宮都イツキ篇

第14話 独女 in 異世界

 高窓の向こう、庇の先に青い月が昇っている。壁と同じ幅のある高窓には大き目の洒落た格子だけでガラスが入っていないので良く見えるのだ。その窓下の壁際に設えられている三層の段にはお雛様ではなく、妙な物が並んでいた。餅に米、若布だろうか海藻、川魚っぽい魚の煮つけに酒だか水の杯、果物もある。そして榊。これは…どう見てもお供え物で、つまり私は祭壇の前に座っているのだ。

(…………)

 パソコンは処理能力を超えるとフリーズするけれども人間も同じだ。もう一度目にしているものを確認する。高窓に月。窓は格子が交差するデザインで、陰になっても分かる凹凸は飾り彫りだろう。この部屋に灯はないが差し込む月の角度の所為か暗さは苦にならない。薄い布が敷かれた祭壇にお供え物。段の上にも向こうにも仏像やご神体はない。はて?旅行先の寺社、ガイドブックやテレビでもこれに似たものは見た経験がない、と思う。部屋は正面の高窓以外には壁だけ。入り口は私が背を向けている側だろう。板の間に板壁。壁際に着物が入っていそうな大きな長持が幾つか。欄間も畳もない所為で押入や蔵のような雰囲気がある。生活の匂いが薄い気がするのだ。わりと広い。一二畳はあるのではなかろうか。多分ここは何かを祀る、或いは祈るための場所なのだろう。では、私は何に祈っていたのだろう。月か天か。軽く視線を上げたことで顎を伝ってほたりと雫が組んだ手に落ちる。私は泣いている。涙が落ちた手に目を落として

(!)

 ぎょっとした。重ねた着物の袖に、ではない。袖から覗く左の手首に、驚き解いた右手の指の間、薬指と小指の間、親指の付け根にも出来物が崩れて固まったような痕があるのだ。潰れたニキビの比ではない。水疱瘡になった事があるけれど、あの白い水疱が崩れて水が抜けた分陥没したような痕が。何これ!ちょっとどうしちゃったのよ!着物の左袖を捲り上げると肘の裏にも、

(……)

 恐ろしくなりながら右はと見ればこちらにも、首筋に触れるとこちらはもっと酷い。あちらこちらが引き攣れている感触がある。

(鏡!)

 鏡を見なくてはならない。涙が流れているのを訝しむより先にそう思った。元々美人ではないけれどこれは気になる。勢いよく立上りかけて

「おぅっふ!」

 裾を踏んでそのまま板の間に倒れ込んだ。

「痛ったぁ…」

「あ、アキラコ様っ!」

 そう遠くないところに控えていたのか中年女性がにじり寄ってくる。嘘でしょ!目を見開いた。中年女性の年齢は多分私の母ぐらい、五〇代だろう。問題はその姿。あんた誰?より先に何でそんな恰好をしているの?がでた。四分の三白髪の長い髪は背の中ほどで束ねてある。重ねた着物はややも裾が短いようだが、動きやすいようにだろうか。そして身形よりもその化粧。塗が白すぎる。美白のレベルじゃない。いくらなんでも可笑しいって、それ。呆然と女を眺めていると「その可能性」が頭をよぎった。

(嘘…だよね……)

 よぎった思考を言葉にすることが出来なくて、倒れ伏したまま自分が身に付けている物を検める。緋袴に色鮮やかに重ねた着物。こんな物は身に付けた覚えがない。私の髪は癖がかかった肩までの長さなのに、板の間に広がる長い黒髪は腰ほどもあるだろうか。またも呆然と顔を上げる。先ほど背を向けていた側は開け放たれた引き戸。板張りの続き間が見えた。さらに先には好き勝手に草が生えた庭に面した外廊下。その外廊下というか濡れ縁には転落防止のためか橋めいた欄干がついている。がらんとした公民館ばりに広い部屋に戸惑う。これは部屋と言えるのだろうか。柱ばかりで壁がないのだ。和風というよりお寺さん。その一角に垂らした簾で囲われたところがあるだけで、あまりに開放的過ぎる。

(これって……)

 調度の類がほぼ見当たらないので断言はできないが、こういう建物はテレビで見たことがある。大河ドラマで。

(……もう一回良く考えてみよっか)


 単純に考えれば、これは夢です。

「…アキラコ様?」

 白塗りの女性は声をかけたものの私の不審な挙動に戸惑っている。彼女は私を知っているのに、私は彼女を知らない。また自分の身形に目を戻す。やや草臥れているものの重ねた色の階調が絢爛さを振りまく。着物なんか成人式以来着たことはないが、あの時身に付けたものとはかなり違う、ゆったりとした仕上がりだ。重ねて着ているせいで見た目のわりに重みもある。馴染んだ私のふくよかな手よりも小さく華奢な掌。その痘痕を目にしても先ほどまでのように心臓を鷲掴みにされたような衝撃がないのは、これが本来の自分の身体ではないとわかっているから。

(こ、この展開は…)

 心拍数が一気に跳ね上がる。齢二五。この年でと恥ずかしいから人には絶対言えないが、ラノベでマンガで大量に読み込んだアレ。

(…異世界転生?)

 あれ?でも私、死んだ覚えはないな。地元の市役所での九時五時勤務だからブラック企業に勤めての過労死もないし、病気もしていない。交通事故に遭ったわけでも災害に巻き込まれたわけでもない。ついさっきまで両親と共に住まう自室のベットの上で本を読んでいただけだ。そう。元看護士の転生主人公がイケメン王子を救った三章を読み終えて、お茶を入れに行こうとしたところだった。ふと目を向けた窓の向こうに月が昇っていた。橙色の月が煌々と降る様は御伽噺めいていて一瞬全てを忘れる程に見惚れて…

(祭壇の前)

 だった。何の脈絡もない。が、今しがた打ち付けた膝の痛みも、湿度まで感じる夜気の香りも現実感を伴っている。じゃあ、これって何?

(タイムスリップ?)

 時間を超えてしまう転移でもしてしまったかのようだ。

(…いや、違う)

 単に時間転移したとは言えない。何故ならこれは私の身体ではないのだもの。私の身体にはこんな痘痕の痕はない。そんな病気もしていなかった。ならば、私は私ではない人の中で物を見て考え体を動かしていることになる。これはどちらかと言えば

(憑依現象?)

 になる。私の方が取り憑いている側だけれど。手を握り開く。また握って開く。問題なく動く手指も、その皺も痘痕も、産毛や血管が透けるほど白い肌も、どうにもリアル。もう「嘘でしょ?」も出てこない。寧ろ私が私のままこちらへ来てしまったのならば、寝ている間に映画のセット中に運ばれたとか、大掛かりなドッキリを仕掛けられているのではないかと疑っただろう。意識だけが他人の中に入る、そんな突拍子もない事が起こっているのだから、それが何処であっても可笑しくはないと思う。


 ここで問題です。資料(?)によりますと異世界転移は幾つかの類型に分類されます。では私の現状は次のうちどれでしょうか。


 1 前世の記憶がよみがえった。(私が前世という事になる)

 2 悲運な死を遂げた魂を憐れんで神様が機会をくれた(ご褒美系)

 3 何らかの目的で私の意識がこの身体、この世界に召喚された(聖女召喚、人生やり直し、復讐系)

 4 ハマっている物語、ゲームの世界に迷い込んだ(迷子系)

 5 理由なんかない(突発的事故系)


 死んでない(と思う)のだから前世を思い出した、という訳ではない。1と2は却下だ。(私に自分が死んだ記憶がない可能性はある)。4はそもそも好みの世界観とは違う。読んでいた小説の中や、こっそりスマホでやっている乙女ゲーの世界に入り込んだわけでもない。あれは中世ヨーロッパ風と中世風ファンタジーだったからね。周囲の時代掛かった雰囲気は興味もなかった古代中世の日本風。紫式部の世界を思わせる。私だってどうせなら中世ヨーロッパか剣と魔法のファンタジーが良かった。違う自分になれるのならばレースやリボンの煌びやかなドレスも着てみたかったのにぃ。あ、魔法に関しては後で試してみようっと。となると3か5。3に関しては状況説明をしてくれる神様や召喚者がいないのは解せないが、それがアキラコだという可能性はある。ぬうん。ここはぜひ3で。

 いや、待てよ。問題はそっちじゃない。私がここにいるという事は私の身体はどうなっている?意識がこっちに来ているという事は抜け殻になっているのだろうか。私の抜け殻が両親に発見されて救急搬送とか?ヤダ、明日からどうやって近所を歩けと?或いはこの身体の持ち主が私の方に入っている可能性もある。金曜の晩だったから(独身女が金曜の晩に読書とかの指摘はこの際どうでもいい)土日の間は大丈夫だろう、多分…。あれ?もしも戻れなかったら仕事どうするの?マズいよね!電話しなきゃ!いやいやどうやって電話するのって、この雰囲気、電話が存在するとはとても思えない。それ以前に私ではない私が勝手に行動したら…「私この身体の持ち主じゃないんです」他の人格に支配されてると主張するトンデモさん認定されちゃうよ!仮にそれが事実であっても私の社会的立場はどうなるのよ?無断欠勤の心配してる場合じゃないじゃない!スパコン並みの高速で思考を展開して解脱。

(解 何もできない)

 涅槃の境地に至った。考えるだけ無駄だった。戻れと念じても何も起こらないのだ。幽体離脱のお作法なんかそもそも知らない。何もできないのだから丸ごとペンディングするよりないのだ。マジかよ…。ここでハッとした。

(こ、これはひょっとしなくても…)

 チャンスではないのか?


 異世界転生といえばどの小説にも間違いなく「出会い」があった。そう、「出会い」。この世の中にはとてつもなく大きな謎がある。皆どのようにして「出会い」、「お付き合い」なる状態にもちこみ、「恋愛」なるものをして、「結婚」している(順不同アリ)のだ?という事だ。はい、自覚はしています。私は恋愛スキルが著しく劣っている。長年劣っていることにすら気付かなかった程で、気付いた時には手遅れ気味(首都圏でも地方都市はそんなものです)の二五歳。或いは対人スキルそのものが劣っているのかもしれない。が、「出会い」求めてます!という感じでサイトやアプリを利用はしたくない(まだ)。ならば何処で何をすれば「出会う」のだ?どうやって他人と距離を詰めるんだ?さっぱり解らなかった。

 ここで、ですよ。異世界転移です!何もここで相手を見つけようというのではない。私の社会的立場に関係ない場所で経験を積んでおけば、次から上手く行くんじゃない?と思いついたのだ。この身体の持ち主には痘痕があるが、貴族だろうから美人に違いない(断定)。痘痕がある事を忌避するような男はそもそも願い下げだから丁度いいぐらいだ。そうだよ!ここでどんなふうに「出会い」を得るのか、どのようにして「その先」に持ち込むのか体験してみればいいじゃない。まさにシュミレーション!演習ですわ!

 となれば、状況確認の方が先だろう。たしか私は「アキラコ」と呼ばれていた。

(あ、日本語通じてるな)

 残念ながら彼女自身の記憶はない。「様」付で呼ばれている以上人に傅かれる身分であることは分かるが、この世界のことはこの身体の持ち主のことを含めて何も分からないのだ。手を出しかねている白塗りの女性と暫し見つめあう。唾をのむ。ここで選択しなくてはならない。正直にアキラコではない事を告げるか、記憶喪失のふりをするか。ああ、そうだ。


 一番に気にかかっていることがあった。

「あの……鏡とかありますか?」

 白塗り女の顔からすとんと表情が落ちた。あれ?私、何かまずいこと言った?女は一歩後ずさる。

「…この館に鏡はございません」

 何故?と思いかけて気付いた。私のこの身体の持ち主が痘痕のある自分の姿を見てしまわないように、だ。その私が自ら鏡を求める筈がない。

(マズい、かも)

「…アキラコ様ではないのですね」

 あっさりバレた。中世ヨーロッパではなかったのは幸いだった。現代日本ならばトンデモさん程度でも、中世ヨーロッパなら悪魔憑き、或いは魔女と断じられてしまう。見た目が変わっているとか、周囲から浮いているとか嫌われているといった理由で何万人もの人が魔女として殺されたはずだ。どうしよう。和風なら狐憑きとか?「悪霊退散!」調伏されちゃうんじゃないの?痛いのとか嫌なんですけど。

「あっ、あの……」

 お互いに後退る。その女の頭越しに橙色の月。

(え?)

 唖然として女はそっちのけで振り返る。高窓に架かるのは青白い月。

「月が二つも…」

 平安時代の日本ですらないなんて。白塗り女がバサッと音を立ててひれ伏した。

「神人が降臨り参らせたのですね」

 カミヒト?神人?何ですか、それ?

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