第12話11 魔女と太陽 5

 翌朝。

 ザザが起きたのはいつも通り、夜明け前だ。

 眠りが短いのは魔女の美徳であるとされている。

 ごそごそと寝床を抜け出し、服を着替え顔を洗っても陽が昇るまでには間があった。

 昨夜はすぐに部屋に案内されたので外を見て回る暇もなかったが、今ならば許されるかもしれない。人々はまだ寝静まっている。

 ザザはカーテンを開けると窓を持ち上げた。北向きの空はまだ仄暗ほのぐらいが、もう少しで太陽が顔を出すだろう。地面までは大した距離ではない。窓枠に足をかけ、苦もなくザザは飛び降りた。下は草地で堀まで緩やかな斜面が流れている。

 ザザは水のような色の大気の中、一気に丘を駆け下りた。

「わぁ! 気持ちいい!」

 堀は満々と水を湛え、水路で湖へとつながっていた。向こう側へ渡りたいが、橋は昨日渡ったものしかないようだし、門は閉まっているだろう。

 ザザは堀を渡ることは断念して、その辺を歩き回ることにした。

 森とは違って下生えは歩きやすいように刈り込んである。ところどころに樹木が生えているだけの、どちらかといえば殺風景な庭だった。表に回れば美しい庭園もあるのだろうが、こちらは裏にあたる。

 ザザは気分よく城の周りを回った。堀の縁までやってきた時、一筋の赤い光線が射す。陽が昇り始めたのだ。


 ああ、夜が明ける。


 一日の始まりの太陽は、どうしてこんなに美しいのだろう。

 初め小さな点だった光はあっという間に筋になり、薄鼠色うすねずいろの空を朱に染めながらゆっくりと昇っていった。

 上空から甲高い鳴き声がするので上を見上ると、まだ鈍い色の空の下に一匹のはやぶさがゆったりと旋回していた。多分昨日見た隼だろう。

「おはようモス!」

 声をかけると隼が目の前に舞い降りた。そのままザザの周りをぴょんぴょん歩いている。どうやら好奇心旺盛な鳥のようだ。

「お前、素敵ね。こんな風の中を飛べたら気持ちがいいね」

 そう言うと、隼が一声鳴いてまた空へと舞い上がった。羽根に朝陽が当たって琥珀色に輝く。


「私も飛べたらいいのに……」

 ザザは朝が好きだった。

 何色にも染まらない黒髪が明るく照らされ、夜の瞳に空が映る。その一瞬だけ世界は自分のものなのだ。

 ザザが両手を水平に上げて太陽を掴もうとした──時。

「お前!」

 鋭い声が上から落ちてきた。

 振り返ると大股で斜面を下りてくるザザの主。白いシャツが日に照らされ、少し伸びた藍鉄色の髪が風になびいている。片手には大きな剣。

 ザザはしばらく彼に見惚れた。

「どうしてこんなところにいる! 何をしていた!」

 ギディオンは剣を持っていない方の手で、ザザの手首を掴んで怒鳴った。ザザの喉がひゅっと鳴る。叱られるとは思っていなかったのだ。

 隼がザザをかずめて舞い上がる。まるでしっかりしろと励ましているかのように。

「言え!」

「あ、あの……わたし、おひさまを」

「オヒサマ?」

 ギディオンは何を言われたのか理解できなかった。

「は、はい。おひさまを見ていました……この色は今だけしか見られないから」

「色」

「はい。赤でも紅でもないこの色……今だけ」

 ザザは憧れるように昇りゆく太陽に目を写した。ほんの少し見ているだけで、その色は黄色く変化し、見つめられないほど眩しいものになっていく。見られるのはほんの刹那の間だけだ。

「……それは何の儀式だ?」

 ギディオンの声にはもう、厳しさはない。浮世離れしたこの娘の答えに詰問きつもんする気は失せてしまったのだ。抜身のまま引っげていた剣を鞘に落とし込む。

「ギシキ? いいえ、儀式ではないんです。ただ、おひさまが好きだから見ていました。森では高いところに上らないと見られないので」

「……部屋から出てはならんといったはずだが」

「あっ」

 ザザは自分が大きな間違いを犯したことを悟った。

「あの……わたし、扉から出なければいいと思って……窓から出たんです」

「なんだって? 窓から?」

「はい」

 ギディオンは脱力しないようにかなりの努力を有した。

「……あのなぁ、言葉を額面通りに取るなよ。俺は部屋から出るなというつもりで言ったんだ」

「え?」

 今度はザザの目がまん丸になった。

 

 そうだったの?


「風呂に行けば迷い、扉から出るなと言えば窓から出る。これが魔女なんだとしたら間抜けすぎるな」

「……ごめんなさい、もう……いたしません……」

 あまりに馬鹿すぎることが悲しくて、ザザはぎゅっと服を握りしめた。これ以上無様なところを見られたくなかった。

「いいから、すぐ部屋に戻りなさい」

「ただいますぐに」

 ザザは斜面を走って登った。自室の窓の下にたどり着くと、えいやっとばかりに窓の出っ張り向かって飛び上がる。飛び降りるよりは大変だったが、なんとか指がかかったので、足を引っ掛けようとじたばたもがいていると、腰が浮いて、気がつくと地面に立っていた。

「馬鹿なのか? 額面通りに受け取るなと言っただろう? こっちへ来い。裏口から入るぞ。もう開いているはずだ」

「……ごめんなさい」

 情けない顔を見られている。ザザはすっかり明るくなった空を視界から消した。

 高いところから隼が笑っている。今日も良い天気になるだろう。




   *****



この章終わりです。

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