第38話 神人の手札(イツキ)

 夜を駆ける。空に双月、頃合いは十日。降りたばかりの帳はしっとりと温かく、その大気を割くように駆けていなければ優しく私達を包んでいただろう。駆けていなければ。

「速いぃぃいいいい!」

急いではいた。何しろ事は火事に戦なのだから急いではいた。が、ここまで速いとは思っていなかった。馬?違います。馬車?それも違います。牛車でもありません。齢二五、この歳でこのような目に遭うとは欠片も想像していなかった。あるとすれば私が年老いた母になるほど先だと思っていたのだ。

おんぶ。

それが私の現状である。何より本来私が希望しているのはお姫様抱っこであって、断じておんぶではない!

「私を新都の宮城へ連れて行ってください」

 確かに私がゴジョウ坊の従者ニシナにそう頼んだ。ニシナもチタ家の件で本来の主の元へ戻らねばならぬから新都へ急ぐことに異論はなかった。問題は、手段である。馬ぐらいパッと用意してくれるのではないかと思っていたのだ。ほら、馬に横座り(淑女は跨ってはいけない)する姫を後ろから抱くように支える騎士。不意のゆれに或いは速さに「きゃあ」思わずしがみついたり…本番のために練習が必要かも…(〇.一秒)フジノエの同行を断ったのは、ウサに並走してもらうつもりでも三人は騎乗できないからだった。それが、

「ご無礼ながら拙が背負ってゆくのが一番速うございます」

という返事が返ってきた。ニシナは即座に馬が調達できるような身分でもなく、馬を探し回る方がむしろ手間。運動皆無のアキラコの足では絶対に無理なのでやむなくそれを選んだ。

「ぃぃぃいいい!」

 速い速い速い速い!速いんだよ、これが!ニシナは六尺はある大男だから、小柄なアキラコの尻など片手で掬いひた走る。箱根駅伝走者に背負われているようなもので、私はその首っ玉に必死でしがみついているだけなのだ。跨るのははしたないどころか大股開き、全開である。頭に付けた被衣は私ごと吹き飛ばす勢いで幟のごとく棚引く。向かい風から逃れるために私を背負うニシナに一層身を寄せる。ちょっとイイなと思った相手に急接近どきどき、レベルではない。密着だよ、これ。ニシナの背中が汗ばんで熱くなっていくんだよ(泣)。息遣いメッチャ荒いし(走ってるから)。そんなの(まだ)経験しなくていい。順番違うよ。もう、これって嫁担ぎ(略奪婚)状態である。ニシナ、あんたの社会的立場も風前の灯火だってわかってる?

 その横を同じ速さで付いてくるウサも結構スゴイ。「そのような危険な場所に(しかもおんぶで)ゆかせられない」と言うフジノエに「私が共駆けいたします」と言っただけある。私が用意させた荷物を背負ってだからなおさらだ。流石山育ち。問題は緋袴の股立ちをとっちゃってる事だよ。ウサは水干、緋袴の白拍子姿から着替える余裕がなかったのだ。脛どころか膝、太ももの中ほどまで見えている。こちらの感覚で言えば、もう嫁にいけない。そしてフジノエの長時間にわたる教育的指導は確定だ。

 宮都の騒ぎに様子見にか路上の人影は普段より多い。その間を風のように駆け抜ける大男と半裸(こちらの感覚で)にちかい小娘に、皆一瞬呆気にとられ言葉もなく見送る。何が起こったのか分からなかったのだと思う。あまりの速さに下手をしたら手紙を持たせて先行させた爺に追いつく勢いである。き、緊急事態だから、これ…この先アキラコは違う意味で表に出れなくなりそうだけど。


 異常な速さで新都は宮城へたどり着く。

「止まりゃ!控えぃ!」

宮城の門衛が警戒レベルマックスで叫ぶ。既に大門は閉じて中は覗えないが、通用口からわらわらと門衛が飛び出してくる。槍に木杖、囲みこんで打ち据えようとする中にニシナとウサはそのまま駆け込み、ぶっ倒れるように膝をついた。いや、急げって言ったの私だけどさ。駆け通しだったニシナとウサは地に手をついて犬のように息をついている。門衛が怒鳴る。

「何奴!宮城と知っての事か!」

 当然二人は返事などできないのだ。私はニシナの背からぼてっと落ちて尻もちをついた。皇女らしくない姿を曝してしまう。裾を払って咳払い一つ。懐から扇を取り出し、仕切り直しです。

「直答を許します」

二人が息を切らしているので自分で頼むよりないが、急いでいるからこそ優雅にね。

「参皇子様にお取次ぎを」

切替が出来なかった門衛らは

「は?」「え?」「あ?」

混乱している。顔を見合わせ何やら相談。「…参皇子様には今しがた…」ん?爺の事か?と、通用口は公棟側から姿を現した

「あ!皇女様!」

爺が驚きの声をあげた。本当に追いつきそうだったらしい。

「あら、爺、お兄様をお呼びしてくださる?」

これも「何故ここに?」「どのようにして?」「そもそも先行した意味とは?」疑問符だらけの顔で混乱していると、門衛らの一人が「なぁ、あのお姿…」ようやく私の和洋折衷スタイルに気付いたらしい。

「妹が兄に目通りを願うのに何か問題でも?」

ほかの所は問題ありまくりだけどね。


 双の月がともに高くあがったから宮城の城門から大路の先に都大門まで見通せる。月の所為だけではない。宮都は薄ぼんやりと明るいのだ。旧都を出る頃はまだ煙だけだったが、今はもっと酷い事になっているに違いない。宮都が燃えている。幸い風はほぼない。大風の日であれば瞬く間に燃え広がったろうが、

(…まだ手が打てる筈)

間に合えと暗がりのその先を見据える。

 都は大路を隔てて西街と東街に分かれる。門衛の話では平民街で起こっている火災は旧都のアキラコの館から遠望したように三箇所であったと言う。宮城からも衛士、兵士を出し消火に当たらせているそうだ。西街の一ヶ所はすでに消し止められた。これは都大門の側に異国の使節などを受け入れる迎賓館があるために優先されたからだ。残るは東街の二ヶ所。一ヶ所はややも収まりつつあるそうだが、もう一ヶ所はいけない。この距離でも火の手が見える。消火の手が追いついておらず、既に燃え広がりつつあるのだ。大路には東から西へと切れ切れに影が動く。荷車だろうかやや大きな塊が行くかと思えば、脱兎のごとく大路を横切る影もある。持ち出せるだけの家財を抱えた平民だろう。きっと誰もが置いてゆかざるを得ない日常と生活の全てを振り返り振り返りしながら、それを焼き尽くそうとする炎から逃れるべく動いている。逆に西から東へと向かう影は家族友人知人を案じた者たちか、或いは西街の火災を鎮めた衛士達が次の消火を目指すものか。その混乱と喧騒は貴族街と平民街を隔てる堀切と都大橋を越えて伝わってくる。

 と、背後で城門がきしむ。大閂が外されて、城門が開かれてゆく。

「イツキ!」

兄様、参皇子が門が開ききる前に飛び出してきた。護衛らしき数人と爺も一緒だ。爺グッジョブ。早かったじゃない。流石に参皇子の顔姿は分かるのだろう、門衛らが次々と畏まる。お前ら私が皇女だって言ってるのに半信半疑だっただろう。態度が全然違うじゃない。が、取り合えず安否確認は一。アキラコの願いは三分の一叶った。

「お兄様、手紙は読んでくれたかしら?」

 よく来てくれた、お互いにそう目で交わす。再会の抱擁?ないない。乙女ゲー乙女小説に限らず洋画でも「そんな事してる場合じゃねえだろ!」のいちゃラブ多いけど、私では不敵に笑って見せるのがせいぜいだわ。

「戦だと?」

兄様は手紙は読んでくれたらしい。側に寄ってから小声で質した。「型式」に乗っ取ればこの先そうなる可能性は高い。が、頷くに止めておく。

「カブラギはまだ確保できていないのよね?」

一緒にいない事からそれは明らかだが、確認。

「迎賓館に居る筈だが、その迎賓館は火災が起きて避難を呼びかけたが応じぬのだ。門は閉ざされたままだ」

まずい。立て籠もりか。

「カンムロは問題ないが、よもやそのような事に…」

 兄様は手筈も整えて来てくれたらしい。手紙ではカンムロにも仕事を振っておいた。道具類の準備である。エサは撒いておいたから嬉々として準備に勤しんでいる事だろう。

「イツキ様!」

 そのカンムロも衛士を引き連れて現れた。衛士の手には鍬、鋤、もっこ、鋸、が握られている。更に人が曳く荷車に。同じく道具類を積んだものだ。鍬鋤の類は人数よりも明らかに多い。農作業か土木工事、建築かといった風情ではある。よし。手札は増えつつある。

「軍は動かせるの?」

 兄御様は首を横に振る。

「王より裁可頂いたのは我と衛士が二班のみよ」

これが限界だと悔しそうに言う。衛士は専業の軍人ではない。労役として各領より来ている者が多い。それが二班なら二〇人。それに兄様についている護衛が二人。キヨカが居ないのはミカミに同行している所為だろう。が、火災の鎮圧に加勢する、それだけを名目とするならば多いくらいだ。致し方あるまい。「型式」云々はあくまでも予測であり、必ずそうなる法則として確立されたものではない。前の神人がそうではないかと論じて見せただけで膾炙している物でもないのだ。不穏過ぎて噂にもできないからこそ王は私達と非公式に面談した。私だって言えない。隣国が攻めてくるなんて。しかもそれは「かもしれない」なのだ。そう言えば、予言を絶対に信じてもらえないという呪いをかけられた神話があったような記憶がある。私はそんなの御免だわ。

「イツキよ、それは真に…」

「そうならないように、宮都の火災を鎮める」

 その為にはもう少し待たねばならない。全てが上手くゆくように祈る。


 堀河沿いから都大橋に一塊の人馬の影が見えた。一塊とは言え、長い。

「来た」

騎馬三騎。後は走って従う。速度はそこまで出ていない。遠目には各々槍を掲げているように見えるが、あれは槍武器の類ではない。何故なら私がそう指示したからだ。

無王等だ。

思ったよりも手数が多いのは上々。人手は多いに越したことはない。ちゃんと道具も持参してくれた。

「な、何事」

 門衛らが色めき立つ。ああ、大橋の橋番止められている。夜間は橋番を置き篝火をたいて大橋の通行を規制しているのだ。

「問題ありません。あれは私の手勢です。火消しに当たらせるために呼びました」

そして無王が来たという事は、

あの中にミカミが居る。

そこが最も重要な点なのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る