第五話
アリーチェに馬乗りになっていたマッシュヘアの男子生徒が、いまだアリーチェを押さえたまま答える。
「生徒会室の前に何やら怪しい物を置いていったので、こうして拘束しました」
アリーチェのときと違って、彼は丁寧な態度だった。
相手は王子なので、それも当然である。
「なるほど? 怪しい物とは?」
「こちらです」
まだ彼はアリーチェの上から退いてくれない。
なんならレイビスも特にこの状態について咎めることも質問することもない。
「あれ~? 部屋の前で何してんの、レイ――」
そのとき、レイビスでもマッシュヘアの男子生徒でもない甘い声が聞こえてきて、かと思ったら、その声の主が大声量で叫んできた。
「ちょっとヴィルジール!? 何やってんの!? 女の子に馬乗りって最低かな君!? ほら退いてっ」
「違いますよ、アラン先輩。この女、不審者です」
「え、不審者? そうなのレイビス?」
「さあ」
レイビスはマッシュヘアの男子生徒――ヴィルジールから受け取ったお守りを検めているようで、おざなりな返事をする。
違うと主張したいのに、コミュ障のアリーチェにそんな度胸はなかった。
「いや、だとしても抵抗する気のない女の子にそれは酷いよ。って、あれ? 君は確か、内回廊で会った子だよね? 大丈夫?」
ヴィルジールをアリーチェの上から退かしてくれたアランが、優しく手を差し出して立たせてくれた。
なんて紳士的な人だろうと感動する。アリーチェが泣ける身だったら号泣していただろう。
「えー、どういうことですか。アラン先輩、この女のこと知ってるんですか?」
「こら、この女なんて言わない。当然でしょ? 俺は世の女性の皆さんの味方であり、つまり学園の女子生徒は全員俺の守備範囲なんだから。もちろん把握してるよ。この子は高等部からの編入組で、普通科一年次生のアリーチェ・フラン子爵令嬢だ」
「わー、さすが女たらしで有名な先輩ですー」
「それ褒めてないよね?」
さっきは感動していたアリーチェだが、今はちょっとだけアランから距離を置く。学校ってなんでこんなに怖い人ばかりいるのだろうと震えが止まらない。
(わたし、そんな目立つことしてないのに、もう目を付けられたのっ?)
これは早々にここから走り去るべきでは、という考えが頭を過った。
しかし、それを実行に移すより早く。
「……へぇ。これはすごいな」
レイビスの漏らしたひと言に、全員が彼に注目する。
「だいたい理解した。来い、アリーチェ」
「え゛っ」
突然名前を呼ばれる恐怖に身体が硬直した。それは死刑宣告ですかと確認してから従うかどうか決めてもいいだろうか。
思わず、女性の味方だというアランに助けを求める視線を送ってしまったが、アランは眉尻を垂れ下げるだけだった。さすがの彼もやはり王子の言葉には逆らえないらしい。
諦めて震えながらついて行く。全員が生徒会室に入室した途端、ヴィルジールが扉を閉めた。まるで退路を断つような重々しい音が響く。
生徒会室は想像以上に豪奢な部屋で、王宮の応接室を思わせた。
アリーチェは本来なら王宮とは無縁の孤児だが、宮廷魔術師になってから学園に入学するまでは、王宮の魔術棟でお世話になっている。そのため、魔術棟の中のことならそれなりに知っていた。
シンプルなシャンデリアが部屋の中央で室内を照らし、左右の壁には天井まで届く書棚がどんと構えていて、中には扉が付いている箇所もある。
向かって右奥には、この部屋で一番格式高そうな机が置いてあり、その前に六人分の机が島を作るようにくっついていた。
左には応接用のセンターテーブルが一つあり、その周囲を囲むように深紅の
レイビスは、そのうち一番奥の椅子に腰掛けて足を組むと、長い人差し指でアリーチェを差し、そのまますっとソファへ指先を動かした。座れ、と言われているのだろう。
(やだな……うぅ……座ったら逃げにくそう)
孤児時代に培った怖い人たちに囲まれたときの鉄則は、とにかく逃げろだ。立ち向かってはいけない。
躊躇っていたら、冷ややかな声が飛んできた。
「俺の命令が聞けないなら、弁解の余地も与えず捕らえてもいいんだが?」
「すっ、すすみません! 今すぐ座りますっ。はい座りました!」
でも距離は欲しかったので、レイビスから一番遠い場所に座った。
これも何か言われるかなと恐る恐る視線を移したら、とてもいい笑顔の彼と目が合う。彼の指先は、いまだに彼の近くにある椅子を差したままだ。ひゅっと息を呑んだ。
これほど怖い威圧を放つ人も滅多にいないだろう。すぐに差された場所まで移動する。
「やればできるなら最初からそうしような?」
「すみませんっ!」
「友だちはできた?」
「できてません!」
「じゃあ、俺がなってやろうか」
「はいぜひお願っ――……え?」
あまりの恐怖から全部勢いで答えていたけれど、最後だけ何かがおかしかったような気がして自分の耳を疑う。
けれど、アリーチェの向かい側に座ろうとしていたアランが、その途中で目を見開いて固まっていた。どう見ても驚愕している。
ということは、自分の耳が拾った言葉は聞き間違いではない可能性が高い。
「ちょっと待ってくださいよ、会長。なんでそんな話になるんですか? こいつ、会長の命を狙ったかもしれないのに」
「え……ええ!?」
いつのまにか隣に座ってきたヴィルジールが、かわいい顔をムスッとさせて反論した。まさかお守りがそんなふうに思われていたなんてと、あわあわと言い訳を募ろうとしたが、できずに挙動不審者となる。
レイビスがフッと笑みをこぼした。
「ヴィルジール、心配ない。こいつは俺の命なんて狙っていない。むしろ……――アリーチェ」
「ひゃいっ」
「これの説明をしてやれ」
「えっ。えっと、でも……」
「同じことを二度言わせるな。そんなに捕まりたいって?」
「ちちち違います! そうじゃなくて、ただ、もしかして、言っちゃいけないこと、じゃないのかなって……」
レイビスが周囲を睨む理由。恐ろしいと遠巻きにされながらも、その状況を変えない理由。
何か人には言えない事情でもあるのかと思い、だから手紙にはお守りの効果を書かずに使用方法だけを書いた。使ってさえもらえれば、口で説明するより効果は実感できるだろうと思ってのことだ。
そうして、レイビス以外の誰が読んだとしても、お守りがどういうものかわからないようにした。
ただ浅はかだったのは、王子である彼に効果も記載していない物を渡すのは、普通に危険物と見なされても仕方がないということだろう。
やることなすこと失敗続きで、自己嫌悪に陥るどころの話ではない。
「なるほど。あまり頭の出来は良くなさそうだと思ってたが、意外と思慮深くはあるのか」
くすくすと笑われて、悲しめばいいのか反論すればいいのかわからなくなる。
「つまりどういうことですか、会長」
「つまり、これの効果を話すには、アリーチェが推測した俺の事情に関わってくることになる。状況からして俺が他人に話してなさそうなのに、それを自分が勝手に話していいものなのかと悩み口を閉ざした――だいたいそんなところだろ?」
同意を求めるような視線を流されて、アリーチェは首が取れそうなほど縦に振った。すごい。まさにそのとおりだ。
なんだか隣から痛いほどの鋭い視線と、向かい側から面白がるような視線を向けられて、気づいたアリーチェは膝の上に作った拳に視線を逃がす。
「俺は構わないから、話せ、アリーチェ」
逡巡したが、レイビスがそう言うならと、閉ざした口をおもむろに開いた。
「そ、そのお守りはですね、視力を矯正するための魔術道具なんです」
「視力?」
疑問を呈したのはヴィルジールだけで、アランはハッと目を丸くする。もしかしたら彼はレイビスの事情をすでに知っていたのかもしれない。
「わたし、魂よ――じゃなくて、殿下と初めて会ったとき、殿下に女子生徒か確認されたんです。そのときは人にいきなり話しかけられた緊張で、特に何も思わなかったんですけど、スカートを履いてたので『あれ、変だな』って、あとから気づいて。他にも、顔じゃなくて髪色で識別されたりとか、遠くから睨まれたと思ったのに別に怒ってるわけじゃなかったりとか。そういうのがヒントになって、もしかして殿下は、ただ目が悪いだけなのかなって思ったんです」
こんなに吃らずに話せたのは久しぶりだ。
たぶん、これはレイビスの許可を得てしている発言で、相手を不快にさせないようにと無駄に気を遣う必要がない分、いつもより心が軽いからだろう。
それに、視線を合わせなければ、相手の感情に翻弄されることもない。
「でもじゃあ、どうして眼鏡を掛けないのかなって、疑問が浮かびました。視力の矯正には眼鏡が一般的ですし、高価ですけど、殿下なら買えないはずがないですから」
そこから推測されたのは、眼鏡をあえて掛けていないという仮説だ。
「わたしの知り合いに、目が悪かった人がいて。その人が言ってたんです。眼鏡は便利だけど、視界がフレームの中だけに限られて意外と不便だし、激しい動きをするときにはむしろ邪魔だって」
だから、眼鏡を掛けずに裸眼で過ごしているけれど、無意識に焦点を合わせようとして目を細めた結果、周囲を睨んでいるように見えたのではないか。アリーチェはそう考えた。
「そこでそのお守りです。殿下、もしよければ、手紙のとおり使ってみてもらえますか?」
そのときアランが何か言おうと口を開きかけたけれど、レイビスが片手で制する。
すでに手紙を読んでいたらしいレイビスは、手紙に書かれた呪文を詠唱し、難なく魔術道具を発動させた。
「ど、どうですか?」
手に汗が滲む。大丈夫だとは思うけれど、成功したかどうかは実際に発動させるまでわからないのが魔術道具だ。
「……へぇ」
何が「へぇ」なのだろう。それ以外何も言ってくれないレイビスにヤキモキする。
「これ、おまえが作ったんだよな?」
「え!? ちちち違います! えっと、もともとそれ、知り合いのもので……!」
ということにする。
くどいようだが、アリーチェはあくまでただの子爵令嬢である。
「実はその人、もう亡くなっててっ。だから、もし役に立つなら、殿下に使ってほしいなと思って持ってきたんですっ」
「ふうん?」
だから、何が「へぇ」で「ふうん」なんだろう。
レイビスが何を考えているのかわからない。まさか怪しまれているのだろうか。
すると、彼が椅子から立ち上がり、アリーチェの目の前で止まった。
無意識にその姿を追ったアリーチェの目元を、彼の親指がすうっと撫でていく。
「よく見える。酷い隈だな」
「え゛っ!?」
反射的に目元を隠したアリーチェを揶揄って、レイビスは元の場所に戻る。
それから長い足を組み直して、機嫌良さそうに口角を上げた。
「アリーチェ・フラン。これの褒美に、俺がおまえの友人になってやろう。まさかこんな魔術の使い方があったなんて驚いた」
「でもそれは、で、殿下へのお礼なので。褒美なんて……」
「礼?」
自分の両手の指をいじりながら、アリーチェは照れくささを隠すように早口で答える。
「あの、殿下が滑舌を直したところで友だちはできないって、軌道修正をかけてくれたの、嬉しかったんです。わたし、た、たまに暴走することがあるみたいで……こうと決めたら、突っ走っちゃうんですよね」
えへへ、と今度は頬を掻いた。
「今まではその、それを止めてくれる人がいたんですけど……もう、いないので」
だから、一人で頑張らないといけなかった。妹のリーシャを思い出して、妹を目標に頑張ってみた。
それでも、現実は甘くなくて。
貴族と平民では何もかもが違う。
何かを間違えていることはわかるけれど、何を間違えているのかがわからない。
「だから、あのときはありがとうございました! わたし、これからも友だちづくり頑張ります!」
ふんすっ、と鼻から勢いよく息を吐き出す。気合を入れるために。
それをなぜかアランが「え、いい子だ」と褒めてくれたけれど、友だちづくりを頑張るだけで『いい子』は大げさだと苦笑する。
すると、フッと笑ったレイビスがもう一度同じことを言った。
「なら、褒美関係なく、俺がおまえの一人目の友人だ。これならどうだ?」
「えっ、ほ、本気ですか!?」
「なんだ、嫌か?」
「とっとととととんでもないです! 友だち千人とは言いませんけど、せめて一人は欲しいと思ってたので……! なってくれるならどなたでも歓迎と言いますか……!」
「目標が低い。だからできないんじゃないのか。もっと上を目指せ」
「え!? わ、わかりました。じゃあ五人で!」
「千人」
「せっ……無理です、正気ですか!?」
「俺の正気を疑うとはいい度胸だな?」
「ひっ。すみませんっ」
「千人、いけるな?」
不敵な笑みで念を押されて、ここで反論できる人がいるなら代わりに反論してほしいと心の底から願った。
「はひ……が、頑張ります」
アリーチェ・フラン。このたび王子様の友だちができました。
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