エリンギのおいしい食べ方
シンシア
第一章 陥没穴調査編
第1話 陥没穴へと向かう(前編)
「──ご主人様、ご主人様、ご主人様……行ってきます」
私は名残惜しいそうに大切な人の名前を何度か口にすると誰もいない家から出た。
しばらく、声を大にして呼ぶことはできなくなる。
「いよいよだな。後悔はあるか?」
扉の前でいい子にお座りをして待っている黒色の大きな狼からそう聞こえた。
彼の名前はルガティ。
彼とは長い付き合いなので言葉を直接口に出さなくても念話で話が出来る。
昔は綺麗な青色の体毛だったのだが環境の変化のせいか、すっかり色は抜け落ちて青みがかっていると言われればそうかもしれない程度にしか見えない色になってしまった。
心なしか毛もゴワゴワとしているような気がする。
「後悔なんて気持ち少しもないですよ。私はこの日を待ち侘びていたのですから」
「そうだよな。忘れてくれ、野暮なことを聞いた」
私はルガティに灰色のローブを被せる。
これは昔からの癖でもあり、一種のまじないのようなものである。
彼と一緒に出かける時は決まってこのローブをお揃いで身に着けるのだ。
準備が終わると彼は背中に乗ることを提案してきた。
まだ集合時間には余裕があるし育ったこの場所も暫く見られなくなるので自分の足で歩くことにした。
私はリュックサックを背負い直し歩き出す。
ピッタリと私の右側をマークするように狼はついてくる。
私達の視界には枯れた木々の群れとひび割れ、暗く変色した大地が広がっていた。
この5年の間で酷く見慣れてしまった光景であった。
昔は青々としすぎていて気味が悪いほど元気な植物たちでいっぱいの森だったが、
今はそんな姿であったことを誰かに言おうものなら一瞬で嘘つき呼ばわりされそうなほどに枯れ果てている。
この森だった場所を抜ければ大都市であるディルクナードが見えてくる。魔法溢れるこの世界の中でも有数の魔法都市である。
街中の至る所で魔法の力を用いて動く機構を見ることができるのだ。
街の灯りも本当の火ではなく魔法で作り出した炎で賄っているし、街のシンボルである噴水だって魔法の水である。
そんな魔法都市であるディルクナードにとある災害が襲った。
陥没穴である。
ただの陥没穴などでは無い。
魔法都市ディルクナードの全域を覆い尽くすほどの大きな大きな穴である。
ほとんどの建物や人が穴の中に飲まれるという大惨事は今後忘れられることはないだろう。
私はこれからその巨大な陥没穴の調査隊のメンバーの一員として穴の中に入ることになる。
帰ってこられる保証は無い。
陥没穴の発生から毎年、1年に1度派遣される調査隊も今回で5度目である。
その間誰一人として穴から成果を持ち帰ってきたものはいなかった。
何故そんな危険な調査を待ち侘びていたのか。
それは第一次調査隊のメンバーとして穴の中に入ったきり戻ってはこなかった、
ご主人様のことを探しに行くからだ。
「今日で主がいなくなってから何年経つ?4年くらいか?」
まだ歩き始めてさほど経っていないが、ルガティは気を効かせて私に話を振ってくれる。
気持ちはありがたいのだが、肝心の話の中身がまったく見当違いである。
「貴方は大切な主の帰りも数えることができないのですか。今回は第4次から大分時間が空いたのです。それもしっかり頭に入れるのですよ。5年と3ヶ月それと18日──太陽の位置から見るに」
「オレが悪かった。それ以上はいい、気が狂いそうだ。それより主は確かリリー、お前には危険なことはせずに幸せに生きて欲しいって言って無かったか?」
「ご主人様の言葉は一字一句違わずに話してくださいとお願いしたはずですよ。ご主人様は私に、やりたい事をやりなさい。そして貴方だけはこの世界で一番幸せになってください。もし他人から邪魔をされるようなことが有れば私が化けて出てやりますから。大好きですよリリー。そう言ったのです」
ルガティから返事は返ってこない。
多分私がいつもの発作のようにご主人様の最後の言葉詠唱を始めたので呆れているのだろう。
ご主人様は幸せになれと言った。
私の幸せはご主人様と一緒に暮らすことしか無い。
だから今日はそれを叶えるために穴に入るのだ。
何も約束を反故にしたわけではない。
「リリー、覚えているか? 昔一緒にディルクナードに行ったの。街にこそ入れなかったがあの時もこうやって並んで歩いたよな」
「忘れませんよ。ご主人様に酷いことを言ったと今でも昨日のように思い出せますよ。あの時は貴方とここまでの仲になるなんて思っていませんでした。門番の方に飛びかかろうとする貴方を私が必死に止めなければ殺処分されていたと聞きましたよ」
「その説はどうも。でも、オレはなんとなく感覚でリリーとは長い付き合いになるってわかったぞ」
「なんですかそれ、とても気持ち悪いです。ルガーは幼い私を背に乗せながらそんなこと考えていたのですか」
ひび割れた歩きづらい地面を踏みしめると普段とは違いどこか寂しさを感じる。
花を咲かせる他愛もない思い出話が、気の重さを一番に感じる足を駆動させる動力源になっている。
枯れ木の森を抜けて、街道を道沿いに歩いていると石橋が見えてくる、そこには仮説テントが幾つも設置されている。
遠目からでも忙しそうにテントを行き来する兵士達が見える。
石橋に近づくと、甲冑に身を包んだ一人の兵士がこちらに駆け寄ってきた。
「リリー、久しぶりだな」
「はい。団長こそお元気でしたか」
彼はリンド・ゲンテュリア。
デュルクナード騎士団の団長である。
ご主人様とは旧知の中で私も彼には何度もお世話になっている。
陥没穴ができる以前までは豪華な甲冑に身を包んでいたのだが自分が守らなければならない街は酷い有様で、今も陥没穴への対応に追われているという状況で豪華な甲冑はすぐさま要らないものへと存在を変えたらしい。
生真面目で優しい彼らしい行動である。
「私の方は変わりないが、そんなことより今日はその──」
リンドは言葉に詰まり、目からは涙が流れている。
「リンドさん。これは私が自分で決めたことですから──」
「わかっているさ、好きにすればいいと思う。だがもうこれで3度目なんだ俺の友人が穴に向かうのは。だから俺の意見は最後まで変わらない。リリー、お前には調査に行って欲しくない」
わかっていた。
止めるに決まっている。
私が彼の立場なら間違いなくそうする。
本当は誰よりも友人達のことを助けに行きたいのだ。
だが、騎士団長という責務が彼にはある。
彼にはまたつらい思いをさせてしまった。
半壊どころか全壊してしまった街の残った人々を支えることも大切なことだ。
信頼の厚い彼にしか出来ないことであった。
自分のことは友人の忘れ形見ぐらいの感情しかないと思っていたので、
二人と同じように行ってほしくないと止められると何だか嬉しい気持ちがこみあげてくる。
「優しいお前のことだ。俺のことを考えて言葉を探してくれてるのだろう。だが、そんな必要は無い。俺が最後まで行ってほしくないと思うように、お前は最後まで自分を貫けばいいのだ」
彼もまた私の気持ちを理解してくれていた。
「リンドさんのお願いは聞けません。私はきっとご主人様に止められたって穴に入ります。私はご主人様を助けに行ってきます」
「ああ、分かっていたさ。そういうってな。あいつらをよろしく頼む」
私はリンドと抱擁を交わすと門をくぐり街の内部へと足を踏み入れるのであった。
「リンドも来てくれればすごい安心なのにな」
ルガティがぼそっと呟いた。
「そんなこと絶対本人にはいえませんよ。貴方って人の気持ちがわからないですよね」
「オレは人間じゃねぇからな」
ルガティと話していると幾分か緊張の糸は解けていく。
ご主人様を助ける為の私の冒険はこれから始まるのだ。
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