第8話

 五年ほど前に起業した昊の兄は、個人同士で中古品売買をするフリーマーケットアプリを展開した。これが大成功し、去年ついに上場企業となった。


 昊は向井の元気な視線を鬱陶うっとうしく片眉を上げる。


「すげーはすげーけど……でも、派手な兄持つと切ないぜ? 親なんて、たまに俺が家帰っても、兄貴のこと褒めてばっか。温泉旅行贈った時もさ、兄貴は一ヶ月ヨーロッパ旅行を簡単に叶えてやれるんだから。感激具合が違い過ぎて、もう勝手にやってくれってなる」


 千堂が茶化す。


「でもお前だって、この前マンションもらったんだろ? 俺ならプライド捨てて兄にたかるけど」

「いや、あのマンションはさ……。子どもできたから結婚した兄貴が、でも一ヶ月で浮気して、それ見つかって離婚するってなって。で、元奥さんは兄貴と一緒に暮らしたマンションなんて住みたくない、その分慰謝料と養育費くれってなって。兄貴も、立地選びを元奥さんの実家準拠にしたもんだから、一人で住むならそのマンションいらなくて。そんで『お前住む? タダでいいから』って言われたから――」

「じゅうぶんうらやましいわ!」

「つーか、兄貴も女遊び激しいのな。血筋だったんだな」


 向井が笑いながら言うので、昊は否定した。


「俺は、あいつほど節操なしじゃない。俺は、浮気はしない。彼氏持ちにも手は出さない。ただ長続きしなくて、相手がころころ変わるってだけだ。……実は彼氏いたーとかはあるけど、それはあっちが悪いし」

「長続きしないのは、付き合い方が雑なせいだろ」


 沖に言われた。これは否定できなかった。


 女性と軽い付き合い方ばかりしているのは事実だ。コンパなどで出会い、可愛いなと思った女性と飲んで話して褒めているうちに、相手もその気になり、そのままホテルへ行くことも珍しくない。


 女性と遊ぶのは好きで、付き合うのも楽しい。だがそれは初めだけで、女性側に徐々に不満が溜まっていく。付き合ってしまえば淡白で、最初は優しかったのにと振られる。


「……好きで、長続きしないわけじゃ、ないんだけどな」


 これまで半年以上付き合えた女性はいない。長続きしないから、そのうち初めから軽い関係前提で付き合うようになった。ここ数年の交際期間は、平均一ヶ月を切る。


「ただ、付き合ってるうちに、段々彼女のことが、面倒になってくるだけで」


 別の同期の佐藤さとうが、酒を持ち上げながら叫んだ。


「女の子を面倒って! この、女泣かせめっ!」


 そして佐藤は、しおれるようにテーブルに顎を載せる。


「モテていいよなー、伊桜は。俺なんか、最近、誰からも優しくしてもらってなくて、病院の受付のお姉さんに、『お大事に』って優しく言われただけで、ドキドキするのに」

「でも、振られ方なんて、そりゃもうひどいぞ? 平手打ちから始まって、鞄で殴られる、靴を投げられる、鍋で叩かれる――スマホ顔にぶん投げられた時なんて、一週間消えない青あざできたからな」


 笑い声が上がる中、昊は真面目腐って続ける。


「ひどいのは、物投げるとかだけじゃなくてさぁ。男が乗り込んできた時とかは、ほんと大変。彼氏いないっつってたのに、実はいた女の彼氏さまが、部屋に乗り込んできて。知らなかったっつっても、当然のように殴られるし、女も無理やり俺に部屋押し入られたとか言い出すし。そんで、警察連れてかれそうになったから、メッセージの履歴を証拠に見せて、その場は収まったけど。そんでさらにびっくりで、その女が後から、『彼と別れたら付き合ってくれる?』とか言ってきて。女って怖いなぁって――」


 硝子ガラスジョッキが、卓に強く置かれる音がした。一同がしんとして卓の奥を見る。ずっと会話に加わらず、お通しの枝豆を黙々と食べていた同期の陣之内じんのうちが、みなの視線の先にいた。


「正直言って、不快だよ。全部、女性たちへの伊桜の、誠意のない態度が原因なんじゃないか?」


 細長い方形の眼鏡の奥から、鋭い目つきで睨まれた。顔色から酔いは窺えるのに、ずっと正座で背筋よく飲食しているところから、育ち良く生きてきただろうことが察せられる。


「女性に、誠心誠意尽くせばいいんだ。そうすれば、女性も同じだけ返してくれるはずだ。懇意にする女性が頻繁に変わることなんて、あるわけないと思うけど」


 陣之内は、昊にとって馬の合わない同期だった。神経質で、几帳面で、何かと融通が利かない。失敗の許されない細かな作業においては、それが美点となるが、昊は要所以外は速度重視で曖昧あいまいに仕事を進める性格で、すべてにおいてきっちりとしている陣之内とは、仕事方針は水と油の関係だ。入社以来、五年近くの付き合いになるが、性格がとことん合わないなと話す度に思う。


「なら、陣之内は付き合う女性を大切にすればいいだろ」

「僕はな、君のために言ってるんだ。それから、君に巻き込まれる女性たちのために」

「相変わらず正義感ある奴だな。でも、そういうの誰彼構わず振りかざさないほうがいいんじゃないか。ちょっとお節介だし」

「知ってしまったからには、見過ごすことはできない。いじめ問題を傍観しているようなものだ」

「……そうやって手を出したとして、今度はお前がいじめられるってパターンにはならないわけ?」

「それなら正々堂々向き合い、周りにも声を大きくして訴えるだけさ。学校で言えば、先生や親、会社では、上司に相談するとか相談室を利用するとか」


 先生も親も、上司も会社も、周りすべてが腐ってる場合もあるんですよと思うが、会話が面倒になってきた。陣之内は、女性にまだ夢を見ているタイプだ。というか人に、人生に、夢を見ている。大火傷おおやけどをしたことがまだないに違いない。悪女に引っかかりだまされそうだと考えながら、昊はひざを立てた。


「はいはい。正論ありがたく気に留めとくよ。――悪い。電話きてたから、かけ直してくる」


 雑居ビルの非常階段に出た。電話がきていたというのは嘘だ。ポケットから煙草たばこを取り出し、火を点ける。クールダウンだ。苛立いらだつ時の切り替えには、煙草が一番良い。


 頬に触れる、春のの冷えた風を感じながら、思考を止めてしばらく紫煙を見つめる。すると後ろで扉が開いた。


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