第4話 ヒロインいない(嘘だと言って)

「…おい」

寒い。手足を体に引き寄せる。あちこちが痛い。

「おいっ」

薄暗い中、肩が揺すられる。笑っちゃうくらい変な夢を見た。

「起きろッ」

肩口に突き飛ばされるような衝撃が走って目を開く。

「…痛い…床で寝てんじゃん……」

僕の肩にかかっているのは人の足だ。足蹴にされていたらしい。足ならばその上がある。

「って!何で穿いてないの!!っがッ」

衝撃の光景にのけぞった頭を強かに打ち付けた。

「!」

膝丈の着物の裾を押さえて歯ぎしりするのは小学校高学年ほどの女児だった。ラッキースケベかと思いきや、これはさすがにちょっと。しかも小汚さはサジと変わりない。っていうか、人様を足蹴にするのってどうなのよ。着物の下に何もつけないのは文化なのかもしれないが、なればこそ足を上げてはイカンのではないかい?

「お前がさっさと起きないからだッ」

そもそも君誰よ?お嬢ちゃん。ようやく体を起こして辺りを見渡せば竪穴住居の中で、おかしな夢が夢で済まなかったことを示していた。何故なら腹が減っている。昨夜もろくなものを食べていない。硬い肉のかけらが一つと草がたくさん入った薄い粥だけだ。そこで聞いてみた。

「あ、朝ごはん?」

「働きもしないで食う気かっ!」

女児は声を荒げかけるが唇を噛んでぐっとこらえる。女児の言う事は全くの正論だが、ランドセルの小学生に「ニートのくせに何言ってんだ、バーカバーカ」と罵られたようなものである。ええ、傷つきましたよ、深く。ココロの痛みも節々の痛みもリアルで、昨日からの異常事態がまだ続いている事を示していた。女児は腰に付けた袋からさっと何かを取り出すと「自分で何とかしろ!」僕に投げつけて小屋を飛び出してゆく。え?何とかって何?投げつけられた物に目をやると

うにょん。

「ヘビぃイイィ!!!!」

生きてる奴!しかも結構デカい!痛みも眠気もすっ飛ばして壁際に瞬間移動。こんなの寝ていられる訳がない。モザイク必要な画面じゃない、コレ?ぬたりと動いていく蛇を凝視したまま戸口に向かってじわじわ移動。逃げるって普通。い、嫌がらせ?これって寝起きが悪かったから?立てかけた竹と草で葺いてある壁はもとより腰を折らねばならぬ程低く梁に向かって傾いているのだが、構わず頭をずりずり擦り付けるようにして距離をとりながら移動する。性懲りもなく自分を改めたけれど経験値が上がっていることもスキルが開花していることも感じられなかった。異世界無双はたくさん読んだけれど、こんなじゃなかった。食べる物もすぐに手に入っていたし、野宿はしても体が痛んだり疲労感が抜けなかったりはしなかった。こんなに臭くなかったし、当然のように蛇じゃなかった!可愛い女の子との出会いもあって……ま、まさか僕を足蹴にしたクソガキがヒロイン?いや待て、あれはどう見ても小学生だろう。僕にそういう趣味はない。しかも蛇でしょ。むむむむむ……。

「どうしたミカミ?」

籠を背負ったサジが光のさす入り口から顔を出した。

 竪穴住居から這い出すと、出た所でコレトウが木を削って細工をしていた。櫛をこさえているのだと言う。足を動かさないでは畑仕事も猟もできないから、冬の間の仕事をすることにしたのだそうだ。怪我をしている間に授業からも取り残された僕と違って、動けなくても仕事はするのね。

「兄さんの分も俺が働くからな」

サジが誇らしげに言う。今日は兄の手仕事の材料を補充しつつ山で食べられるものを採集してくるのだそうだ。サジぃい、お前はイイ子だよ。僕の腹が鳴る。至極当然だが食料はどこからか湧いては来ない。月日をかけて育てるか自然から得てくるよりないのだ。僕がここで一日過ごせば、一人分の食料が消費される。ここが豊かな村でない事は昨日から気付いていた。子供が働くのも当たり前ならば、着る物も住まう場所もああだった。が、働き手が減ればすぐにも食うに困ることは想像できていなかった。僕は自分の食い扶持を稼いだことはない。腹が減れば家に食べ物があって、気に入らなければ買食も外食もできた。ひどく、ひどく豊かな場所にいたのだ。そして、ここは違う。

「お館様が待ってるぞ。ウサが呼びに来たんじゃないのか?」

クソガキの用事はそれだったか。多分、昨夜はそのままになってしまった話の続きだと思う。神人がどうとかって。そんなこと言われても僕には何の能力も与えられていないんですけどね。

(これからどうしようか……)

受験に失敗した時に繰り返した問いがここでもリプレイ。残念ながらゼロからやり直しはさせてもらえない。


 人に会う前に顔を洗いたいと言うとサジはちょっと呆れた顔で流れを指して先に立った。河原に降りて靴をぬらさぬように及び腰で水を掬う。水底が見えるほど水は澄んでいる。山に浸みた雨が湧き出す始まりの部分だ。そこで気付いた。トイレが溝だったという事はですよ。どこかにつながっているという事ですよ?

(!)

慌てて辺りを見渡すと溝は顔を洗った流れの下流につながっていて一安心。上流に目をやっても溝の始まりの分岐はない。高低差もあるから、流れはもう一つあるのだろう。溝を流れる程度の細々とした流れが昨夜の広場の方角から出ていて建物の裏手を通って下流で合流している。つまり上水道と下水道は別になっているのだ。

(よかった……)

一安心ですわ。が、この集落はいいけれど、さらに水は流れてゆく。下流はどうなっているのか。いや、考えるのはやめよう。僕は最上流にいるわけだし、ここの文化よ、文化……。

サジの後について方丈へ向かえば昨日は気付かなかった村の様子が見えてくる。山に囲まれた村は広くはなかった。ややも岩が転がる細い流れの両側に不整形な畑があるが水田は見当たらない。竪穴住居が二つ、三つと点在していて全部で七棟が目についた。昨夜は暗くてわからなかったが、サジ兄弟の家は最も下流にあり、流れの先は曲がりくねって緑の中に消えてゆく。建売住宅一戸分ほどの広場に方丈があるのが最も上流で、こちら側に五棟、対岸に二棟の建物がある。畑には緑が芽吹いていた。まだ起きていないのは僕だけだったらしい。男はそれぞれの家の前に筵を引いて道具の手入れをしているのか、何か作っているのか、または畑の中にその姿があった。広場に近い場所に水くみ場があって女達が集まって木の棒で岩に乗せた何かを叩いている。水はまだ冷たかろうに着物の裾を帯に挟んで膝を曝し水に浸かっていた。

「洗濯してるの?」

物珍しくて眺めていると

「洗濯なんかしねえよ。糸作ってるんだ」

「は?糸?」

糸って水の中で作るものなの?女達が叩いているのは木の皮で、水にさらして繊維を一本一本に解すのだそうだ。さらにそれを紡いで糸にしてから織り上げる。とんでもない手間だ。

「ほへー」

そんなことも知らないのかとサジが呆れる。木の皮だなんて硬そうなイメージよね。サジが着ている袖なしの着物も厚みがあって堅そうだ。ふと記憶に引っかかった。

「あ!租庸調の調か!」

布は税として集められる。なぜ布なんかを税とするのだろうと思っていたが、布がなければ着る物が作れないのだ。工場で作るのでないならば、生活の合間に個々に作るよりない。税として集め、布を作らなくてもいい人ができることで、他のことをする人を生み出すことができる。或いは何もしなくていい人、貴族とかね。食料も同じだ。専業化と身分制度ってここから始まる訳か、納得。

「絹は?蚕を飼ったりしないの?」

「蚕は難しいからここでは少ししかできない」

寒すぎるのだろうとサジは言った。小学校で「昔の暮らし」を勉強した時に養蚕の写真を見たことがある。蚕のための部屋に棚がたくさん並んでいた。人が竪穴住居に暮らしているのに、蚕のための部屋やスペースを作るのは難しかろう。女達の一人が僕が作業を眺めているのに気づく。たちまちそれが女達に伝わったのか、端折っていた着物の裾を降ろしてゆく。当然ながら裾は水に浸かってしまった。慌てて僕は挨拶と失礼の意味を込めてお辞儀した。女達も腰を折る。あんまり見てちゃダメだって。


「遅いぞ、サジ。神人ってのはウスノロか」

着いた途端に毒を食らった。HP削れるわ。広場に子供らが集まっていて僕を起こしに来たクソガキもいた。年齢はバラバラだがおおよそ小学生程度、下は4才ぐらい。皆単衣の着物に帯だけの格好だ。年齢の高い子は籠を背負っているが、籠の方が大きくて姿が隠れてしまいそうだ。最も年嵩がサジと女児と言うところ。これ以上は大人になるのかもしれない。サジも入れて一三人。乳幼児を除いたこの村の子供の全てだろう。

「ウサぁ、ミカミはお貴族様みたいなものだってお館様から聞いたろう?」

「珍しき服を着るだけならウスノロでもできるわ」

あ、扱いがひどすぎる。ねえ、ちょっと、お貴族様って跪いたりするんじゃないの?と思ったがこの閉鎖的な集落ではそもそも貴族と顔を合わせることなどないのだろう。クソガキ以外の子供たちは興味津々で転校初日の状態だ。クソガキ様はシカトしておいて

「おはよう。僕はミカミっていうんだ」

僕から話しかけると皆口々に喋り始めた。「変な布だの」「これ何」「お貴族様は髭を剃るんか」いやいや、厩戸皇子じゃないから聞き取れませんて。

「サジぃ」

「いいからいいから、ほれ行くぞ」

サジが声をかけると皆が移動し始める。学童保育の子らの上が下を率いるのに似ている。ウサと呼ばれていたクソガキが先頭で、サジが殿。サジは僕のことも気がかりなのか振り返り振り返り離れてゆく。サジにバイバイと手を振ると、サジが集団を置いて駆け戻ってきた。あ、あれ?

「どうした!」

「え?気を付けてねって、それだけ」

バイバイって通じないの?カタカナだもんね。

「……何だよそれ、神人の作法かよ」

日本風異世界かと思いきや、常識のすり合わせが必要かもしれない。前途多難。あ、元々か。

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