第54話「魔王軍襲来の噂」
僕たちが聞いている会話は、以前勇者パーティーの面々が魔王軍討伐に関して話していた場所だった。最近は住人がアーサーくらいしかいないため、ほとんど使われていなかったはずだが、今日は違うらしい。
『なにが言いたいんだ。言っとくが俺達はあくまで勇者教会の指示に従っただけだからな。お前らが村を襲えと言ったり、魔王軍なんかとっくに壊滅させたのにあることにしたんだろうが』
『……ええ、その通りです。新しく教会長になった私にもそのような伝達が前教会長からなされました。……前教会長は、国を煽動した疑いで裁きを受けますがね。ですから、明晩、あなたたちにも騎士団より通達がくるでしょう。あー、今はあなた一人でしたね』
『なんだと。俺は何もしていないと言っているだろう』
『おっと、私になにか危害を加えても無駄ですよ。とっくに事態は国に伝わっております。そして国は、罰せよ、とのことです。なので、あなたが何を言っても無駄なのですよ』
『……俺は何もしてない』
『ええ、ええ。あなたの認識はそうなのでしょうね。ですが、国と王国内の意見は違います。あなたは魔王軍について自作自演し、村から金品を強奪。教会は教会でそれに協力していた。それが全てになっています。……念の為お聞きしますが、昨今の噂。王都を魔王軍が襲撃しようとしている、というのはあなたが流しているわけじゃありませんよね?』
教会長が言った瞬間、物がひっくり返り、瓶が割れるような激しい音が鳴り響いた。どうせアーサーだろう。教会長は、魔王軍の王都襲撃の噂を勇者であるアーサーが流したと思っているようだけど――実際のところは違う。
僕だ。アーサーを殺すにあたって、戦場を選ぶ必要があった。誰にも邪魔されず、一対一――ライラも混ぜれば二対一で戦える場所。国に魔王軍が来ると分かり、なおかつ準備期間があれば、襲われる場所は自然と空になる。もちろん居残る者もいるだろうが、そこまでは僕もどうしようもない。精々、魔王軍が襲うという噂により真実味を増させることしかできない。
ナンシー同様に奇襲も考えたが、アーサーは警戒しているのか、ここしばらくパーティーハウスからほとんど出てきていない。外に出てきたとしても、周囲に分かるくらいに警戒している。明らかにジェナとナンシーが死んだことで、何かあると思っているようだった。最大限に警戒されているところに奇襲しても成功する未来が僕には見えなかった。森やダンジョンに誘導して奇襲しても同じ。結局のところ、アーサーが警戒していることには変わらない。これではまるで隙がない。
だから、アーサーを孤立させ、魔王軍が来ると嘘の情報を流し、彼を矢面に立たせる必要があった。魔王軍が来る――これが嘘だろうが本当のことだろうが、対処しなければならないのは、今代の勇者たるアーサーだ。ましてや、今はこれまた僕の流した噂で、魔王軍に関する自作自演を国中から疑われている身。まあ、中にはいまだに勇者を信奉している所、例えば勇者教会のシスターなんかは信じていないかもしれないけど。
どちらの人間に対しても、アーサーは今の立ち位置――勇者でありたいのなら示さなければならない。
自分は魔王軍を討ち倒す勇者であり、国の英雄である、と。
それなのに、出ても来なかったら完全に勇者なんて不要でいらないやつだと思われるだろう。少なくとも過去、魔王軍を確かに退けていた過去があるというに、それすらなくなるかもしれない。
だから、彼は「魔王軍が王都襲う」という噂は流していないが、立ち向かわなければならない。
『俺なわけがないだろうっ!』
『落ち着いてください。言ったでしょう、念の為と。私も国から頼まれているんですよ。この事態を引き起こした張本人の一味として』
アーサーは相当に苛ついているようだった。無理もない。外を歩けば四六時中誰かに自分のことを言われているのだから。それも、悪意を持った悪い噂を。おまけに、ここにきて意味の分からない噂を流したのはお前か、と訊かれれば苛立ちもする。
大きい溜息と再び何かが割れる音がする。
『はあっ、とにかく俺じゃねえ』
『そうですか。……しかし、そうなると困りました。アーサー殿、これは勇者として、あなたに聞きますが、魔王軍は本当に壊滅しているのですよね?』
有無を言わせない口調だった。
『……当たり前だ。魔王軍なんてとっくの昔に壊滅させてる。魔王だって、とっくに殺した。魔族はいても散りじりになっているはずだ』
『我が勇者教会に誓えますか?』
『ああ゛?』
『大事なことです。どうです、誓えますか?』
『――ああ、間違いない』
『そうですか……』
驚いたな。アーサーはライラのことを知らないのか? 隣のライラを見ると、彼女も驚いているようだった。
「ライラ、アーサーと会ってないのか? 勇者のアーサーだ」
「ううん。会ってるよ。だって、三人がかりで倒されたんだもん」
ライラはきゅっと口を結んだ。
しまった。余計なことを思い出させたかもしれない。
「すまん」
「なんで、アランが謝るの?」
「いや、だって……」
「アランはライラちゃんが心配なんだよねー?」
音を出している精霊の後ろで、リリーがこれみよがしにニヤニヤしている。腹が立つが、あながち間違っていないのがよくない。
「そうなの?」
「なんで、嬉しそうなんだよ」
「お婿さんが優しそうだから」
「……そうかよ」
何か文句を言う気も失せる。溜息をつきたい気分だった。
あー、でもこれ以上思い出させるなら、聞かない方がいいか。アーサーは勝手に死んだと思っているのか分からないが……。いや、単に嘘をついているだけの可能性もあるか。
魔王が生きているとなると、魔王軍壊滅も噓じゃないか、と疑われるかもしれないしな。
アーサーと教会長の会話はまだ続く。
『――勇者殿。いずれにせよ、魔王軍が王都を襲撃するなどという噂が流れている以上、あなたに対応していただきます。もちろん、引き受けていただきますよね?』
『……魔王軍なんかもういないぞ』
『あなたにとってはそうでしょう。ですが、民衆は違います。国もです。正確には国のお偉方ですね。報告は受けているが、直接は見ていない――簡単に言えば、あなたを疑っているんですよ。今の勇者という地位のままいたいのであれば、お分かりですよね』
『……分かってる。だが、具体的に何をするんだよ?』
『噂はご丁寧に、この日に襲うと日付まで指定してきますからね。しかも正門の国境からと。勇者殿には、当日、そこにいていただきます。万が一に備え、国民は避難。勇者殿と国の騎士団で対応。よろしいですね』
『ああ、それでいい。だが、魔王軍なんて来ないぞ』
『ですから、念の為です。いいですか、今、勇者に対する信頼は揺らいでいます。疑心暗鬼になっているのです。あなたが魔王軍が来ないと思っているかいないかは関係ないのです。私たち勇者教会もあなたも、行動で示し信頼を取り戻さなければ、今の地位にはいられませんよ?』
『そんなことは分かっている』
『それなら結構。……では、私は国にあなたが協力するとお伝えしておきますのでいいですね』
『ああ、それで構わない』
『では、私は失礼します』
話は終わったようだった。思ったよりも上手くいっている。要はアーサーと戦う邪魔が入らなければいい。アーサーと一緒にいるだろう騎士のことは気になるが……、奇襲には関係ないし、戦闘になった場合には入ってこれなくらいには過激になるだろう。そもそもアーサーが攻撃している時に間に入ったら、騎士たちの方が勝手に死ぬだけだ。だから、問題はない。
だが、一つだけ気がかりがあった。
精霊を通しての音声を聞くのをやめ、僕は隣にいるライラを見る。
「ライラ……、本当に魔王軍として戦うのか?」
「うん。だって、その方がいいんでしょ?」
「それはそうなんけど……」
まるで、というかまんま囮になってしまう。アーサーと騎士にライラをぶつけ、戦闘の最中に僕がアーサーを奇襲。僕が元々考えていた、時間経過で油断したところを一瞬で襲うと言う話をライラにしたら、彼女も協力することになってしまった。それ自体は悪いことじゃなないにしても、よくもない。しかも、協力のしかたが予想外の形だった。
「アラン、また心配?」
「リリー、からかうなよ。アーサーは危険なんてもんじゃないだろ。それに魔王軍としてあえて戦闘するなんて――普通だったら自殺しに行っているようなものだろ。おまけに騎士団もいるみたいだし……」
「文句多いよ、アラン。私が良いっていうからいいの。でも、心配してくれて嬉しい」
「……そんなんじゃない」
「うん、分かってる」
ライラはまったく分かっていなさそうな満面の笑みで、僕に顔を向けていた。この分じゃ、僕がいくら言っても無駄だろうな。実際問題、ライラが囮になる方法の方が上手くいきそうだし。
「……死ぬなよ」
「アランも死んじゃだめだよ。私のお婿さんになるんだから」
なにがそんなに面白いのか、リリーは僕たちのやり取りを楽しそうに見ていた。
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