第27話 彼の地



 小夜子とガーゴイルは人目を憚ることをすっかりやめた。とは云ってもヨナルテパズトーリと出会う前と同じスタイルに戻っただけなのだが。それでも互いが互いに触れ合っていられるだけで小夜子の胸の内は初冬の陽射しを受けたカトレアの花ようにほかほかと暖かく、時折ガーゴイルと目線を合わせては笑みを零し、そうして彼の人の目尻も優しく三日月の形をかたどるのであった。

 そんな二人の有り様を知ってか知らずかヨナルテパズトーリは二人より少し前に出て、鼻歌をフフンフンと鳴らしながらひょこひょこと、実にご機嫌に歩いている。


「ん…?」


 魔法の棒を指先でクルクルと回していたヨナルテパズトーリは己が手の内で回る棒が異様な雰囲気を纏っていることにやっと気が付いた。ドラゴンの臭気にまみれ慣れさせられて…と、平気なふりをしていたがやはりこの棒から放たれる毒気は醜悪で、ヨナルテパズトーリの体力と云えば良いのか気力と云えば良いのか、兎に角彼を顕現させている動力エネルギー的なモノはだいぶんと消費されていた。

 そんなヨナルテパズトーリの変化を見てとったのか、小夜子はガーゴイルと繋いだ手もそのままにヨナルテパズトーリの元へと駆け寄った。


「大丈夫?ヨナちゃん」


 小夜子に半ば強引に引かれるように後を着いて来たガーゴイルも、ヨナルテパズトーリの微かに震える体躯を見て不穏な空気を感じ取った。小夜子がヨナルテパズトーリを後ろから覗き込む。その刹那。

 ヨナルテパズトーリの枯れ枝のような手に魔の手が絡み付いていた。


「小夜子ちゃァん」 棒を持つ手を毒気をはらむ蔓に巻き取られたヨナルテパズトーリは、泣きそうになりながら小夜子に助けを求めるべく、しかしその手を絶対に小夜子には触れさせんと遠ざけて振り返った。

 小夜子はそんなヨナルテパズトーリの気遣いなど何処へやら、ヨナちゃんの棒を持つ手に飛びついてはしがみ付き、必死に蔓を引きちぎり払い始めた。大丈夫、この蔓はまだ棘を持ってはいない! 小夜子の急な振る舞いに呆気に取られたガーゴイルであったが、それが何時いつかの己の依り代であった石像に蔓延る蔓と奮闘する小夜子を思い出させて、己が半ば囚われていたことを思い出し憤然として小夜子に加勢をした。ガーゴイルの時に鋭利な爪はまだ生まれたてとも云える蔓をひと所に切り取り、よもやヨナルテパズトーリを我が物にせんとした悪しき棒からの侵入を阻止させた。

「ハアハア…」

 ガァちゃんの屈強さに感嘆しながらも己の不甲斐無さを憂う小夜子は、それでもヨナちゃんが悪しきモノに取り込まれなく済んで良かったとホッと胸を撫で下ろした。


「ヨナちゃん、大丈夫…?」


 未だ震えるヨナルテパズトーリを目にし小夜子はそっと彼の背に手を添えた。この茨の悪気は既に身に沁みている。きっとガァちゃんもそれ故に加勢してくれたに相違ない。


 しかしヨナちゃんは頼りなげな笑顔を満面に取り繕わさせて、「ありがとうねェ二人とも、オラは大丈夫なよォ」と、宣うのであった。


「なんで急に棒が暴れ出したのかしら」

 未だ少しく震えるヨナルテパズトーリの背中を撫でながら小夜子は誰ともなしに呟いた。

 地面に放り出された棒は蔓の切れ端をふるふると震わせて尚、禍々しい紫色の靄のような毒気をその二股に裂けた身体から発している。

「近いのかも知れないな」

 そのガーゴイルの一言に小夜子は思わず彼の人へと振り返った。「元は同じ植物同士だ、反応し合うこともあるだろう」「近い…」

 それはいよいよ決戦の時が近いと云う意味でもあって、小夜子は少し身じろいだ。


「見てみろ小夜子」 ガーゴイルの指し示す指先の方向を、敢えて彼の人の腕に視軸を向けて沿わせるようにゆっくりと顔を向けた小夜子は(ああ、怖気付いている)と己の臆病さを恨んだ。向けた視線の先にはきっと終焉の時を告げる何かが在って、小夜子はそこへと向かわなければならないのだ。そして…それはきっとガァちゃんとの別れの時をも意味している。

 小夜子はそれを感じただけでこの場から逃げ出したくなったけれど、竦んだ足は逃げることをも許さず(どうして私こんなに弱くなってしまったのだろう)と小夜子は悲嘆に暮れた。恋も愛も人を強くさせるけれど、時にどうしてもおのが内の弱さを隠しきれなくさせるのだ。愛の形をガァちゃんとしてしか知らぬ小夜子には、ガァちゃんを失うことは全てを失うことに等しくなっていた。


 でも、それでも。


 やはりガァちゃんには弱い私を見せたくない。ガァちゃんには強い小夜子を見て欲しい。

 小夜子は一旦目をぎゅうと瞑ってから、ガーゴイルの示す指の先をキッと見据えた。睨むでもなく鋭くもない純粋な瞳で見定めた。

 そうして目を見張った小夜子の−−−


 小夜子たちの行く末に紫の靄が毒々しくもいっそ美しく、泉から湧き出でる水のように混々とその姿を表していた。

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