「たとい今生の別れとしても」
街のはずれまで街道を走らせ、婚礼の人波も落ち着いてきた頃、街道の脇に、侍女のナンナとジュリエッタが待っていた。
「ナンナ!」
馬車を止めて駆け下り、ナンナを抱きしめる。ナンナは目を潤ませながら祝いの言葉を口にした。
「コーデリア様、おめでとうございます。お見送りをさせて頂きに参りました」
「あなたが来てくれるなんて……どうやって知ったの?」
「ジュリエッタ様が知らせてくださいました」
「そうよ、ジュリエッタよ!」
私は一時的にナンナとの話を忘れて、ジュリエッタに向き直った。
「ザスーラに言って街の人に宣伝させたのはあなたね? なんてことをするのよ。万が一、お父様に知られていたとしたらどうなっていたか」
「ああ、そのことは心配しなくていいのよ」と少しうんざりした顔になるジュリエッタ。「実際、知られてたんだから」
「は?」
ジュリエッタは深いため息をつくと、説明を始めた。
「順番に話すわね。あなたたちが公開婚約破棄をした、数日後のことよ。フォールコンロイ公爵閣下の執務室に呼び出されたの。それはまあ、予想の範囲内だったわ」
それはそうだろう。父上は私とジュリエッタが親友だったことをご存知なのだから。私たちが傷害事件を起こすほど仲違いしたのだとしたら、少なくとも、その事情くらいは聞きたいと思っておかしくない。
「想定の範囲外だったのは、その場に陛下がおられたことよ」
「はあ?」
私とカイン様の口から同時に変な声が出た。公爵の執務室に陛下が顔を出すというのは、前代未聞だ。
「でも私頑張ったのよ。コーデリアがカイン様にぞっこん惚れ込んでいること、惚れ込んだあまりちょっと頭がどうかしちゃって、さわるもの皆噛み付くようになってしまったこと、私がカイン様を見ようものなら牙を向いてうなり、尖った爪で襲いかかってくること、心を込めて説明したのよ。一世一代の熱演だったわ」
「ちょっとちょっと。あることないこと混ざってるわよ」
「仕方ないでしょ。だってそうじゃないとつじつまが合わないんだから。でも、全部無駄だったの。陛下と公爵閣下は、私の話を最後まで笑顔でお聞きになって、しまいにただこうおっしゃったの。『面白い作り話だね、でも、私たちは君の書いた脚本を全部知っているんだよ』って」
ジュリエッタはぶるっと震えた。
「生きた心地もしなかったわ」
そりゃ、国の最高権力者二人にそんなこと言われたら心も凍りつくでしょうね。
「公爵閣下は、私たちの長い友情に免じて、私の偽証を許すと仰ってくださったわ。代わりに、一つ条件を付けたの。何かわかる?」
公正、厳格な法務官として世間に恐れられ、その冷徹な追及で「極北の氷壁」と異名をとるお父様が、減刑の司法取引を許す条件なんて、私には一つも思いつかない。
「お前の心臓と十ゴウラムの血、かしら」
「『時の掟と天の声』一幕三場。駄作ね。最高法務官の閣下があんなお涙頂戴三文芝居の台詞を知ってるわけないでしょうが。閣下が私に命じたのは――」ジュリエッタが手に持ったフルラの花びらをぱっと宙に放ったので、それはひらひらと私と彼女の間に舞い落ちた。「――愛娘に
「は? それこそ、お父様がそんな三文芝居みたいな台詞、言うわけないじゃないの」
「いいえ、お嬢様」それまでにこにこと私たちのそばに控えていたナンナがそっと私の手を握った。「公爵閣下は私や執事のブレアにも内密にお嬢様の御出立を支援するようにとおっしゃって、それはそれはあれこれとお気遣いを。こちらに冬の上着と、生活品をお持ちしましたから馬車に載せておきますね」
私は衝撃を受けた。私の中のお父様は「極北の氷壁」そのものだったのだ。美しく、恐ろしく、取り付く島もない、とても巨大な――
「賭けは私の勝ちね」
ジュリエッタが勝ち誇る声で私は我に返った。
「賭け? 何の?」
「あなた言ったわ。『賭けてもいいけど、お父様はフォールコンロイ領での上演を禁止するでしょうね』」
ジュリエッタは私の言い方をそっくり真似てみせた。カイン様が盛大に噴きだしたので、たぶんよく似ているんだろう。
「あなた、男爵令嬢なんかやめて役者にでもなればいいのよ」
私の皮肉にはとりあわず、ジュリエッタはふところから芝居がかった所作で巻物を取り出すと、法務官よろしくそれを拡げて私の目の前につきつけた。
「なにこれ」
「読めばわかるわ」
それは、
「あなたの予想に反して、公爵閣下は公演をお許しになったわ。これが布告の写し。真物はザスーラの芝居小屋に貼ってあるけど」
「『本当の話の後に嘘を言うのがペテンの常道』ってわけね。
私がナンナを見ると、ナンナはにこりと笑った。
「お嬢様、ばあやは以前に申し上げましたよ。賭け事はおよしになるように、お嬢様は賭け事の才能がございませんから、と」
「まさか! ナンナ、あなたまでこの詐欺師と結託しているの?」
「往生際が悪いわよ。賭けは私の勝ち。なんでも一つ言うことをきく約束よ」
「仕方ないわね」私はしぶしぶ認めた。今まで信じてきた世界が揺らぐと、人はなげやりになるものだ。「何でも望みを言うがいいわ。でもカイン様だけは絶対渡さないから」
「全っ然欲しくないわよ……」ジュリエッタは心底嫌そうな顔をした。「元王族なんて、幽霊憑きの不良物件みたいなもんよ。しがらみだけ多くてお金にはならない、面倒しかないでしょ」
「王族をやめる前だったら君を不敬で投獄できたんだが」カイン様は顔をしかめて彼女をにらむふりをした。「こんなに早く王族でなくなったことを後悔するとは思わなかったな」
ジュリエッタは、カイン様の軽口をさらっと無視して、私をしっかりと抱きしめた。
「約束よ。幸せになってね。二人で」
私もこの親友を抱きしめた。子供の頃から、ずっと一緒にたくさんの芝居を見てきた。私を救ってくれたのは、間違いなく彼女だ。
「ありがとう。あなたがいかさま賭博で逮捕されたら知らせてちょうだい。お父様にとりなしてあげる。極刑にするようにって」
「おあいにくさま。その時は、公爵閣下が紛失した朱紅玉の指輪を、持ち出して芝居小屋で失くしたのはあなたですって暴露するから一蓮托生よ。平民が貴族の財産を持ち出したんだから極刑間違いなし」
「当時はまだ未成年だし、まだ貴族だったわ。遡及不適用は法学の基礎よ」
「君らときたら」カイン様は溜め息をついた。「こんな時でも軽口ばっかり。一生のお別れかもしれないのに」
涙腺が緩むのを感じて、私は慌ててかぶりを振った。そしてわざと大きな声で大見得を切った。
「たとい今生の別れとしても、旅に朽ちれば行く末は同じ」
ジュリエッタはもう完全に泣いていて、涙をぼろぼろこぼしながら、けれど台詞は一言一句違わず言い放った。
「たとい仮初めの命としても、舞台に立てば無限の生」
私たちがカイン様を見ると、カイン様も苦笑しながら加わった。
「たとい口論果てしなくとも、追憶に眠るは等しき安らぎ」
私たちは唱和した。『舞台に降る雨』の最後の場面だ。
「我ら三人、とこしえに心ともにあらんことを」
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