第39話38 魔女、扉を開ける 6

「せ、セルヴァンティース指揮官殿!」

「退けと言っている!」

 驚愕した顔のまま、フリューゲル物凄い勢いで飛び退すさった。

「ザザ、大丈夫か!」

「あ、あるじさま……」

 膝から力が抜けそうになるのを、ザザは足の裏に力を入れて耐えた。

「すまない。遅くなってしまった。何があった?」

「いいえ、何も。フリューゲル様と少しお話をしていただけです」

「顔色をこんなに青くしてか?」

「これは元からで……」

「……」

 ザザの下手な言い訳には耳をかさず、ギディオンは黙って後ろを振り返った。

「何も聞かないように言っておいたはずだが」

「申し訳ございません。私が出過ぎました」

「お前は信頼できる男だと思っていたんだがな」

「は、ご信頼を裏切ってしまったことを認めます。処罰はいかようにも。ただ……私はこの娘さんが、信用できなかったのです」

「俺の目も信用できなかったという訳だ」

 ギディオンは冷たく言い放った。

「そんなことは決して! ですが……全ては私の落ち度です。この目が曇っていたのです。ザザ殿、申し訳ありませんでした」

 フリューゲルは片膝をついて深く腰を折った。

「指揮官殿の目が届かない時に、あなたを尋問した私は卑怯者でした」

「わたしは……わたしのことだったら別に構わないのです。慣れておりますから」

 ザザは震える声で言った。

「でも、自分のことでないなら、わたしには決して答えられないのです。どうぞお許しください」

「お前はこんなことを言う人間を、信用できないと言ったのだぞ」

 ギディオンの声は、ザザが聞いたことのないほど厳しいものだった。フリューゲルも顔色を失っている。

「恥を知れ!」

「……は!」

「ギディオンさま、ギディオンさま。もういいのです。フリューゲルさまのお尋ねになった事は全て、ギディオンさまの身を案じてのことでした。森で拾われたわたしのことを信用できないのは当然です。だから、それ以上はもう……お願いですから」

「……」

 白い顔を一層悪くしてして頼み込むザザに、ギディオンはそれ以上部下を追求することを止めざるを得なかった。ザザの気持ちをこれ以上乱してはならないと悟ったのだ。

「……わかったよ、ザザ。もう止す。立て、フリューゲル」

「……はい」

 悄然しょうぜんとした様子の騎士を痛々しい思いで見たザザだが、ふとあることに気がついた。

「ギディオンさまは、どうしてここがわかったのですか? 道を変えたのは偶然なのに」

「ああ。大通りは混み合っていたから、きっとザザが歩くのに戸惑ったと思ったんだよ。そして、フリューゲルはそう言う人の心の機微には聡い男だからな。それに、この道は彼の家の近くでよく通る道だと知っていたから、もしやと思って走った。勘に従って正解だったな」

 そこで初めてギディオンは笑った。ザザもつられて笑った。フリューゲルのみ、いっそう肩を落としている。

「お城の仕事はもういいのですか?」

「ああ。やることは山ほどあるが、何も俺が全て行う必要はない。仕事の道筋はつけてきたし、任せられると思ったんだ。ただ、出がけにちょっとあって……」

 珍しく言葉尻を濁したギディオンに、フリューゲルが察したように顔をあげた。

「指揮官殿、よろしかったのですか?」

「お前は黙っていろ」

「わたしはここから一人で帰れます。どうぞお二人はお仕事に戻ってください」

 ザザも雰囲気を読んで言ったが、ギディオンが割って入る。

「フリューゲル、お前はもういい。これ以上無礼なことを言う前に帰れ。後の指示は明日以降伝える」

「は! 改めて申し訳ございませんでした。セルヴァンティース閣下、ザザ殿」

 フリューゲルはもう一度深々と頭を下げると、静かな通りから姿を消した。


「すまなかったな、ザザ」

 舞い落ちる木の葉が少し数を増やす中、二人は歩いた。

「いいえ。とんでもありません。ギディオンさまは良いお仲間をお持ちです」

「だが、怖かったろう?」

「正直言うと、少し。でも怖かったのはフリューゲルさまがと言うより、わたしが何かを言ってしまって、ギディオンさまにご迷惑をかけることでした」

「ザザが自分を責める必要はないんだ。ただ、お前が魔女だと言うことは、まだ知られないほうがいい」

「わかっています。御用繁多の折に、これ以上余計な因子を増やすことはないと思います」

 言いながらザザは、自分自身が余計な因子を抱えていることを思い、憂鬱な気分になった。

 自分の真名がわかったことを伝えたら、なぜそれがわかったことも説明しないといけないだろう。そうすれば母の日記のことも言わねばならない。その中にセルヴァンティースの名前があったことも。


 時が来たらきちんと伝えるべきだけど、まだその時じゃない。ギディオンさまにこれ以上、懸案事項を差し出すわけにはいかないから。


「……今は目の前の脅威となるものを、取り除かないといけないのでしょう?」

「ザザは偉いな」

 真面目一辺倒のザザの問いをギディオンは柔らかく受け止めた。腕を伸ばして、ザザが抱えている古ぼけたカバンを持とうとする。ザザは母の日記が入ったそれを、躊躇いながらも素直に渡した。

「あまり考え込むな」

「はい……でもあの、ギディオンさま……わたしは、薬草苑の中に居を移そうと思うのです」

「なんだって?」

 ギディオンの足が止まる。

 足元に降り積もった木の葉が金色の絨毯のようで、彼の長身がくっきりと映える。

「ウェンダルさまがそのほうが良いとおっしゃいました。わたしもそう思ったので、お許しがいただければすぐにも引っ越そうかと思うの、です」

「……薬草苑、王宮の中に?」

「そうです。どうでしょうか?」

「……わかった。そうか、そうだな。今までなんとなく伸ばし伸ばしにしてきたが、ウェンダル殿がそうおっしゃられるのなら、そうした方がいいのかも知れない……だが、」

「何か屈託が?」

「実は俺も……実家のセルヴァンティース伯爵家にザザを託そうと考えてはいた」

「そうなのですか?」

 もしもセルヴァンティース家に預けられたなら、グレンダイル・セルヴァンティースのことも何かわかるかもしれない。

 

 いえ、焦ってはいけない。私のお父さんが誰かなんて、大局には関係がない。些細なことだ。


「ああ……だが、まぁ良い。実家にはいつでも行けるし、いつか連れて行くこともあるだろう。ウェンダル殿はああ見えて、非常に考えの深いお方だ。決して悪いようにはなされまい。ザザのこれからを考えてのことだろう。それに薬草苑なら桜花宮からそう遠くはない。俺も、空いた時間に様子を見に行ってやれる」

「ありがとうございます。嬉しいです」

「ザザはもう……大丈夫だな」

「……はい」

「森で出会った時は、俺だってフリューゲルに劣らない酷い態度を取っていた。でも、ザザは今のように辛抱強く我慢していたな」

「魔女ですから」

 ザザは笑って見せた。でも本当は、自分の思いは別のところにある。

 確かに、以前のような依存心はなくなった。しかし、ギディオンを慕わしく、離れ難く想う気持ちは少しも変わらない。むしろどんどん強くなっている。


 でも、そんなことではいけないのだ。わたしはもっと強く優れた魔女になって、ギディオンさまの横でお役に立つ日に備えなければ。


「お仕事はまだまだたくさんあるのですか?」

「あることはある。例の事件の事後処理やら、今後の対策やら。だが、言ったように全部俺がするわけではない。専門家がいる」

「……フェリアさまの御用は?」

「それもある。俺は殿下付きの近衛騎士だからな」

「お婿さまでは?」

「は? オムコサマ?」

 ザザは気にかかっていたことを尋ねたが、言葉が足りなすぎてギディオンは目を剥いている。

「なんのことだい?」

「いえっ! なんでもありません」

 ザザは顔を真っ赤にして項垂れた。

 ギディオンが誰と恋人になろうが、結ばれようが自分に何かを言う資格はないのだ。今もこの先も絶対にない。

「俺はな、ザザ。近々近衛を辞任させていただこうかと思っている」

「えっ⁉︎」

 今度はザザが驚く番だった。

「俺はかつて人殺しが嫌になって国境軍をやめた。臆病風に吹かれたんだよ」

「そんな! 違います」

「だが、今は違うことを考えている。ザザがもたらしてくれた情報のおかげで、大きな争いになる前に、何かできることがあるかもしれないと考えるようになったんだ」

「……」

「そのためには近衛にいてはできないことがある」

「フェリアさまはそれでよいと?」

「おっしゃられないだろうなぁ……」

 ギディオンは苦笑しながら、つと腕を伸ばして舞い落ちる木の葉をつまみ取った。

「けど、まぁ。それはなんとかなる。というより、なんとかするさ。俺の問題だからな」

 いつも言葉が明瞭な彼には珍しく、どんな風にも受け止められる曖昧な答えだ。しかし、ザザにはそれ以上尋ねる勇気はなかった。

「とりあえず、一番奥まった桜花宮よりも前に出て行う仕事をしなければ」

 ギディオンは落ち葉を指で弄んでいる。

「……何かあればまた、わたしを使ってくださいませ。これからは同じ王宮内でお仕事をすることになるのですから」

「ああ。いずれそんな日も来るかもしれない。何しろ、大魔女と呼ばれる得体の知れない存在が、まだどこかにいるとわかったのだから」

「争いが起きるのでしょうか?」

「わからない。だが、ザザは俺が守ろう」

「なら、わたしはギディオンさまをお守りいたします」

「ははは! それは頼もしいな!」

 そう言って、ギディオンはザザの黒い髪に金色の葉を挿し込んだ。ザザの大好きな泉色の目が笑っている。しかし、ザザは本気だった。

「お守りいたします。そうなれるようにわたしは強くなります」

「ありがとう、ザザ。さぁ、帰ろう。ほら、こんなに冷たいぞ」

 長い指の背がザザの頬を撫でた。二人の目線が間近で交錯し、お互いの目の中に相手が写っているのが見えただろう。

「行こうか」

 大きな手がザザの手を握り込む。それはとても温かくて力強い。なのにザザはなぜだか泣きたくなってしまう。

 ザザはこの瞬間を忘れまいと思った。

 公園を抜けるとギディオンの家までものの数百サールメートルだ。

 

 やがて家に着き、ギディオンは先に段を上がって扉を開けた。

「どうぞ。まだここはザザの家だ」

「……ギディオンさま!」

 僅かな段を駆け上がった時、ザザはなにも考えていなかった。

「おいおい、どうした」

 胸に飛び込んできた魔女をギディオンはやんわりと受け止める。

「いつかまたここに戻ってきてもいいですか?」

「どうした。珍しく甘えん坊だな」

「戻ってきたいのです」

 ザザは突き上げる思いで顔をあげた。さっき差してもらった葉っぱがひらひらと落ちた。

「ああ無論、無論いいとも。それまでお互いに頑張らねばな」

「はい」

「少し腹が減ったな。メイサが何か作ってくれているだろう、食べられるか?」

「はい!」

 背中を押されて魔女は家に入る。

 そうして扉は閉められた。



   ****


前半部分が終わりました。これより後半です。

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