第22話 問いかけ
「この世の終わりみたいな雰囲気が漂ってるな」
深刻さを表現する声音で報告したセフィに腕を引かれ、城の大広間に足を踏み入れた俺は、直後に全身を包んだ不穏な空気に呟いた。
空間に満ちていたのは、大海に重油が漏れ出したかのような重苦しい雰囲気。透明なはずの虚空が濁った灰色に見えてしまうほどにどんよりとした空気に、大広間は満ちていた。
原因は燭台の火だけが光源となっている薄暗い室内にいた、テフィアとユティル。床や椅子に腰を落とした二人は片手に魔筆を握りしめたまま、虚ろな目で天井を見つめている。瞳に宿るものは絶望。諦念と失意に染まったそれには光が宿っておらず、二人の気分が最悪に陥っていることが窺えた。
まともに話すことはできないだろう。そう考え、俺は共に入室したセフィに尋ねた。外で俺に告げた言葉の詳細について。
「セフィ。魔法が使えなくなったっていうのは、一体どういうことなんだ?」
「そのままの意味ですよ」
答え、彼女は右手に持った魔筆を構え、それを宙に走らせた。通常ならば金色の光を放つ線が宙に描かれるはず。しかし、セフィがどれだけ魔筆を宙に走らせても光の文字は描かれず、虚空は無色透明なまま。魔法を発動させるための魔精文字は、生まれなかった。
やがて諦め、セフィは右腕を下ろした。
「どう頑張っても、魔精文字を描くことができないんです」
「マナを魔筆に流すことはできているか? 成功しているなら、指先が微かに熱くなるはずだが……」
「ありません」
セフィが首を左右に振ると『本当だ』と、隣にいたメルフが呟いた。見ると、彼女も先ほどのセフィと同じように魔筆の筆先を宙に走らせていた。その結果もまた、セフィと同じ。
「僕も今朝と同じ感覚で魔筆にマナを流しているけど、一向に流れている感じがしない。なんだろ、これ」
「……まさか」
俺も同じような状態になっているのではないか。疑い、懐から七色の羽ペンを取り出し、宙で筆先を走らせた。一瞬、不安と緊張が走ったが、俺の魔筆はこれまで通り光の線を生み、宙に魔精文字を描いた。
少女たちと違い、俺にはその現象が起きていないらしい。
安堵の息を吐きながら魔精文字を消滅させ、俺は両腕を組んだ。
「なんで突然、こんなことになっているんだ?」
理由がわからず、首を傾げる。記憶が正しければ、俺が王都に行くまでは全員、魔精文字を描くことができていた。精度などは度外視して、魔法を発動することはできていたのだ。たった数時間、俺が城を出ている間にこんなことが起きるなんて、奇妙という他にない。
「神様は、私たちを見捨てたのかもね……」
思い当たる節がなく困惑している時、椅子の背凭れにぐったりと体重を預けていたユティルが口元を歪め、しかし一切笑っていない目を俺に向けた。
「このままだと、私たちは無条件で国外追放の刑に……」
「まだそこまで弱気になる段階じゃないだろ」
既に未来が確定したかのように言うユティルに言い、俺は元気をなくしている彼女に歩み寄った。近づいた俺を上目遣いで見上げるユティルの頭を、少しばかり乱暴に撫で回す。
「絶望するのは、打つ手がなくなった時にしろ。まずは、やれることをやるぞ」
「? やれることって?」
首を傾げたユティルの頭に置いていた手を離し、俺は再度魔筆を宙に走らせた。描いたのは、鳥の羽のような形状をした魔精文字。それを一筆で書き終えた俺は筆先を離し、指を鳴らす。次いで、人差し指でユティルの掌を軽く押した──すると。
「うわ、なにこれ」
ユティルの掌から金色の小さな気泡が生まれた。水中を漂う泡のように揺れるそれは表面に周囲の光景を反射しており、宙で何度も回転している。
皆が興味深そうに見つめる中、俺は机の上に置いてあった試験管をそれに近付け、覆い被せるように中へと収めた。コルク栓で蓋をし、落とさないよう試験管立てに挿入する。
「マナを採取したから、これを調べて見るよ。何かマナに変化が起きているのかもしれないからな」
気泡の正体と採取した目的を簡単に説明し、俺は残りの三人のマナも同じように試験管の中へ収めた。
短時間でマナが変質する、しかも四人同時に起きるとは到底思えないが、可能性は〇とは言えない。思い当たる可能性は、虱潰しに探っていかなくては。
試験管立てに最後の一本を挿入し、俺は少女たちに尋ねた。
「ちなみに、俺がいないところで変なもの食べたりしてないか?」
「変なものって? テフィアの料理擬きとか?」
「私の料理を変なもの扱いしないでよ!」
即座にそんな声がテフィアから飛んできた。俺は『変だろ』と咄嗟に口から出掛けた言葉を何とか飲み込んだ。ただでさえ失意に落ちている教え子に追い打ちをかける真似はよそう。多分、これから上達するはずだから。
いやでも、テフィアの料理を口にした結果というのは十分考えられるな。彼女の作るものは何というか、どんな効果を持っているのかわからない代物だし。
料理下手な教え子に疑いの目を向けてしまった──時。
「午前中の授業が終わった後、私たちは貰った焼き菓子を皆で食べたよね」
「焼き菓子? ……って、あれか。レザーナに届けて貰った袋の中に入っていた、レブランソからの差し入れ」
「そ。皆で休憩がてら、紅茶と共にね。美味しかったよ」
片目を瞑って味の感想を告げたメルフに、俺は苦笑した。
「食べるなら呼んでほしかったんだが」
「ごめんって。でも、部屋を出て行く時の君はとても疲れた様子だったから、誘いづらかったのさ」
「その割には、俺を王都に──……」
脳裏に先ほど見た処刑の光景が蘇り、俺は言葉を止め後頭部に手をやった。調子が狂う。脳裏に、目に、記憶に焼き付いて消えないほど、あの光景はあまりのも衝撃的だったからか……少し王都の街並みを思い浮かべただけで、強制的にフラッシュバックする。
参ったな。これはしばらく引き摺りそうだ──。
「ロゼル君」
考えに耽っていると、セフィが俺の顔を覗き込み、声をかけてきた。呆けていたため面を喰らいつつも、何とか応対する。
「ど、どうした?」
「何だか……帰ってきてから少し、元気がないように見えたので。何かあったんですか?」
「!」
セフィの問いに、俺は微かに肩を震わせた。
隠せているつもりになっていたが、気づかれたらしい。俺の演技力は半人前以下……いや、そもそも隠す必要もないんだ。寧ろ、面と向かって話したほうがいいとすら思える。
彼女たちが抱える問題に直結することなのだから。
微かに頷き『そうだな』と返し、俺は四人の顔を順番に見た後、彼女たちに問いを投げた。
「お前たちは──心にある恐怖を克服することができそうか?」
「「「!」」」
メルフ以外の三人が目を見開き、俺を注視した。彼女たちの目を見ればわかる。自分たちも薄々、成長を妨げている要因が恐怖心であると自覚していたのであろう。
俺は四人が視界に入る位置へと移動する。
「さっき、王都で魔女に仕立て上げられて火炙りにされている女性を見た。この世界では魔女が忌むべき存在とされていることも、お前たちの成長が止まった理由もわかったんだ。このまま魔法を学び、魔女としての力を開花させてしまったら……自分たちもいずれ、あの処刑台で炎に包まれるんじゃないかと思っているんだろう」
恐怖が枷となり、前に進むことを邪魔している。そして、この枷は囚人に嵌められるものと同じく、自力で外すことが難しい。鍵となるきっかけが必要になるが、それが一体何なのかは、誰にもわからない。
少女たちに非はない。公開処刑は古くから民衆への見せしめ、恐怖を植え付け支配するために行われてきたものだ。それを楽しむ群衆が狂っているのであり、恐れる少女たちは寧ろ正常と言える。しかも、彼女たちはまだ人生経験が浅い若者。世間的に見れば子供と言っても差し支えない、未熟者だ。まだまだ大人の助けが必要な少女たちが植え付けられた恐怖は、俺の想像で推し量ることはできない。
酷なことはわかっている。けれど、これは聞かなくてはならない。停滞した状況に変化を与えるためにも。
「俺の想像を超える恐怖が植え付けられていることはわかる。その上で、もう一度聞こう。お前たちは──己を縛る恐怖から抜け出すことはできそうか?」
「「「「……」」」」
即座に返ってくる言葉はない。当然だ。即答することができるのならば、既に呪縛から抜け出し、飛躍的な成長を遂げているはず。
解答に窮するほど悩み、葛藤することこそ、呪縛の本質。前に進みたい、けれど怖い。その迷いが精神を乱し、成長を阻害するのだ。
少女たちの様子を見ているだけで、苦悩が伝わってくる。奥歯を噛み、拳を握り、瞳を揺らす姿は苦しんでいるようにも見え、また戦っているようにも見えた。長く、決着の着かない戦に身を投じているようにも。
ここで待っていても、すぐに答えが出ることはない。
判断した俺は少女たちのマナが入る四本の試験管を手に取った。
「すぐに答えが出るものじゃないことは、わかってる。けど、今の状態では授業をすることはできないんだ。恐怖を抱えた状態では成長が見込めないし……何より、お前たちに無理をさせるわけにはいかない」
少女たちに背を向けた俺は扉へと歩み寄り、そのドアノブを掴みながら、最後に背後を振り返った。
「今日と明日の授業はなしにする。代わりに……よく考えて、自分の意思を確認するんだ。どんな答えを出そうとも、俺はお前たちの意思を尊重する。例え無理だと諦めても、何とか追放は避けられるよう、レブランソには頼んでみるからさ」
その言葉を残し、俺は扉を開け大広間を後にする。
扉が閉じる音が廊下に響き渡り、その後には規則的な足音が鳴り響くだけだった。
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