第24話 気づきと決意
入室してきたのは、テフィアだった。赤いエプロンを身に着けた彼女は両手に銀のトレイを持っており、その上には、白い湯気が立つスープの容器が乗せられていた。
また、何を持ってきたのやら。
一抹の不安を抱きながら、俺はソファ前の机にトレイを置いたテフィアに声をかけた。
「入るなとは言わないが、せめて入室前にノックをしてくれ。これは大人の常識だぞ」
「別にいいじゃない。何か困るようなことでもあったの?」
「着替えとかしてるかもしれないだ……あぁ、いいや。忘れてくれ」
「?」
首を傾げたテフィアに何でもないと告げる。他の少女たちはわからないが、ことテフィアに限って言えば、こういう忠告は無駄だ。既に数週間も生活を共にしているので、少女たちの性格は大体わかっている。テフィアは自分の直感のみに従ったり、理屈を無視した行動を取りがちなので、面と向かって説得しても効果がないのだ。ならば、諦めるほうが早い。経験からそう判断し、俺は彼女にここへ来た目的を問うた。
「何しに来たんだ?」
「夕ご飯食べてないと思ったから、食事を持ってきたのよ」
「……そういえば、食べてなかったか」
言われ、気が付いた。
色々なことがありすぎて、すっかり忘れていた。最後に食事を取ったのは昼頃で、それも腹五分目程度の軽いもの。しかし、今も不思議と腹は減っておらず、食事を取るという考えに至らなかった。
何か胃に入れたほうがいいのは明白。空腹感はないとはいえ、胃の内部は空っぽのはずだ。養分がなければ、考えなどまとまるはずもない。
それは、わかっているのだが……空きっ腹にテフィアが作ったものを入れることに、若干の抵抗がある。既に嗅覚と味覚を破壊された経験があるため、つい身構えてしまう。次は食べたら、身体にどんな変化が起きてしまうのか。
と、俺はやや緊張しながらテフィアが置いたトレイに近付く。
「! あれ?」
まず、漂ってきた鼻腔を擽る香りに目を丸くした。
美味しそうなシチューの香りがした。見ると、見た目も悪くない。ごく普通のホワイトシチューに見えた。少なくとも以前のような刺激臭を発する赤黒い液体や、黒々としたゲル状物質とは比較にもならないほどの出来栄えと言える。
いや、まだ安心するのは早い。問題は味だ。どれだけ香りと見た目が良いと言っても、肝心の味が最悪であれば全てが台無しになる。良し悪しは、口にしてから判断することにしよう。
チラ、とテフィアの視線を送ると、彼女は『食べてみてよ』と言わんばかりに両腕を組んでいる。得意げに口元を歪めてはいるものの、瞳には不安と緊張が宿っているのがわかった。彼女にとって、これは渾身の一品なのかもしれない。
木製のスプーンを手に取った俺は数秒間、器の中の白い料理を見つめ──それを掬い、口に運んだ。
「……十分食えるぞ」
「そこは美味しいって言いなさいよ」
俺の零した感想にテフィアは不満そうに言った。
当然というのも少し失礼かもしれないが、完璧というわけではない。ホワイトシチューにしてはしょっぱく、入っている野菜もやや硬め。それらは許容範囲なのだが、器の底から魚の眼球が出てきたことには疑問を抱かざるを得ない。が、これまでに見たテフィアの料理の中では断トツに美味しいと思えた。
驚きの目でテフィアを見ると、彼女は不安と緊張を瞳から消し、輝かしい笑みを作った。
「ふふん♪ どう? 私だってやれば出来る子なのよ!」
「あぁ。皆に手伝って貰って、頑張ったんだな」
「ぅえ──!?」
俺の返しにテフィアは『なんでバレたの!?』とでも言うような、驚きの表情と反応をした。相変わらず嘘をつくのが下手だなと、俺は思わず苦笑した。
「鎌をかけたんだが……図星か」
「ひ、卑怯よ!」
「別に卑怯じゃないし、馬鹿にしてるわけじゃない。ちゃんとした料理になっていたってことは十分に評価できるからな」
周囲から色々と手直しを加えられたとはいえ、テフィアが料理の完成に貢献したことに間違いはない。なら、俺が褒める者の中には当然彼女も含まれているわけだ。周りと協力して一つのものを作ったことは、十分に凄いことだと思う。
そう伝えると、テフィアは指先に赤い髪を絡めながら照れ臭そうに目を逸らした。
「へ、変な想像しないでよ。私はただ、その……お腹空かせてるロゼルに少しでも美味しいものを食べて貰おうと思っただけなんだから!」
「良い子過ぎる」
想像以上に素晴らしい気持ちが込められており、俺は素直に嬉しくなった。教え子の優しさが心に沁みる。美味しいと思えたのは、そんな気持ちが加えられていたからかもしれない……なんてな。
柄でもないことを考えた俺はもう一口シチューを食べ、テフィアに礼を告げた。
「ありがとう、テフィア。一人じゃなければそれなりの飯が作れることが知れて、俺は嬉しいぞ」
「……すぐに一人でも美味しい料理作れるようになるから」
「期待してる。けど、その目標を達成するためには──」
持っていたスプーンの先端をテフィアに向け、続きの言葉を口にした。
「進退を明確にしないといけないな。料理はそう簡単に上達するものじゃないぞ?」
「…………そうね」
俺の言葉を聞いたテフィアは困ったような笑みを作り、ソファの端──俺の隣に腰を落とした。肩を落として溜め息を吐き、遠くを見るように視線を少し上に向ける。
その様子を見るに、まだ結論を出すことはできていないらしい。心を占有する恐怖心を克服できるか、否か。早々簡単に答えを見つけられるものではないことは、俺も理解している。二択とはいえ、結論を出すためには自分と向き合い、真剣に考えることが必要だ。四人に問うてから数時間が経過したとはいえ、まだ時間は足りない。余裕があるとするならば、あと一週間は優に時間を与えたいところではある。
しかし、前々から言っているように、俺たちに……少女たちに残されている時間は限りなく少ない。延々と悩み続ける余裕は皆無だ。酷なことを言っている自覚はあるが、何とかして少女たちには答えを見つけて貰わないと──。
「私さ」
「うん?」
唐突にテフィアが口を開き、声を震わせ、俺はそれに耳を傾けた。聞き逃すことがないように。
「時折、考えるの。もしも自分が魔女じゃなくて、普通の女の子として生まれてきたら……今頃幸せな生活を送っていたのかなって。私にはわからない、普通の人が当たり前に享受している幸福を受けることができたのかな……って」
腹部の前で両手を合わせ、指を絡め、もしもの世界を、人生を空想しながらテフィアは言葉を連ねた。自分が持たないものを羨むような、持つ者を妬むような声音で。
「普通の家で、普通の夫婦の間に生まれていたら、どんな人生だったのかしら。両親から沢山の愛を注いでもらって、成長したら学校に行って、友人をたくさん作って、優しい男の子に恋をして……将来は、夫になった人と街にお店を構えたりなんて……思い描くの」
語るテフィアの目尻からは涙が溢れ、零れた重力に従い彼女の手の甲に落ちた。手袋を外していることによって露わになっている、魔女の紋章に。それからも、俯き表情を隠したテフィアの瞳からは幾つもの雫が零れ落ち、彼女の手を濡らしていく。
「わかってる。どれだけ思い描いたって、所詮は叶わない空想だってことは。世界中から嫌われる魔女である私たちには、そんな夢を見る資格もないって。街の人たちに見つかって、この紋章を見られたら最後、火炙りになって笑いものにされるんだってことも……」
そこで初めて目元を拭い、テフィアは赤く泣き腫らした目で俺を見た。大きな諦念と失望、そして悲しみを宿した、涙で潤んだ瞳で。
「ごめん、ロゼル。他の皆はわからないけど……私は、無理だと思う。街で見た処刑の光景と、沢山の人たちの憎悪と侮蔑の目が、どうしても頭に過るの。魔法の火を大きくすると、鮮明に……」
「……」
「だから、私はどうせ国を追い出される運命だから……最後くらいは、好きに生きて──ロゼル?」
テフィアが困惑気味に俺の名前を呼んだ。理由は、俺が彼女の頭に手を置いたから。慰め、心を落ち着かせるように、その美しく艶やかな髪を優しく撫でる。
俺は大馬鹿だ。この少女の泣き顔を見て、ようやく気付かされた。
俺は自分を叱責し、叩き倒したい気持ちに駆られながら、テフィアに謝罪の言葉を向けた。
「すまない、テフィア。これは俺のミスだ。お前たちの教師として、果たすべきことができていなかった。お前の言葉を聞いて、自分が本当にやらなくちゃいけないことがわかったよ」
「?」
「無理に理解しようとしなくてもいい。明日、お前たち四人を集めて説明するから」
首を捻るテフィアにそう言い、俺は万年筆と便箋を片手にソファから離れた。
やることは理解した。やらなければならないことは見えた。なら、行動はすぐに取るべきだ。俺の気持ちが冷める前に。覚悟が不意に揺らいでしまう前に。
部屋の中央に浮遊する水晶の傍に置いてある円形テーブルへと歩み寄り、その上に便箋を置いて筆先を走らせる。
「? 何を書いてるの?」
「ん? んー、そうだな……」
問うたテフィアに、何と説明しようか。
即座に適切な言葉が思い浮かばなかった俺は少し考えた後──頭に浮かんだ言葉を口にした。
「まぁ──宣戦布告?」
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