新訳 梃子《てこ》

@yzkzk

新訳 梃子《てこ》

〽 (囃し)


あっしがまだお師匠さんに入門する前のことでございやすが、近所のガキ大将が、おならでドレミの音程を出せると豪語するもんで、「それじゃドの音をだしてみせろ」と言うてみたところ、そのガキ大将、んっと力んでしばらくすると「ドじゃなくてが出てしもーた」というじゃありやせんか。


人間、出来もしないことを言っても碌なことが起きないもので、はじめからおおそれたことを言うもんじゃぁございやせん。


まぁ、ガキんちょが言うことなら、大それたことを言うことも、よくあることでございやしょうが、どんなに優れた偉人でも、ときに大言たいげんいって引っ込みがつかなくなっちまって、失敗する、ちゅうのは、人間という生き物のさが、いつの時代でもでございやしょう。



昔むかしのギリシャの時代の話だそうで、シチリアという小さな島国にアルキメデスという科学者がおりやした。

大変な科学者だったということなのですが、いかんせん、頭のねじが外れるほどの自信家で、自分が言ったことは絶対にひるがえさない。


ある日、「梃子てこの原理」というものを発見したアルキメデスは、自分が見つけた梃子の原理を自慢したいがためでしょう、衆目の前で「せや、だれかわしに支点をくれんかのう。支点さえくれれば、山だろうが地球だろうが動かしてみせてますわ」と豪語いたしました。


それを真に受けたシラクサ王「ほならば、地球を動かしてもらいましょ」と言うて、支点を持ってくるもんですから、アルキメデスはぎくりと慌てて、「すいまへん、すいまへん、言い過ぎましたわ。いくら支点があっても地球を支えられるくらいの梃子の腕もないと動かせませんわな」

そう言うて、その場を切り抜けようとしてるんを、シラクサ王、ぎろり見ますと、部下に命じて奥の部屋から地球を動かせるくらい大きな梃子の腕もってきやした。


アルキメデスはもう大変ですわな。なんとか言い逃れようと、次は「さようてん…」とまで言いかけたところで、シチリア王、まだ言い訳するのかと、プチーンと切れて「作用点は手前てめぇで用意しろよ」と突き放して、アルキメデスの退路を塞いで、地球を動かして見せろと迫ってくる。


アルキメデス、言ったしまった手前で「いやー、作用点を準備せないかんなら、ちょっと時間いただきますわ。工房帰って作用点を見繕うてきますわ」と見栄張りまして、なんとかその場を切り抜けて工房に戻りやす。


戻ったアルキメデスは

「いやいや、シチリア王もわしが天才だからって、ちょっと言葉尻掴んで、地球を動かせなんて無理難題、どないせいちゅーねん」

と弟子たちにこぼしますが、

「まぁどうせこれができなければ処刑なんやし、一丁やってみよか」

と、地面に計算をし始めます。

「そうやねぇ、月に支点を置くとして、金星の明星さんあたりに力点持ってきたら、わしの力でも動かせるんとちゃうかなぁ。どれ試しにお月さんと明星さんに支点と力点おいてみてくれ」

と弟子たちに言いつけますが、

「ちゅーてもお師匠さん、どないしてわてらお月さんやら明星さんにいけばよろしんやろか」

と弟子たちが言うもんやから、お師匠さんのアルキメデスはすっかり怒ってしまいまして

「それー考えるんが、お前らの仕事やろがい」と怒鳴りつけるとぷりぷりと工房を出て、銭湯に行ってしもうた。


弟子は「あんたの口から出まかせでのせいでこうなってしもーたんやろ」とは言えのうて、お師匠さんが出ていってしまった後にブーブー文句を言いつつの何か妙案がないか弟子同士でわいやわいやと話する。ところが悲しいかな、三人寄っても馬鹿は馬鹿。何も妙案は思いつきやしません。


一方でアルキメデス。弟子に怒鳴りちらかしたとはいえ、そこは天才ですから銭湯行って、ざっぶーん、風呂入って、「ちょっと考えましょかー」というて考えとうたら、外で風呂焚き係が一生けんめいに火をおこしているのを見ているうちに「せや、これや!」と名案すぐに思いつきます。


「やっぱりわしは天才や!」と、自信に満ち溢れたアルキメデス、風呂場で思いついたときの悪い癖で、大威張りに「やうやう、えうれぇか、えうれぇか」と見栄を切りながら裸で町の中を練り歩きます。奇声を上げながら現れる全裸の男に、普通なら見かけた町人、驚くとこでございやしょうが、シチリアの街では、アルキメデスの奇行は見慣れた光景でありやして、またアルキメデスの阿呆が踊っているとしか思われません。


しかし、アルキメデス、それでもあまりの嬉しさに興奮収まらず、最後はお気に入りの美人さんの像を抱えると、橋の上から、どっぶーん、川に飛び込んで、やっとこさ頭を冷やして、這い出てきました。馬鹿と天才は紙一重と申しますが、さすがに町の人、これにはついに傑物アルキメデスも馬鹿のほうに振り切れてしまったかと呆れるしかございません。


余談を申しますと、美人さんの像、そのときに腕が取れてしまいまして、だいぶ後になって川から引き上げられたら、腕がないのもまた乙でいいもんだと当世の数寄者の間で大変に評判になりました。それを聞いた遠くミロス島の王様が買い付けるに至り、後に「ミロのヴィーナス」と呼ばれるようになったそうでございます。


全身ずぶ濡れのアルキメデスは、もう一度銭湯で体を清めて工房に帰ると弟子たちに布を縫い合わせて長屋ほどの大きな球状の袋を作るよう命じました。できた袋の口に人が乗れるほどの大きな竹かごを括り付けると、籠にかまどをつけて、火を熾して中の空気を温めだしやした。

——まぁ今でいうところの気球ですわな。これを作ったわけです。


温めた気球が浮きはじめますと、支点を抱えたアルキメデスが気球にひょいっと飛び乗って、気球と地面につないでいた紐を切ると、気球はぐんぐーんと天に昇っていくじゃあありませんか。


最近の学者さんに聞くと、今ではもう同じことはできないそうでございます。そのころはまだ、今と違って、地球の周りをお天道様やお星さまが廻っている頃でしたし、ものの道理も違っておりましたので、アルキメデスは気球に乗ってお月さままで行けたそうでございます。


お月さんに着いて、支点が置けそうな平らそうなところを探しておりますと「ここや、ここや」とよさげな場所を見つけまして、今で言えば、クレーターとよぶその平らな場所にちょこん、と支点をおくと、気球に戻って、中の火を小さくしていきます。

次第に冷やされていった気球はゆっくりと地球に戻ってきて、これをもってアルキメデス、世界で初めての月世界旅行者として、後世に称えられることになりるのでありやす。


それから1800年ぐらいした後の世で望遠鏡ができたころ、ガリレオがはじめて望遠鏡でお月さん覗いたときは、まだその時の支点が残っとたそうで、ガリレオはそれを見つけて「あ、アルキメデスのあれや!」言うたそうです。それ以降、お月さんのその場所はアルキメデスと呼ばれているそうです。それでガリレオが作った望遠鏡のことを半信半疑だった人たちにも、お月さんにあった支点を見せて、ようやく望遠鏡を信じるようになったそうでございます。

その後はあんまりみんなが熱心に望遠鏡で支点を覗くもんですから、支点もすっかり恥ずかしなって、お月さんの裏側に隠れてしまったそうで、その支点がいたクレーターには今ではアルキメデスちゅう名前だけが残っております。


さて地球に戻ったアルキメデス、今度は弟子たちに「作用点や」と言って、クジラくらい大きな鉄の針を鋳るよう命じました。弟子たちは「お師匠さん、どうすればクジラほどの鉄を鋳れるのか教えてくれんと作れません」ちゅうて直訴するも、「アホ!師匠の背中見とりゃ自然とやり方も分かってくるもんじゃろが」とこれを屁理屈で一蹴。


またしても何か妙案がないか弟子同士でわいやわいやと話をするも、ところが悲しいかな、三人寄っても馬鹿は馬鹿。ひねり出した答えは、アルキメデスのように風呂に入って町中を裸踊りすれば妙案が思いつくのではという、とんでもないものでございやして、早速、銭湯に行って、街を裸で繰り出したところ、町人たち「この師匠ありて、この弟子あり」と師匠の背中を追いかける弟子たちを嘆いたのでした。


裸踊りが功を奏したのか詳しいことはわかりませんが、その後、弟子たちは、大きな鉄の針を作り上げました。

アルキメデスは梃子の腕の端っこに出来上がった針を括り付けたると、櫂船を用意して、お弟子さんたちに「北極行って、これで地面をしっかり釣って来い」言うてきました。

「櫂船で氷の海を渡れわけなかろうがい」という弟子たちの訴え虚しく、「計算上、右の櫂が凍る前に左の櫂を持ち上げて漕ぎ、左の櫂が凍る前に右の櫂を持ち上げて漕げば、氷の海でも何ら問題ない」と取り合わず、無理やり弟子たちをけしかけて、これを送り出したそうで。

弟子たちは命からがら、櫂船で海を渡り、北極の大きな氷山の根元に鉄の針を差し込んでしっかり固定したそうですが、アルキメデスの助言は何も役に立たなかったとのことです。


現代でも作るのが難しい鉄の針を鋳るといい、櫂船での北極への冒険といい、実は弟子たちのほうがアルキメデスよりもすごいのではというのが後世の歴史家たちの評だそうでございやす。


弟子たちが帰ってくると、アルキメデスはよしこら最後の大仕事とねじり鉢巻き、腕を捲って、梃子の片腕をかついで気球に乗りこみ、火を熾すと、遠く明星さんに向かって飛んで行きます。


明星さんに着くと、やはりそこは天才ということでございやしょうか。地球とお月さんと明星さんが一直線になるタイミングをちゃんと計算しだしまして、計算どおり、ちょうど月が地球と金星の間に来たとき、

「えいこら、くそシラクサの王のせいでこんなとこまで来ることになっちまったが、王様がなんぼのもんじゃい。我こそアルキメデスなり」とまぁ、叫んだとか叫ばないとか。梃子の腕を思い切り、ぐぐっと押しましたところ、梃子はびゅうんとしなり、その力が梃子の内部を音速で伝っていって月の支点にどしっと力がかかり、そこを起点に今度は梃子の反対側がまたぐぐっとしなって地球に刺さった針がゴーっと音を立てると、ついに作用点となった地球が釣られて持ち上がりました。


そのときシラクサの人たち、ぐらぐらっとしたのではじめは地震かなと思ったそうですが、地面が斜めのままになっているので、これは本当にアルキメデスが梃子で地球を動かしたのだと、わかったそうです。


「あっぱれ。アルキメデスは稀代の天才なり」というシラクサ王の言葉は遠く明星さんにおるアルキメデスにも届いたそうでございます。

「はて、あちらさんの声が聞こえるということは、さっきわしがシラクサ王を罵倒した言葉も聞こえてるんとちゃうか」とアルキメデスは思ったそうですが、「シラクサ王も喜んどるし、あんまり気にせんとこ」と気がつかなかったふりで王の言葉に満足しておりました。


ところがアルキメデス、気を大きくして、もっと地球を持ち上げようと梃子を思いっきり押したところ、その拍子に地球を天に留めるために神様が天と地球をくっつけておいたびょうが地球から一つ、ぽーんと取れて、お天道様のほうに飛んでいってしやいました。


飛んで行った鋲は、そのままお天道様の中にじゅーっという音を立てて焼け溶けてしまい、太陽に黒い染みがあるのはこの跡だそうでございやす。


「あら?あらら」、とアルキメデスが思うと同時に、ゴロンという音が響いて鋲が取れたほう斜めに地球が傾いたではないですか。幸いほかの鋲はまだしっかりと地球を支えていたので、そこで地球の傾きは止まったのですが、鋲が取れて地球を支えるバランスが崩してしまったので、もしこの梃子を支える手を外してしまったら、力加減が変わって、ほかの鋲も取れて地球が天の底に落ちてしまうかもしれません。


慌ててアルキメデスは大声でシラクサにいる弟子たちに「お前さんたちも気球を作って明星においで」と呼びつけまして、やってきた弟子たちに「わしが戻ってきて『もういいよ』って言うまで、しばらくこの梃子、支えといて」と言いつけて、自分はさっさと気球に乗って地球に戻ってしまいました。



それ以来、お天道様に対して真っすぐだった地球の地軸が公転面に対して約23.4度ずれて、地球に夏と冬ができまして、また地球の北の極あたりで鉄の針で地球を釣ったままにしているので、磁石はその鉄の針がある北の方を指すようになったとのことです。



「あぁ何ちゅーことをやってもーたんや」とアルキメデスはシラクサに帰った後もずーっと地面に向かって元に戻す方法を考えておりましたが、地軸がずれて海の潮位が変わったせいで、当時栄えておった交易都市カルタゴが衰退。代わってシラクサの近くローマが勃興しちゃったもんだからたまらない。ローマ軍は部隊をぎょーさん持っておったそうで、シチリアはわーっとローマ軍に攻められて、滅んでしまいました。

ローマのプルタルコスによるシチリア攻めの記録によると、城下を全裸で「えうれぇか、えうれぇか」と叫ぶ気味の悪い男を殺したという記載が残っておりますので、どうやらアルキメデスも殺されてしまったようで。

そのときの「えうれぇか」はもしかしたら地球をもとに戻す方法を思いついたときのものやもしれませんが、今となっては知りようがございやせん。


そんだからシラクサが滅んだもの、今日に夏と冬があってこんなに暑かったり寒かったりするのも、もともとはアルキメデスの大言のせい、ちゅーわけですございますれば。


あぁ、お弟子さんたちは今でもアルキメデスが「もういいよ」というのを明星さんで待っているようでございやす。



〽 (拍子・幕がおりる音)

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