第五話
放課後になると、アリーチェはアンヌ=マリーの許へ急いだ。当時の状況について確認するためだ。
おそらく生徒会室にいるだろうと思って扉をノックしてみたら、中から現れたのはヴィルジールだった。
「あれ? 君って確か、あのときの不審者じゃない? なに? まさか会長に惚れて図々しく追っかけでも始めた?」
「そ、そそそんな……! 違いますっ」
「ふうん? まあどっちでもいいけど。会長ならいないよ。魔術科はまだ授業が終わってないからね」
「あ、い、いえ。今日はその、シャ、アヴリーヌ先輩に、よよよ用がありましてっ」
「副会長?」
こくこくこくと、高速で首を縦に振った。
勉強会のおかげで慣れたレイビスとアンヌ=マリーとは違い、他の生徒とはまだ一向に打ち解けられていないアリーチェは、未だに吃った話し方をしてしまう。
「ヴィル~? お客さんなら中に入ってもらえば? そんなところで立ち話もかわいそうだよ」
すると、男子にしては小柄でかわいらしい見た目のヴィルジールとは対照的に、中からひょっこりと体格のいい別の男子が出てきた。
こちらはまるで熊のような大男で、分厚い筋肉に身体が覆われている。
「は、わ……ひぇ……っ」
なんて圧の強い人だろう。レイビスの睨みとは違うタイプの圧だ。
レイビスが精神的な圧を送ってくるなら、こちらは物理的な威圧感がある。
日に焼けた身体に銀の髪が輝いて、濃緑の瞳がきょとんとアリーチェを見下ろしている。ただでさえ初対面の人は恐ろしいと思ってしまうのに、これほど最初の印象で怖いと思った人はいない。
レイビスやアンヌ=マリーのことがあるので、見た目でその人の全てを判断してはいけないとわかっていても、今回は本能が拒絶している。たぶん、あまりに体格差があるせいだろう。
「わー! かわいい女の子だ! ヴィルの知り合い? 俺はね、ヴィルと同じ騎士科の一年次生で、ロドリグ・ヴァノって言うんだ。よろしくね」
「はっ、は、は、は……っ」
「あれ、なんか顔色悪いけど大丈夫? 生徒会室で休んでく?」
「あ、あ、あああぁ……」
「えっ、待って。顔が真っ青に……! ヴィ、ヴィル! どうしようっ!?」
「どうしようじゃない。おまえちょっとあっち行け」
「なんで!? ヴィルだと無理だろうから、俺が運ぶよ!?」
「あ? 僕だって運べるよ、こんなちんちくりん! いいからあっち行けって言ってるだろ! こいつのこれは、おまえのそのでかい図体のせいなんだよ!」
「俺!?」
危うく気絶しそうになったが、ヴィルジールが察してロドリグを部屋の中に押し戻し、扉を閉めてくれたおかげでギリギリ意識を保てた。
廊下で二人きりになる。
「いつのまに副会長と知り合ったのか知らないけど、副会長なら謹慎中だから寮にいるんじゃない」
「えっ、そ、そうなんですか?」
「わかったら帰ってくれる? ここで倒れられるの迷惑なんだけど」
「ご、ごめんなさいっ。すすすぐ、き、消えますっ」
呆れた息を吐くように鼻を鳴らして、ヴィルジールが生徒会室へ戻ろうとする。
その背中に向かって、アリーチェは「あのっ」と呼びかけた。
「教えてくれて、あ、ありがとう、ございます!」
「……別に。君、誰に対しても――僕にも怯えるみたいだから、ちょっと気分が良くなって口が滑っただけだよ」
「???」
ぽかんとするアリーチェを置いて、ヴィルジールはさっさと部屋の中に消えていった。
なぜ彼にも怯えたことが彼の気分を良くすることに繋がったのか、全く理解できない。
(その逆なら、わかるんだけど……)
怯えて嬉しそうにされたのは初めてだ。
でも今はその謎よりやるべきことがあるため、アリーチェは女子寮へと足を急がせた。
寮は、もちろん男女で分かれている。
物理的にも左右に分かれており、正門から向かって右が女子寮、左が男子寮だ。
このノートルワール学園は、一番大きい芝生の中庭を中心にしてぐるりと囲むように各棟が建てられているが、寮はその囲いの外、両端にあると思えばいい。
アリーチェは迷わず三年次生用のフロアへ向かうと、各部屋の扉横にある名前のプレートを見て目的の人物の部屋を探し当てた。
ずっと走っていて乱れた息を整えてから、目当ての部屋の扉を三回ノックする。中から誰何の声がした。
「ア、アリーチェです。アヴリーヌ先輩に、用がありまして」
「帰りなさい」
扉に隔てられてくぐもってはいるけれど、しっかりとした返事がある。
「あのっ、少しだけですので! わたし、アヴリーヌ先輩のお力になりたいんです!」
「必要ないわ。帰りなさい」
「い、嫌です! だってアヴリーヌ先輩は、わたしの恩人ですからっ」
しーんと静かな間が空いて、アリーチェはどうしようとおろおろし始めた。まさか拒絶されるとは思ってもいなかったのだ。勉強会のときのアンヌ=マリーは、どんなに口調がきつくても、見放すことはしなかったから。
「先輩……っ」
しばらくして、部屋の中から物音がした。どうしたんだろうと確かめるように扉に耳を当てていたら、中から扉が開けられ、前のめりによろける。
「何をしているの」
呆れた声と表情のアンヌ=マリーが出てきた。
「せ、先輩……!」
「ちょっと抱きつかないでちょうだい!」
「ご、ごみぇんなひゃい」
衝動的に抱きついてしまったのだが、アンヌ=マリーは容赦なく頬を押し返して拒絶してくる。でもそんなところが彼女らしくて嬉しくなってしまったのは秘密だ。
いつでもどこでも堂々としていて、他人の意見に屈しない。それがアンヌ=マリーという女性である。
自分にはなかなかできない立ち居振る舞いだからこそ、アリーチェはアンヌ=マリーに憧れ、尊敬している。
だからもし、そんな彼女の輝きが奪われでもしていたら、アリーチェは犯人を到底許さなかっただろう。少なくともそうじゃないことがわかって、ほっと安堵の息をついた。
「あなた、わたくしのことを聞いてここに来たのでしょう? あなたが役に立つことなんて何もないんだから、余計なことはしないでちょうだい」
「それは嫌ですって、さっきも言いました! わたし、アヴリーヌ先輩の無実を信じてますから。アヴリーヌ先輩がどれだけ頭が良くて、努力家で、正義感の強い人か、わたし、知ってますから!」
「あなたにわたくしの何がわかるって言うの? 勉強を見ただけで懐かれても困るのよ。あれは殿下の御命令だから仕方なくよ。それにわたくし、殿下に気に入られているあなたのことは嫌っているの」
氷の瞳に冷たく見下ろされる。レイビスに気に入られているかどうかは正直わからないけれど、アンヌ=マリーのその言葉が全て真実でないことはすぐにわかった。
アリーチェは、これまで他人の顔色を窺って生きてきた。機嫌を損ねると物を飛ばされたり、一日に二つもらえていたパンが一つに減らされたりしたから。
その経験から、他人の変化には敏感になったと言ってもいい。
だから、氷の瞳も今は怖くない。
「嘘です。だって今の先輩、出会った頃より瞳が冷たくないです」
「!」
「先輩、当時の状況を教えてください。わたし、自分の身近な人を傷つけられるのが、一番嫌なんです。お願いします」
アリーチェの気迫に押されてか、アンヌ=マリーがたじろぐ。
やはりさっきの冷えた眼差しは作り物だったのか、今や彼女の瞳は戸惑いに揺れていた。その瞳の中に、じっと彼女を見つめる自分が映っている。
「あなた、なんなの……」
「?」
「最初はイラッとするほど挙動不審で、礼儀知らずで、物珍しさから殿下の気を引いただけの、ただの貧相な子だと思ってたのに」
「ひ、貧相ですか!?」
似たようなことをヴィルジールにも言われたことを思い出してしまう。
「なのに、今のあなた、まるで別人だわ。どうしてそこまでわたくしに懐くの? わたくしは、あなたにだって高圧的な態度だったでしょう?」
好かれる理由なんてない。まるで言外にそう言われたようだった。
けれど、アリーチェは内心で首を傾げた。アンヌ=マリーのどこが高圧的だったのか、本気でわからなかったからだ。
高圧的な態度というのは、ナタリーのような人のことを言うと思っている。
だからアリーチェは、困ったように微笑んだ。
「アヴリーヌ先輩は、殿下に頼まれる前から、わたしのことを唯一見放さなかった人ですから」
彼女だけが、間違いを正してくれた。間違いを指摘して正しいことを教えてくれる人がいるというのは、実はとてもありがたいことだ。
間違いを間違ったまま放置されるほうが、実はとても辛くて寂しいことだ。
ということを、他ならぬアンヌ=マリーが教えてくれた。
だから――。
「アヴリーヌ先輩。わたしに、犯人捜しを手伝わせてください」
諦めたアンヌ=マリーによって彼女の部屋に入れてもらうと、藍色の
なんでも、アンヌ=マリーは試験が始まる前、机の中に何も入っていないことを確かめていたそうだ。これは試験のときに必ず行っている行動の一つだと言う。
なぜなら、アリーチェもそうだったが、生徒のカンニング防止のため、試験は自席ではなく当日に監督官が貼り出す紙に従って着席した席で実施される。他の生徒が片付け忘れていたものでも、試験が始まったあとに机の中から何か出てくれば、それは全てその席で試験を受けた生徒の責任となるのだ。
よってアンヌ=マリー以外の生徒も、皆同じように机の中に何も入っていないことを確認している。
「もしあの試験だけに起きた変わったことを説明するなら、そうね……風かしら」
「風?」
「誰かが窓を開けていたのよ。そこから突風が入り込んで、窓際の生徒は問題用紙が飛ばされていて大変そうだったわ」
「じゃあ、アヴリーヌ先輩は違うんですか?」
「わたくしが座っていたのはちょうど廊下側だもの。後ろから二番目よ」
「……そうですか。風が吹いた瞬間は、皆さんやっぱり混乱されてました?」
「ええ。試験用紙が飛んでいった生徒は、監督官が自分で拾わないよう注意していたわね……――つまりそのときなら、わたくしの机の中に入れられるということね?」
「! で、ですね!」
言われてアリーチェもその可能性に気づく。
「そうなってくると、犯人は絞れるわね。わたくしより前に座っていた生徒には無理だもの」
同意するように相槌を打った。
「だったらもう、犯人は一人しかいなくてよ。わたくしの後ろに座っていた、ジニー・ビュフェー侯爵令嬢! あの方が犯人なら色々と納得だわ」
「そうなんですか? 何か心当たりが?」
「ええ。春に開催された参加自由のガーデンパーティーで、あの方が殿下にしつこくアピールしていたからちょっと心を折ってやったのよ」
「そ、それはまた……」
反応に困った。
「わたくしだって正々堂々と礼儀に則ってアピールするなら何も言わないわ。でもあの方はね、殿下の注意を無視して気安く殿下に触れたり、断る殿下に強引に飲み物を勧めたり、殿下が挨拶のために行く先々をつけ回したり、度を超してたのよ」
「そっ、それはまた……!」
パワフルですね、とは言わないでおいた。なんて鋼の精神をお持ちの方だろうか。あの鋭い銀の瞳を前にそんなことができるなんて、ある意味ダイヤモンドの原石ではないだろうか。硬度という意味で。
「あの女……! よくもわたくしをこんな目に……!」
「お、おお落ち着いてください! まだそうと決まったわけじゃありませんからっ」
「いいえ、絶対あの女よ! パーティーで笑いものにされた仕返しに決まってるわ」
アンヌ=マリーの氷の瞳に炎が点いた。このままでは確証を得ないままアンヌ=マリーがジニーに突撃しそうな勢いだ。それはまずい。
「わ、わかりました! では、アヴリーヌ先輩はまだ部屋から出られないと思うので、わ、わたしが! 行ってきます!」
「あなたが? 何を言っているの。あの女の狙いがわたくしなら、あなたもわたくしの仲間と思われて狙われるわよ」
おそらくアンヌ=マリーは何気なく放ったのだろうひと言に、アリーチェはじんと感動する。あのアンヌ=マリーが心配してくれていると。
「大丈夫です! わたし、強いですから。じゃあ、さっそく行ってきますね!」
そうして駆け出そうとしたとき、椅子の脚に思いきり脛を打って躓いた。
「……ねぇ、本当に大丈夫なの?」
「だ、大丈夫、です。……たぶん」
正直に言うと、ちょっと自信を
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