第49話「胸を一突き」

 僕は足場を踏みしめるように、箱の上を歩いた。全部魔法で浮かしたあるのだろうけど、どうにも不安だ。中に死体が入っていると分かっていると余計に歩きにくい。突然、蓋が開いて僕の足を掴んでも不思議じゃない。


 ナンシーの方に進むに連れて、うめき声が聞こえ始めた。最初は幻聴かナンシーが何かしているのか思ったが、聞こえてくる先は箱の中からだった。前に進めば進むほど下から聞こえてくる声は大きく鳴り、子供の泣き声に変わって行く。


 もしかしなくても、まだ生きている子供がいるのだろう。だが、今はまだ助けられない。ナンシーを殺してからだ。


 足元から聞こえてくる悲鳴じみた泣き声を無視し、僕は前に進む。どこまで広がっているのか分からない空間、篝火の届かない薄闇の中、子どもの泣き声を踏み潰しながら進んでいく。気がおかしくなりそうだ。まるで悪夢の中にいるようで、ここにナンシーがずっといるのだとすれば、彼女は相当に頭がおかしいとしか思えない。


 音を立てないように歩き続けていると、箱の切れ目が近付いてきた。相変わらず、ナンシーの声は聞こえない。ただ、忙しなさそうに動いているのだけが聞こえてくる。


 そんなになってまで一体何をしているんだ。この箱の中身と関係があるんだろうか。


 この部屋の中で一番明るい場所、僕は箱のへりに顔を出して下を覗き込んだ。


 ライラはすぐに見つかった。階段からの通路の先、そこには二つのベッドのようなものが横並びであった。ただし石でできているし、ただの箱とも言える。そう、ちょうどこの下の箱のような形だ。ライラはその内の一つ、奥側で寝ていた。見る限り、目を瞑っていて起きているかは一見分からない。でも、彼女の両角はしっかりと隠されていた。見えないようになっている。彼女は寝ている時、角を隠せないはずなのに。


 ということは、起きているのだろう。ここに来るまでよくバレなかったものだと思う。


 そして肝心のナンシーは、相変わらず右に左にと忙しなく移動してる。彼女が作業している両側の壁にはガラクタの様になにかの器具がテーブルの上にも床にも折り重なっていた。まるでパーティーハウスの部屋のようだった。几帳面に見えて、彼女の部屋はかなり散らかっていた。それと同じようなことになっている。


〈なにかを作ってる……?〉


〈いいものには見えないわね〉


 ナンシーは大きなテーブルの上で大きな水がめのようなものに、色々な材料を入れては掻き混ぜていた。怪しさしかない。


〈今がチャンスかな。作るのに夢中になってるし〉


〈そうね。アラン、殺すなら背後から一瞬ね。そして絶対に胸を貫くの。頭でも首でもだめ。胸よ〉


〈それ、なんでなんだ? 正直、後ろから襲って狙えるか微妙なんだけど……〉


〈ナンシーは厄介なのよ。他の場所じゃ、絶対にしなないわ。それに胸を貫いてもしばらくは生きてる。暴れないように地面に張り付けなさい〉


〈なんだよ、その化け物〉


〈そういう生き物なのよ、彼女は……。私と前の勇者が止めたのに、彼女はこっち側に来ようとした。その代償ね〉


〈……リリー、あとで話を聞くからな〉


〈全部終わったらね〉


 リリーの返事は陰鬱そうだった。リリーとナンシーの間に何があったのかは知らないけど、あまり楽しそうな話題ではなさそうだった。まあ、ナンシーが半分不死身のような身体ってことと対処が分かっているだけましか。


 ナンシーはまだ何かを水瓶に入れている。夢中なのは確かだが、ちょろちょろ動き回っていて狙いが定めにくい。せめて止まってくれないだろうか。殺すなら一気にしないと反撃の隙を与えてしまう。


 彼女の様子を観察する。タイミングを窺っている時間が、とてつもなく長く感じる。まだか、まだか。


 ガサガサと薬草のようなものをナンシーがいじる音だけが聞けてくる。こんなにじっくりとナンシーを見たのは初めてだった。異様に美しい女。だが同時に何かを持ってかれそうになる怖さを感じさせる。じっと見ていると余計にそのことが際立って感じられる。人間としては違和感を覚える。それは決定的ななにかがあるわけじゃない。だけど、一つ一つの動作や、容姿に有り得ないものを感じるせいかもしれない。本来あてはならないもの。禁忌。忌まわしいもの。


 なんなんだろう、これは。


「んー……」


 張り詰めていた僕に、場違いにも感じる声が聞こえてきた。見れば、ライラが伸びをして、寝ていた石台の上で起き上がっていた。


 そのライラの視線がチラッと僕を見る。そしてニッと笑った。


〈リリー、ライラに何か言った?〉


〈言ってないわ。あいつにも聞こえちゃうもの〉


 どうやらライラは一人で判断して身体を起こしたようだった。しかも、僕たちに気付いている。


「あらあら、もう目覚めちゃったの……? おかしいわねぇ」


 優しくねっとりとした声だった。ライラはすうっと水瓶の前から、ライラの前まで移動する。彼女の白いシスター服を着た背中は無防備に思えるほど晒され、僕を誘っているような気がした。


〈リリーやるよ〉


〈ええ、胸よ胸〉


〈分かってる〉


 僕は足に力を込める。最大限の力でナンシーを刺し殺せるように。鉤爪はより鋭くなるように想像する。手をぐっと握り、開く。


 絶対に殺す。


「あなた、だあれ?」


「普通なら一日中眠りこけてもおかしくないと思うのだけど――」


 ナンシーとライラ、二人の会話が聞こえる中、僕は一気にナンシーに向かって飛んだ。


 僕にとっても一瞬の間、ナンシーの白い背中が近付き――僕は轟音とともに彼女の背中を貫いた。肉を割く感覚は一瞬でほとんど感じられなかった。床に罅が入っているのが分かる。


「――はっ、だ、れ」


 ナンシーが何かを言おうとしていたが、スパン、といっそ小気味のいい音ともに彼女の首が飛んでいった。


 首のあった場所から少し離れて、振り抜いたライラの足があった。


 怪力とは言っていたけど、いくらなんでも強すぎだろ。普通、素足で人の頭吹き飛ばせねえだろ。ライラのあまりの怪力に顔が引きつる。


 目の前で吹き飛ばされた首を見ないように、僕は腕を引き抜いた。重い音を立てて、ナンシーだったものが後ろへ倒れる。彼女の胸には赤黒い大穴が空いていた。我ながら、なんでこんなことが出来てしまっているのか首を傾げそうになる。


 しばらく肉食えないな、これは。もっとも、そんな贅沢ずっと出来てないけど。


〈あっけない最後ね。せいせいしたわ〉


 いや、本当リリーとナンシーの間に何があったのか気になる。


「アラン遅いよー。私、殺されかけたんだけど」


 すっかり両角を出しているライラが僕に抱き付いてくる。この姿で抱き付かれると、角が顔に刺さりそうで怖い。


「その割には随分と余裕そうに起きてたじゃないか」


「演技上手だったでしょ。精霊から、近くまで来てたのは訊いてたんだけど、全然助けてくれないんだもん。隙を作ってあげたの。褒めてー」


「はいはい」


 調子が狂う。やっとの思いで憎い相手の二人目を殺せたというのに、緊張感もないし、達成感もない。変な感じだ。


「――アランちゃん、よくもやってくれたわねー」


 聞き覚えのありすぎる声だった。どこからだ、どこから聞こえている。声のする場所を必死に探す。ライラも頭をきょろきょろと動かしている。ナンシーの遺体は目の前にある。ここからは声はしていない。


「死んじゃったじゃないの」


 声はまだする。あの忌々しい、ねっとりとする声が。ライラ飛ばした頭だろうか。僕は頭が飛んで行った方向へライラを連れて足を進めた。

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