第87話85 騎士と最後の魔女 1
ザザ達は王都パレスに戻った。
アントリュースの講和が成立してから一月後のことだ。
王都を経ったのは冬の初めだった。
それから約二ヶ月が過ぎている。真冬の旅は辛く、天候に配慮しながらのゆっくりした行程だったが、ザザは平気だったし、一行も平気だったろう。
キンと冷たく冷えた空気の中、雪かきされたばかりの街道を進むのは楽しかった。ザザの背中にはいつも温かい胸があったし、空にはモスが気持ちよさそうに飛んでいた。
澄んだ空気の中に、ほんの一筋の春の匂い。
木々に目をやれば、積もった雪の枝の下に新芽が膨らんでいる。
去年の今頃、私は一人で森の家に籠もっていたっけ。
毎日毎日同じ日常。
代わり映えのしない仕事と地味な
今は──。
「今は」
「なんだ?」
ギディオンが背中から聞き
「え? あ……いえ、今はどこら辺りでしょうか?」
「ああ、だいぶ家並みが立て込んできただろう? 多分今日の夕刻にはパレスの北門が見えるはずだ」
ギディオンが笑った。
「おいおい、君たちだけさっさと帰らないようにしなさいよ」
レストレイが馬を寄せる。この王太子は馬車を嫌い、行程のほとんどを騎馬で進んでいた。
「王都でもやることは山積みだからね。覚悟していたまえよ」
「家には帰れないと思ってはいましたがね。王宮内ではせめて一緒の部屋に……」
「それもだめ。風紀上好ましくないし、あとでいろいろ面倒だからね」
睨み付けるようなギディオンに、王太子は意地悪そうに告げた。
「大丈夫ですよ、ギディオンさま。わたしには薬草苑にお部屋がありますから」
「ぶふっ」
レストレイの後ろの方で、フリューゲルの変な咳払いがした。ギディオンに睨みつけられて、真面目なふりを繕っている。
そうして一行は、その日の夕暮れに王都の門を潜ったのだった。
それから数日間、ザザは比較的穏やかな日々を過ごした。
ウェンダルがスーリカや魔力のことを記録すると言ったので、ザザは経験したことを可能な限り話して聞かせた。彼は膨大な量の紙を用意し、ザザの口述を事細かに記している。
彼はスーリカの強力な魔法の発動に驚いていたが、ザザは彼女のような魔女は、もう二度と現れないと確信を持っていた。
彼女は魔女の時代の
「確かに、彼女の魔力は一人の人間が操れる力としては強大すぎるな」
「はい。歴代の魔女たちの想いがスーリカに凝縮したのだと思うのです。彼女の印は黒い星で、魔女の血が受け継ぐものを全て持っていました。そしてそれをもって亡くなったのです。もう二度あのような存在は出現しないかと」
「君は、どうなのかね?」
「わたし?」
ザザは意外そうに言った。
「わたしはただの弱虫の魔女です」
ザザは本能的に胸元を探ったが、輝石の力はもうない。
「スーリカとなんとか渡り合えたのも、モルアツァイトと言う、魔鉱石があったからですし。今はそれもありません」
「だが、この世界には、まだ誰にも知られていない魔鉱石があるやもしれぬし、君がいると言うことは、どこかに生き残りの魔女がいるかもしれないと言うことだろう?」
「確かにいないとは言えません。でも、なんとなくわかるんです。多分、わたしが死ねば魔女という種は終わります」
「君に子ども……娘が産まれてもかね?」
「私に子ども?」
ザザは不思議そうに聞き返した。
「私に子どもが生まれるのでしょうか?」
「そりゃあ、生まれる可能性は高いだろうよ。セルヴァンティース卿と結婚するんだろう?」
「そっ、それは……でも、まだお家が許してくださるかわからないですし。一緒にいたいとはお伝えしましたけど」
ザザは真っ赤になった。
「やれやれ、彼が聞いたらがっかりするなぁ。ま、それはともかく、子ができるってことはだ。魔女が生まれるかもしれないのじゃないか?」
「……ですが、私たちの血はどんどん衰微していくのだと思います。うまく言えないのですが、滅びる種族の摂理なんじゃないかと……」
それは魔女でないものには説明できないことだった。そもそも魔力というものが、何を源にしているのかすら、誰にも説明できない。
「魔女の時代はもう終わるんです……」
ザザは平坦な気持ちで言った。それが宿命ならそれでよかったのだ。
「そうか、では君が最後の魔女ということになるのかもしれんな」
ウェンダルはそれ以上追求しようとはしなかった。
彼はしばらくペンを走らせてから、ザザを見上げた。
「さて、今日はもう終いにしよう。今夜は桜花宮に招かれているのだろ?」
「はい。フェリアさまに呼ばれています」
「チャンドラの脅威が去って、王女殿下もいよいよ正式にご婚約されるらしいからな。気楽な身でいる内になさりたいことをしておきたいのだろうよ。ここはもういいから、部屋に戻りなさい。もうすぐ宮から迎えが来るだろう」
その夜、フェリアは桜花宮で、ザザと数人の侍女だけを招いてささやかな集いを開いた。ザザが主賓である。アントリュースの戦いの詳細を聞くためだ。
春になれば、王宮では和平の記念に盛大な式典が開かれ、同時にフェリアと、友好国セイラムの第二王子ヘザーとの婚約が正式に発表される運びとなっている。
「すごい! やっぱりギディはすごい戦士なのねぇ! 私も見たかったなぁ」
フェリアは頬を紅潮させて言った。
かなり省略して話したギディオンの戦いの様子に、他の侍女たちも感に絶えないように身を震わせている。中には涙ぐんでいる者までいた。
「本当に! 敵の指揮官は挑む相手を間違えたのですわね!」
最後のチャンドラ司令官との一騎討ちの様子を聞いたエリーシアは、興奮を押さえかねて叫んだ。見れば壁際のキンシャやセリアも含め、この部屋にいる全ての娘がザザに注目している。
「ですが、ギディオン様はお怪我をされたのでしょう? もう大丈夫なのかしら、ザザ?」
「そうだわ。ザザ、どうなの? ギディったら私には何も言ってくれないのよ」
フェリアも頷く。
「大丈夫だと」
ザザは皆を安心させるように頷いた。
「ギディオンさまは、ご自分の体調をよくわかって働いておいでです。それが戦士の務めですから」
「まぁ、ザザ。よく知っているのね」
「はい。わたしとギディオンさまは一緒に戦った……えっとなんて言うのか……そうだ、戦友、なのです!」
「戦友!」
ザザの言葉にフェリアも他の娘たちも息をのんだ。
「……すごいわ」
「本当。それでザザはどんなことをしたの?」
「えーっと、敵の陣地に忍び込んで、兵隊さんたちが元気をなくすようなお薬を作って、お食事に混ぜました」
「うわぁ! さすが薬草苑の薬師ザザだわ!」
「本当に! 命がけだったのですわよね!」
「はい。ちょっとがんばったのです」
浴びせられる褒め言葉に、ザザは素直に頷いた。以前ならできなかったことだ。
「そうか……ザザも自分にできることをしたのだわね……私も、私もね。ヘザー様と文通をしてるのよ」
フェリアは恥ずかしそうに打ち明けた。
「文通、ですか?」
「ええ、手紙のやり取りね。でも、私が大まかに伝えた内容を、
「素敵なことだと思います。でも……」
「なぁに?」
「直接お書きにはなれないのですか?」
「え?」
フェリアはぽかんと口を開けた。他の娘たちも同じ様子だ。
「私が手紙を?」
「そうです。だめなのでしょうか?」
「そりゃあ、だめってことは……でも、私手紙なんて書いたことがないわ。あなたたちはある?」
「いいえ」
エリーシアも首を振った。大抵の大貴族の家には祐筆がいて、主人の意思を主人以上に上手に
「ですが、本来手紙は自分の気持ちを伝えるものでしょう? お相手に本当のフェリアさまのお気持ちをご自分の言葉と文字で伝えたら、もっと深く意思の疏通ができるのでは?」
「……」
フェリアは難しい顔をして考え込んでいる。
「申しわけありません。わたし、そう言う王宮のしきたりのことなど知らなくて……出過ぎたことを」
「そうよね! ザザの言う通りだわ!」
いきなりフェリアは立ち上がった。
「私ね、この冬中考えていたの。この国の王女として私が何ができるかってことを。ギディのことは今でも大好きだけど、完全に私の片想いだったしね。ねぇ、エリーシア?」
「左様でございます」
エリーシアも同意した。
「私たち、二人で長いこと話したのよ。失恋したもの同士」
二人の娘は苦笑しつつも微笑みあっている。
「正直認めたくなかったわ。お母さまのこともあったし、諦めきれなくて何度も泣いた。でも、お兄様はだめだって言うの」
「……」
「私はお父様とも話し合った。お父様はやはり、セイラム国との関係を強固にしておきたいとお考えなの。この度のチャンドラとの戦のもあるし。王家は国を安寧に導くのが努めだって。だから私はセイラムに行こうと決めたのよ。私だって王家の姫だしね」
「フェリアさまはご立派でした」
エリーシアは真面目に頷いた。
「そうでもないわよ。ヘザー王子は私より二つ年下だし、何回か会った事あるけど、ギディほど格好よくないわ。まぁ、美少年と言えるかもだけど。ちょっと生意気だったし!」
フェリアは少々偉そうに隣国の王子を評した。
「だから私なりに、ヘザー様をもっとよく知り合おうとして手紙を思いついたのだけど……自分で書くと言う発想はなかったわ!」
「……はい」
「でも……確かに、手紙は自分でも書けるものだわね。わかった。早速明日から初めてみるわ。でも……まだ自信がないから、ザザ、エリーシア」
「はい」
「私の書く手紙を見てちょうだい。きっといい手紙にしたいから」
「かしこまりました」
「承知いたしました」
二人の娘は目を見交わして頷いた。フェリアの決意の裏側に、たくさんの涙や迷いがあったのだろうことがわかるのだ。
「ザザは今夜泊まっていってね。お部屋を用意させる」
「はい」
「でね、私薄々気がついているのだけど……ギディの好きな人はザザなのでしょう?」
王女は大人びた様子でザザを見つめた。そしてザザの慌てた様子を見て全てを悟ったようだった。
「……やっぱりね。そしてザザもきっとそうなのね」
「はい。お慕いしております」
ザザの答えに、フェリアも周りの侍女たちも言葉を飲んだ。
「そうか……やっぱり、悔しいかも……私が王女でなければ、絶対に負けたりしなかったのに」
しばらくしてフェリアが呟く。きっと少女の素直な感想なのだ。
王女の初めての淡い恋は身を結ぶことがなかった。やがて王女はきっとザザを見つめた。
「今日ザザに会えて本当によかったわ。いっぱい恨み言を聞いてもらうわよ。私の自由もあと少しだから!」
フェリアはしっかりした口調で言った。
この冬成長したのは、ザザだけではないのだ。
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