タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 6




「さて、お昼にしよう」


 座ることができそうな岩を見つけ、布を敷いて座布団がわりにして腰を下ろした。


「何食べるの?」


「ま、見てて」


 私はザックの中から小鍋と小さな水筒を取り出した。

 その水筒の中に入っているのは、米と水だ。

 1.2合のお米と、それを炊くのに必要な水を計量してすでに入れておいた。


「ふーん、お米かぁ」


「嫌い?」


「まあ、嫌いじゃないけど……」


 ありがたいことに、この世界にお米はある。

 だが米のヒエラルキーは低く、小麦のパンより下だ。

 そばがきや大麦の粥と同じくらいで、貴族が好き好んで食べることはない。

 もったいない。


 ともあれ、水に漬けておいた米を小鍋に入れて蓋をする。

 そして先ほど、精霊を呼び出すために使った簡易祭壇を取り出す。


「ん? お昼ごはんなのにまた精霊を呼び出すの?」


「いや、これは焚き火台兼用だから」


 そう言って私は、簡単な火魔法を唱えた。


「文明の火よ。我が祈りの祭壇に灯りたまえ……【種火プチファイア】」


 すると、祭壇の中央に小さな炎が灯った。

 精霊魔法ではなく、生活魔法というカテゴリの魔法である。

 調理場の窯に火を入れたり、少量の水を生み出したりができる。


 もっとも失われる体力や魔力を考えると、水筒入らずというわけにもいかない。火や風を出す魔力は大したことはないが、水という物質そのものを生み出すのはけっこう疲れる。なのであくまで非常手段かな。


「……そ、それは流石に不敬じゃない?」


「え、そう?」


 マーガレットが微妙な顔をしてこちらを見ている。


「精霊様ってそれやって怒らないの?」


「怒らないけど……。精霊魔法の使い手の間では、祭壇と焚き火台を兼用するのは常識」


 そもそもこの祭壇は薄い鉄板を組み立てただけのもので、何かオカルト的な力は何も宿っていない。精霊魔法において大事なのは祈りが99%だ。


 で、精霊魔法の使い手は基本的に旅人や巡礼者である。自分が使っている小型焚き火台をそのまま祭壇として流用しているだけで、祭壇を焚き火台にするという順番ではない。


「さて……音が変わってきた」


 米を炊くとき、時間を計測するのが一番簡単だ。

 これくらいならだいたい12分か13分というところだろう。


 とはいえ私たちは時計を持っていない。懐中時計はすでにこの世界に存在しているらしいが、金貨を何百枚と用意しなければいけない超高級品だ。


 街中であれば鐘楼が鳴り響いて時間を知らせてくれる。野外であれば影の傾き具合で判断するか、精霊を呼び出して「今、何時?」と聞くしかない。精霊が誤差プラマイ30分くらいの大雑把さで教えてくれる。


 なので米の炊き具合は音で判断する。


 弱火で鍋を熱していれば水が沸き、グツグツという煮立つ音になる。そこから焦げるようなバチバチという音に変化をしたら火から外し、蓋を閉じたまま蒸らす。


 ちなみに、標高の高い山で炊飯するときは注意してほしい。今、私たちがいる1700メートルくらいだったらまだなんとかなるが、2500とか3000メートルだと水の沸騰する温度が90度くらいになってしまって、炊飯しても米に火が通りにくくなる。


 最悪、鍋の底が焦げているのに米の芯が残ってボソボソ……という状態になる。美味しい登山メシ作るぞって意気込んで炊飯に失敗するとほんとつらい。


 なので富士山とか標高の高いところの山小屋で美味しいお米が出てくるのは、料理人の腕が良いからなのだ。もしそういうご飯を食べる機会があれば、何気なく食べるだけでなくその技術に感謝してあげてほしい。


「お昼はご飯だけなの?」


「まさか。ちゃんと用意してる」


 蒸らしが終わるまでの間に、メインのおかずを調理する。

 私はザックの中から、油紙でしっかり包んだアレと、小瓶を取り出した。


「何それ? お肉?」


「泥竜の身の一夜干し」


 私の言葉に、マーガレットは少々ガッカリした顔を浮かべた。


「……ええー、もっとパッとしたやつにしなさいよ。なんか野暮ったいわね」


「うるさい。手伝え。肉を金串に入れて炙るだけ」


 まったくもう、とマーガレットはぶつぶつ言いながら手伝う。

 だが料理は得意なのか、手際は悪くない。


「塩とか振るんでしょ? 何かないの?」


「乾燥させるときに薄く塩を塗った。でもそれだけじゃない」


 私は小瓶を開けた。

 これはジェネリック・うなぎダレである。


 この世界に醤油はなく、そして味噌もない。

 だが、醤油味っぽいタレを作れないわけではない。


 玉ねぎ、トマト、ニンニク、りんごをみじん切りにしたものをひたすら煮詰め、そこに砂糖、塩、お酢、酒、魚醤、香辛料を加えて更に煮詰めてドロドロにすれば、私特製ソースのできあがりだ。


 私は料理にそこまでこだわらない方だが、タレやソースに関しては謎のこだわりを持っていた。多分、心のどこかで醤油の味を求めていたのだと思う。


「これを付けながら炙っていく」


 泥竜の味は、ウナギに似ている。

 味わいは淡泊だが皮目にはしっかりと脂がのっており、軽く焦げるくらいまで焼いたときの香ばしさはタレとマッチして素晴らしい味わいになる。


 塩をかけるだけでも十分美味しいと言えば美味しいが、やはりタレだ。


「あら……いい香りね……?」


 泥竜の身にタレを塗り、ひっくり返して反対側もタレを付ける。

 タレが祭壇の火に落ちて白煙を上げる。

 軽くせき込みそうになるが、ここから立ち上る香りがまたたまらない。


「ごくっ……」


「もう少し火から離して炙って。中に火が通って食べごろになる」


「わかったわ」


 マーガレットがその美味なる気配に気付き始めた。

 そわそわとしながら私と泥竜の身を交互に見る。

 行動食を食べてはいたが、最後の頂上までの登りはキツかった。

 お腹も減っていることだろう。


「ご飯の蒸し具合もいい感じになってきた」


 小鍋を開けると、中にこもっていた蒸気が立ち上り、そこからふっくらと炊かれた、白く美しいお米が現れる。


 一人分の米を皿に持って、そして炙っていた泥竜の身を乗せる。

 さらに余ったタレをたらす。

 だくだくなくらいが丁度良い。


 そして自分の分は、小鍋をそのまま食器として使うことにする。


「……あんたが作ったんだから、あんたがちゃんと盛り付けた方食べなさいよ」


「めんどくさい。そっち食べて」


 むしろ私としてはクッカーや調理器具でそのまま食べる方が特別感があるのだけど、多分マーガレットには「あんた何言ってんの?」としか思われない気がする。


 向こうはお皿に盛り付けたものに特別感を感じているのだろうしウィンウィンだ。


「あ、ありがと……じゃあいただくわ」


 妙に恥ずかしそうな様子でマーガレットはスプーンで泥竜とお米をすくい、口に入れる。

 その顔がとろけた。


「……っ!」


 そしてこっちをガン見する。

 わかったわかった。


「言葉はいらない。食べなさい」


 私も食べる。

 初めて食べるわけでもないが、それでも山頂で食べるのは特別だ。


 美味しい。


 ひたすらに、美味しい。


 疲れ果てた体。

 美しい天上の景色。

 そこに暴力的な美味しさという要素が加わったときの万能感は筆舌に尽くしがたい。


 登山家は訳知り顔で、「まあ山頂で食べる飯はなんでも美味しいんだけどね」とよく言う。確かにそれはその通りだ。


 だが、だからこそ、美味しいごはんを山頂で食べたら、美味しさが二倍三倍になってより幸福になるのではないか。人間はもっと幸福を追求するべきだと思う。


 だから私が鰻丼、もとい泥竜丼を食べるのは正しい。これこそが世界の真実だ。


 しかし一夜干しにしたのは正解だった。

 適度に身は崩れにくくなって歯ごたえがあり、だが普通の干物のようなカチカチとした固さはない。

 何より、水分が抜けたことで皮と身の間の脂や旨味がぎゅっと凝縮されている。

 ふわふわ感は薄れているが、その分しっかりした食べ応えを感じられる。

 皮のパリっとした焼け目も良いアクセントになっている。


 タレも素晴らしい。

 醤油のない世界でも完成度の高いものを作ることができた。

 少し硬めに炊いたお米に泥竜の身とタレが絡み合って幾らでも食べられてしまう。

 もうちょっとお米炊いてもよかったな。


「あ、マーガレット、山椒使う?」


「山椒?」


「香辛料。爽やかな香りがする」


 木製の小さな容器から、山椒の身と葉をすりつぶした粉を少量振りかける。

 スーパーで売っているものとは違い、作って何日も経っていないためか香りが凄い。

 ほんのりとスパイシーながらも青々とした香りが、口に入れる前から広がっていく。


「それも美味しそうね……」


「あんまり掛けすぎると辛くなるから、ちょっとでよい」


 マーガレットも私の真似をしてぱらぱらと山椒を振りかける。

 そして一口頬張ると、目が爛々と輝き出す。

 よほど気に入ったようだ。

 もう二回ほどふりかけて、一心不乱に食べている。


 さて、私も食べよう。

 さほど風が強くない今の内だ。


 私たちは静かな山頂で、美味がもたらす無言と満足感をひたすらに味わった。




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