エピローグ 1

「おや、これは申し訳ない」


 森の道端に設置された、古びたベンチ。

 趣のあるそれに腰を落ち着け本を読んでいた俺は、鼓膜を揺らした馬の足音と青年のやや低い声に読書を中断し、開いていた本を閉じそれらの音と声が聞こえた方向に顔を向けた。

 白馬の青年王。

 俺と視線を交錯させた美形の彼はとても上機嫌そうな様子で片手を俺に向けて上げ、ベンチのすぐ傍で白馬を止めて両足を地面に下ろした。恋に恋する乙女が相手であれば十中八九恋に落ちていたであろう登場の仕方をした彼の背後には、対照的な黒馬に跨った数名の騎士の姿。大剣やレイピア、ショートソードなどの武器を持つ彼らはいつも通り主君に危害を加える者がいないか周囲に気を配らせ、警戒している。が、その表情は以前見たものよりも、幾らか柔らかくなっているような気がした。

 まぁ、この雰囲気であれば、多少気が抜けてしまっても仕方がないか。

 以前と様子の違う騎士たちに苦笑すると、無警戒にも俺の隣に座ったレブランソがわざとらしく言った。


「全人類が敬意を払うべき救世の大英雄様をお待たせしてしまうとは、孫子の代まで笑い者にされてしまっても文句が言えませんね」

「王とはいえ、遅刻をした身で到着早々待たせた者をからかうとは……どうやら貴方も陽気に当てられ、身も心も浮ついているらしい。国家元首として、今一度襟を正したほうがいいのでは?」

「これは失礼。お会いして早々空気が悪くならないよう、遊び心を持たせた謝罪だったのですが……ご気分を悪くされてしまったようですね」

「馬鹿を言うな」


 大仰に両肩を竦めた俺は正面に向かって顎をしゃくり、眼前に広がる薄桃色の景色を見つめて言った。


「これだけ満開の桜に囲まれて、気分を悪くできるわけがないだろ」


 ベンチの端に落ちていた小さな花びらを指先で摘まみ上げ、至近距離からジッとそれを眺めた。

 無事に、儀式は成功で終わらせることができた。五人全員のマナを合わせて行使した蘇りの魔法はその効力を十全に発揮し、死の淵に立っていた大樹を見事に復活させたのだ。

 生命力と活力が戻った途端、大樹は燭台の炎から注がれた膨大な量のマナを吸収し、枝に数輪の薄桃色の花を咲かせたかと思うと瞬く間にその数を増やし、十数分足らずで満開に。

 冬の終焉と春の来訪を象徴する姿に変貌すると、降り続けていた雪が止み、空を支配していた分厚い雪雲が姿を消し、無数の星々が放つ光が乱舞する美しい夜空が広がり──俺の記憶は、そこで途切れている。

 どうも、この二ヵ月間で蓄積した疲労や蘇りの魔法を行使した際に大量のマナを失ったこと、更には無事に儀式を成功させたことで緊張の糸が切れたりと、様々な要因が絡まり合った結果、意識を失い倒れてしまったらしい。本当は少女たちと共に喜びに浸りたかったのだが、情けないことに教え子たちに心配をかけた挙句、彼女たちに運ばれ城に戻ることになった。

 結局大事には至らず、一日で目を覚ますことになるのだが、起きた直後の少女たち──特にテフィア──が泣きそうになりながら無事を喜んでくれたことが、とても記憶に焼き付いている。

 まだ記憶に新しい光景を脳裏に思い浮かべ、指先に摘まんだ桜の花びらに息を吹きかけ遠くに飛ばす。と、レブランソが感心するような口調で言った。


「成功率が三割を切る蘇りの魔法。一発勝負でよく発動させましたね」

「そこは俺も驚いていることだが……今になって考えてみれば、あいつらのマナを貰った後は失敗する気がしなかったな。もしかしたら、魔女のマナを使うと成功率が飛躍的に上がるのかもしれん。その辺りは調査中だ」

「態々調べるのですか?」

「気になることは調べるものだろ。俺は魔法師で教師だが、それ以前に研究者だからな。気が済むまでとことんやるさ。時間はある……そうだろ?」


 確認を取ると、レブランソは頷いた。


「約束を破るような真似はしません。こうして春を取り戻していただいたのですから、貴方も含め、魔女たちの生活は保証しますよ。これだけの成果を上げてくだされば、議会の馬鹿共を言い負かすには十分だ」

「なら良かった。街の様子はどうだ?」


 何となく、俺は尋ねた。

 いきなり気候が変わり、さぞかし困惑しているのではないかと考えたのだが……レブランソから返ってきた答えは、その逆だった。


「連日、お祭り騒ぎですよ。街の至るところが立食パーティーとなっていて、飲めや歌えや大騒ぎ。ここ数年で見たことないほどの熱狂です」

「皮肉なものだな。あれだけ毛嫌いしてきた魔女の成果を喜ぶなんて。神が見てたら鼻で笑うぞ」

「かもしれませんね。ただ、国民が喜んでいるのなら私は大満足です。おかげで、魔女への迫害を禁止する法案も議会を通過しそうです」

「……そうか」


 嬉しそうに言ったレブランソを横目で見やり、俺は短く返した。

 王の思惑通りに事が進んで何より。願わくば、俺の教え子たちが安心して街を出歩くことができるような国を創ってほしい。迫害の存在しない、安全な国を。

 勿論、その道のりが険しく大変なことは承知しているが……不思議と、この青年王ならばやってくれるだろうと、信じられる。これがカリスマ性というやつなのだろうか。疑うことすら、馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 頑張ってくれよ、若人。

 心の中で激励の言葉を送り……晴れ渡った青空を見上げ、俺はレブランソに尋ねた。


「レザーナはどうなった?」

「……」


 その問いに、レブランソはやや困った様子で答えた。


「以前言った通り、彼女は牢獄におります。今回の行為に至った経緯や、背後の人間関係などを洗っているところなのですが……何も語らず、現場は少々手を焼いているということです」

「? 黙秘してるってことか?」

「はい。何でも、ロゼル殿以外に真意を語るつもりはない。その一点張りだそうで」

「強情なわけか」


 もはや感心し、笑ってしまった。レザーナが牢に入れられてから、既にそれなりの日数が経過しているはず。その間、全く情報を吐かずに口を閉ざし続けるとは……他国の諜報員などであれば、満点を出していたところだ。

 王に逆らい魔女の追放を企て、作戦を実行するだけあり、相当な精神力を持っているらしい。いや、彼女の場合、狂っているだけとも言えるが。


「貴方の信奉者らしいと言いますか。取調べを担当している者はかなり参ってしまっているようです。その者は、貴方が復活していることを知らないわけですから、何を言っているんだという感じで」

「おつかれさん、としか言えないな」

「まぁ、そうですが……どうでしょう?」

「ん?」


 レブランソに顔を向けると、彼は何かを期待するような目で俺を見て、言った。


「春の一件も一段落しましたし、彼女から情報を引き出すのを手伝ってくださる気は?」

「ふざけんな。そこまでしてやるほど、俺は善人じゃない」


 何でもかんでも引き受けてたまるか。

 即答で拒否し、俺はベンチから腰を上げた。


「俺は尋問官じゃない。態々面倒ごとを引き受ける義理はないし……それ以上に、教師としてやるべきことがある」

「おや。まだ、彼女たちへの指導を継続されるのですか?」


 意外そうに言ったレブランソを肩越しに見やり、告げた。


「あいつらと約束したからな。それを反故にするわけにはいかない。知らないだろうが、俺は約束を守る男で有名だったんだよ」

「えぇ、初耳ですよ。しかし、とても説得力がある……もう行かれるので?」


 言葉を返さず、振り返らず、俺は右手を上げて応じ、その場を後にした。

 

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