけでも助けてくれ!」

「顔をお上げください! 坊ちゃまが私に頭を下げるなどとんでもない!」

「頼む……」


 オレは頭を下げてゴリ押す。こんなの脅しのようなものだというのは分かっている。すまない爺。だが、ここで通せなければコルネリアの命は無いのだ。


「……かしこ、まり、ました……」


 頭を下げ続けるオレに、爺が根負けしたように頷いた。


「ありがとう! ありがとう、爺!」


 あぁ、オレは心優しい忠臣の手を汚させてしまうのだな……。


 オレは大きな後悔を背負うことになる。だが、オレはコルネリアのためなら全てを捧げてみせると決めたのだ。


 この誓いだけは、なにがあっても覆させない!





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